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無理せず正解 灼熱のマラソン大会で走る恐ろしさ ロンドンマラソン参加レポート#03

  • 文・山口一臣
  • 2018年6月8日

Photo:Maridav / Getty Images

“灼熱(しゃくねつ)”のロンドンマラソン(Virgin Money London Marathon)、“言い訳”リポートの後半である。しつこく何度も書いてきたが、このレースは私にとって世界6大マラソン(Abbott World Marathon Majors=WMM)の最終戦で、6大会平均サブ4(マラソン4時間切り)の記録がかかっていた。計算すると3時間55分でフィニッシュすれば記録は達成できることがわかっていた。ペースでいうと1kmあたり5分34秒、1マイル(約1.6km)8分57秒だ。

はっきり言って、これは私にとってそれほど高い目標ではなかった。6大会平均サブ4の記録はほぼ手中に収めたようなものだった。ところが、である。「気温の上昇」という想定外の伏兵が現れた。体感気温27℃、ロンドンマラソン史上、最高気温でのレースの幕が切って落とされた。スタートから約5km地点までは下り坂が続く。この間は、キロ5分30秒とややオーバーペースだったが、これは想定内だ。コースが平坦(へいたん)になったところからしっかりペースをつくれば、余裕をもってフィニッシュできるともくろんでいた――というのが前回までのおさらいである。

異変に気づき始めたのは、6km、7kmと進んだころだ。自分では設定ペースで走っているつもりなのに、スピードがついてこないのだ。腕にはめたガーミン(GPS付きランニングウォッチ)が1kmごとに伝えてくるラップタイムが5分36秒〜37秒とわずかずつだが遅れている。最初はGPSの誤差かとも思ったが、1マイルごとのラップでも3秒〜4秒遅れた。これは、おかしい。意識して頑張ると設定ペースに戻るのだが、練習時より息があがる……。おかしい。

連載前回の最後にランナーはどうやってペースをつくるかという話を書きかけた。考えてみるとこれは素人ランナーにとってかなり根源的なテーマだと思う。ランナーはいったい何をもとに自分の走行速度を測っているのか。頰にあたる風(空気)なのか、周囲の景色の流れ具合なのか。私のランナー仲間の中には頭の中で音楽を奏で、そのリズムでペースをつくるという人もいた。いずれにせよ、頼りになるのは“体感”だ。

おそらく多くのランナーが有力なセンサーとして使っているのは“心肺の負荷”ではないかと思う。私は、そうだ。要は、走っているときの心拍と呼吸の苦しさ(楽さ)の加減で、ここまで呼吸が乱れて心臓がバクバクいってるのだからキロ4分台だろうとか、心拍が安定して楽に走れているのでキロ6分くらいかな、などと考えるのだ。この“体感”は練習を重ねることによって脳に記憶される。私はロンドンマラソンに合わせてキロ5分34秒のペースを体に覚えこませていた。

ところが、肝心の本番でその“体感”に狂いが生じ始めたのだ。それが気温の上昇によるものだということは、いま振り返れば想像できるがレース中はそんなことを考える余裕はない。ヘンだ、おかしい、苦しい、暑い、そんな思いだけが頭の中をグルグル回り始める。遅れを取り戻そうとペースをあげると当然、心肺への負荷が大きくなる。しかし、記録がかかっているので頑張るしかない。テムズ川右岸からタワーブリッジを渡って右へ曲がったところがちょうどハーフ地点だ。タイムを確認すると、1時間57分02秒で想定より24秒も早い。タイムを挽回(ばんかい)しようと焦った結果、オーバーペースになっていたのだ。

ただ、過去のうまくいったレースではこの程度は誤差の範囲だ。むしろ24秒余裕ができたとポジティブに捉えることが多かった。しかし、この日は違っていた。心肺の状態から同じペースで残り21kmを走り切る自信がだんだん小さくなっていく。午前10時のスタートから約2時間、気温はかなり上がっていたのだと思う。空を見上げる。事前の天気予報では昼過ぎから曇り時々雨という予報もあったが、そんな気配はまったくない。援軍も断たれた。そんな気分だ。これはダメかもしれない……。

