インタビュー

『デジタルネイチャー』は、20年後も読み継がれる落合陽一の主著になる 宇野常寛さんインタビュー

  • 文・&M編集部、撮影・矢野拓実
  • 2018年7月13日

批評家でPLANETS代表の宇野常寛さん

筑波大准教授でメディアアーティストの落合陽一さんの新著『デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂』(株式会社PLANETS/第二次惑星開発委員会)が、6月15日の発売前からアマゾンランキングTOP10入りを果たし、これまでの発行部数が24,000部を超えるなど話題だ。

この本は、説得力ある近未来像を読者に提示してくれる、とても興味深くて読み応えのある内容だが、落合さんが造った「デジタルネイチャー」という言葉そのものや、副題からもわかるように、読み進めるだけでも、多岐にわたる分野の基礎知識が必要だ。

落合さんの初著『魔法の世紀』と『デジタルネイチャー』は、どちらも批評家でPLANETS代表の宇野常寛さんが編集を担当している。

そこで宇野さんに、なぜ難解といってもよい同書がこれだけ売れ、そして、著者の落合さんが20代、30代の若者を中心に支持されているのかをテーマにインタビューした。

メディアアーティストで筑波大准教授の落合陽一さん(矢野拓実撮影)と新著『デジタルネイチャー』

――すでにとてもよく売れていますが、理解することがかなり難しい内容です。今回の本を、落合さんの言葉を少しかみ砕いて編集することは考えなかったのですか。

宇野 かみ砕いた本は、大手の出版社がやればいいと思っています。例えば、箕輪厚介さんがやればいい(注:箕輪さんは同じ落合さんの著書『日本再興戦略』を担当した幻冬舎の編集者)。箕輪さんは、注目のメディアアーティストから、この数年で若手を代表する「総合知識人」へと進化した落合陽一の「大衆向けマニフェスト」を読みやすくまとめた。あれはとても意味のあることです。

一方で、僕はアップデートした落合陽一の「質」を世に出して、10年、20年後も読み継がれ、翻訳されてグローバルに発信できる主著をまとめることを目指しました。いわば役割分担ですね。

もちろん売れてほしいですけれど、10万部、20万部のベストセラーを出そうなんて考えてない。そのために内容を妥協したくはない。僕にとって、本をつくることは手段ではなく目的ですからね。一読者として読みたい本を作るために、こうしたインディペンデントな活動をしています。

  

海外で活躍しているはずの男が、日本に残ってアウトプットしている意味

――本質的には音波や光波の研究者である落合さんが、なぜいま日本で若手を代表する言論人と言われる立場になったと考えていますか。

宇野 3年前、『魔法の世紀』を作ったときには、まったく今のようになるとは予想していませんでした。彼は音や光の波をコンピューターで制御する研究をしている人で、研究して論文を書くことが仕事。ただ、その研究のコンセプトの中に、彼独特の社会観、哲学があって、それは私にとってとても面白くて、世に出すべきだと思った。だから『魔法の世紀』を出したのです。

その後、彼は研究者・アーティストから「総合知識人」へと脱皮しました。

最近の彼を見ていると、二流国に落ちた日本をハックして変えてしまおうと考えているように思えます。講演や展覧会からテレビ出演まで、過剰にも見えるアウトプットに苦言を呈する人もいますが、そこには彼なりの思想に基づいた取捨選択がある。だから私は応援したいです。

彼は、研究の実績を考えたら、とっくにアメリカかどこか海外で活躍しているはずの男です。それが、まだ日本にいて、眠い目をこすって筑波に通勤して、きっとたくさんのものを捨てながら、いまのアウトプットをしているわけです。やっかみも多いだろうし、説教することで尊敬されたがる年長者も多いと思いますが、私は外からごちゃごちゃ言うべきではないと思っています。

――『デジタルネイチャー』がたくさんの読者に支持される背景についてどのように考えていますか。20代、30代の読者も多いようです。

宇野 いま、「言葉を通じて世界を変えたい」という動機を持っている人にとって、既存の言葉は、陳腐に聞こえるからでしょう。

「人文知」対「工学知」という問題設定をされることが出版の世界ではよくあります。その人文知は、グローバル資本主義と情報技術の結託が世界を大きく変えているこの現実に対して「バランスをとれ」ということしか言えていない。たとえば20世紀的な人文社会科学の世界では、情報技術やグローバル資本主義に、ほとんど生理的嫌悪に近い距離の置き方をする人たちも少なくないのが現実です。いい仕事をしている人もたくさんいるのだけど、そのような環境ではどうしてもこういう言論が主流になってしまう。

では、そのグローバルな新しい世界を受け入れたビジネス書に何が書かれているかというと、究極的には自己啓発的に「がんばれ」としか言っていない。しかし、現在の東京は、シリコンバレーでも深圳でもない、世界の中で2周遅れた街になっています。東京にはグローバルな情報産業のプレーヤーとして誇りを持てる環境は全くなくて、そこで生まれる言葉は非常に貧しい。もちろん、東京にもポジティブにもがいている個人はたくさんいますけど。やはりこの現状では「がんばれ」くらいしか言うことがないのだと思うんです。

これは、僕の批評家としての問題意識ですが、どちらの知も批判する気はまったくありません。そりゃあ確かに、バランスを取って、頑張って生きた方がいいので、反論の余地がない。これはプレーヤーの問題ではなくどちらかといえば環境の問題ですからね。

ただ、私自身は一度しかない人生にそうした本をつくろうとは思わない。

そうした本は、批判はされにくくて、防御力は高いが、攻撃力はゼロです。そのためにはもっと、「○○ではない」ではなく「○○である」という本じゃないとダメだと思ったんです。昨年出した『母性のディストピア』(集英社)という本もそう思いながら自分で書きました。これまで編集を担当したすべての本でも同じです。

いまの若い世代が求めているのは、世の中の新しい流れに対して「批判的に受け入れる」という姿勢だと思います。古いタイプの人文社会科学のように、テクノフォビア(科学技術恐怖症)的に距離を取るわけでもなく、かといって、シリコンバレーコンプレックスから自己啓発的に新しい流れを「サプリメント」として受け入れもしない。

僕には、「不可避のパラダイムシフトを受け入れながらも、批判的かつポジティブに継承していく」というスタンスで書かれた本が、現役世代に、それも若ければ若いほど求められているという直感があった。そこに応えるものを書きたいし、編集したいという気持ちが強いです。

  

上の世代は『デジタルネイチャー』を読んで、落合陽一ら日本の才能を応援してほしい

――バブル期を経験しているような世代は『デジタルネイチャー』を読むでしょうか。

宇野 大企業の正社員で、現状にいろいろ思うところはあっても、会社を辞める勇気はない人間。そういう人たちは、『デジタルネイチャー』を読んで、出来る限り僕らの味方になってほしい。

日本のベンチャーキャピタルって規模は小さいけど、そこにはポジティブな気持ちと豊かな才能が集まっています。しかし、そういうベンチャーは、トヨタのような大企業が本気を出せば全部買収できる規模でしかありません。

この記事を読んだ大企業で決裁権を持つ人たちは、もっと新しい世界を作るために投資をしてほしいと思います。極端な話をすれば、就職先として、自分たちの会社を選ばなかった人たちに投資をしてほしい。外の世界を見ている人たちを応援してほしいです。

――『デジタルネイチャー』の編集は難しい作業でしたか? 落合さんとの3作目の構想もあるのでしょうか。

宇野 正直、編集の過程は地獄のような日々で、思い出したくないです(笑)。物理的にも精神的にも大変でした。もう二度とやりたくない。落合陽一の主張はジャンル横断的であり、文章はまるで「鵺(ぬえ)」のようです。本にまとめるには普通の本の2倍、3倍の労力が必要となります。

一般書として流通しているのだけれど、非常に専門的なレベルの高い本です。これは日本の出版文化の層の厚さが生んだ財産だと思っています。ですから、次があるとしたら、『魔法の世紀』や『デジタルネイチャー』を読んでしびれた若い人、私の本やPLANETS本誌にしびれてくれた若い人にまかせて、僕はコンセプトメイクだけやりたいですね(笑)。でも、大きなところは結局自分でやっちゃうかもな……。

ただ、僕だけでなく彼も、もう少し間をおいてから次回作を、と思っているはず。やっぱり主著は必然性があるから出すのであって、「本を出すための本」は、落合と宇野で魂を削り合ってやるべきことではないとお互いに感じています。

(取材・文:&編集部、久土地亮、下元陽 写真:矢野拓実)

『母性のディストピア』

宇野常寛(著) 集英社
『リトル・ピープルの時代』に続く、宇野さんの新たな代表作であり、現代サブカルチャー論。
 

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