「心が折れる」とは、こういうことなのかと思った。一度、ダメかもしれないと思うとネガティブな感情が心の中を支配し始める。もうダメだ、無理だ、歩きたい。ベルリンマラソンのときは先へ進めば進むほど「イケるぞ! イケるぞ!」という気持ちが膨らんでいったが、今回はまるで逆だ。傍らを見ると暑さで倒れている人もいる。ペースも少しずつ落ちていく。ハーフ地点での24秒の“貯金”はいつの間にか使い果たした。これはダメだ。次の給水で立ち止まろう……。

20マイル地点の手前だった。その瞬間、私の「6大会平均サブ4」の夢がついえた。

目標を「無事にフィニッシュ」に切り替えてみると……

そこで何を考えたのかというと、確実に完走を手にするということだった。ここで無理をして熱中症で棄権などということになれば元も子もない。「平均サブ4」の前に「6大会完走」だ。そこで気持ちを切り替えた。このレースを無事にフィニッシュできれば、私もSix Star Finisher(6大会完走者=SSF)の仲間入りだ。こうなったら「記録より記憶」じゃないか、と。

そこから先は沿道で応援してくれる人たちにいちいち笑顔で応えたり、ハイタッチしたりしながら走ることにした。給水でも立ち止まって、周囲の景色を楽しみながらゆっくりと。このレースでSSFを達成する人には“REACHING FOR MY 6th STAR TODAY!”と書かれた背中に貼る特別なゼッケンが手渡されている。後ろから追い抜いていくランナーがこれを見つけて声をかけてくる。「コングラチュレーションズ!」「ありがとう!」。そんなやりとりが最後まで続いた。

工事中のビッグベンを左手に見ながら右へ折れると、バッキンガム宮殿を囲む緑地帯へと入っていく。あと少しだ。記録は断念してもフルマラソンのフィニッシュはいつも感動的だ。セントジェームズパークの西端を右に曲がると宮殿前のクイーンビクトリア記念碑が目に飛び込む。苦しかったレースもまもなく終わる。4時間23分36秒でフィニッシュ! ヤッタァ〜、SSFだ。その場で、あの憧れだった6大会完走者に贈られる特大のメダルが渡される。悔しさ半分、でも完走できなければ意味がなかったじゃないか。自分には、そんな風に言いきかせた。

ゴール後、プラカードを持ったスタッフがSSF達成者を迎え、特大メダルを渡してくれる

約1カ月後、WMM6大会の記録タイムが入ったSSF完走証が事務局から送られてきた

さて、最後に気温とペースの関係についてレース後に調べてわかったことを書いておこう。ロンドンマラソンの顧問でもある英セントメリアーズ大学応用スポーツ科学教授のジョン・ブルーワー氏が書いた『ランニング・サイエンス』(河出書房新社)によると、高温下でのランニングでは体温の上昇を抑えるため、発汗とは別に血液を(外気で少しでも温度を下げるために)体幹から皮膚へ向けようとするのだという。一方で、当然、ランニングのために筋肉にも平常時より多くの血液を送る必要があるので心拍数を上げなくてはならなくなる。結果、適正気温でのランニングに比べてずっと苦しくなるというのだ。なるほど、そういうことだったのか(目からウロコ)。

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このメカニズムを知ったことで、だいぶ気が楽になった。やはり、無理をしないでよかった。確実に完走=SSFゲットにかじを切った選択は間違っていなかったのだと。ちなみに、このロンドンマラソンで新たにSSFになったランナーは374人いた。この時点で世界では合計3786人、うち日本人は151人だ。私がWMM挑戦を始めた時点では、日本人の達成者はわずか8人しかいなかった。それからずいぶん増えたと思うが、まだまだレアだ。チャレンジのしがいはありますぞ!

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PROFILE

山口一臣(やまぐち・かずおみ)

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1961年東京生まれ。ゴルフダイジェスト社を経て89年に朝日新聞社入社。週刊誌歴3誌27年。2005年11月から11年3月まで『週刊朝日』編集長。この間、テレビやラジオのコメンテーターなども務める。16年11月30日に朝日新聞社を退社。株式会社POWER NEWSを設立し、代表取締役。2010年のJALホノルルマラソン以来、フルマラソン20回完走! 自己ベストは3時間41分19秒(ネット)。

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