小川フミオのモーターカー

日本一をうたわれた加速力とスタイリングが魅力だった2代目MR2

  • 世界の名車<第219回>
  • 2018年7月17日

「GT」は225馬力の2リッターターボ「3S-GTE」エンジンを車体中央に置く構造(ミッドシップ)だった

トヨタ自動車はいつの時代もスポーツカーを作っている。しかも、意外なことにけっこう冒険的なことをやっているのだ。

「MR2」初代はミッドシップの2人乗り。これなどトヨタの冒険の代表例だと思う。続く2代目はコンセプトを発展させながら、高性能エンジンを搭載。そしてフルオープンのミッドシップ「MR-S」と続いた。

1984年に初代MR2が発売されたとき、日本でもついにこういうクルマが登場したのだな、とうれしかった。後期型にスーパーチャージャー装着車が出るまでは非力だった点は惜しかったが。

頭上が小さく開くTバールーフ仕様もあった

89年に発売された2代目MR2は、スタイリングは初代から大きくかわり、小さなフェラーリのようになった。

この当時、日本の自動車メーカーは一つのピークを迎えていて、スポーツモデルが続々と登場していた。同じ89年に日産自動車は2.6リッターツインターボのスカイラインGT-Rを、いっぽうマツダ(ユーノス)は軽快なハンドリングを持つロードスターを発売といったぐあいだ。

全長4170mmのコンパクトな車体だが曲面が美しいデザインで存在感があった

トヨタは2代目MR2に、200馬力を超えるインタークーラー付きセラミックターボチャージャーを備えた2リッターターボエンジンを搭載。「日本でいちばん加速力のあるスポーツカー」をうたい文句とした。

加速はもちろんクルマにとって最も重要な性能の一つ。“お、速い!”と思うときは、たいてい(中間)加速性能で判断しているものだ。

ただ2代目の初期型はハンドリングに問題を抱えていた。シャシーとサスペンションの設定に起因する問題だったのだが、カーブを曲がるとき前輪がどこを向いているかがいまひとつわかりにくいなど、ぼくの周囲でも評判はよくなかった。

メーカーの側に立って想像すると、それまでスポーツカーなどほとんど経験がなかったわけで、開発からテストにいたるまで苦労の連続だっただろう。しかし、91年と93年の大きな改良で、どんどん成熟していった点はすごかった。

シフトレバーは当時トヨタのスポーツ車に装備されていたガングリップタイプ

初期型の評価の低さから、トヨタは、シャシーとサスペンションの強化こそスポーツカーに重要と悟ったに違いない。ドイツの専門メーカーと共同開発した「ビルシュタインパッケージ」も限定発売された。メーカーがユーザーとともに成長していったような時代である。

マーケティングの視点だけでMR2のようなクルマを評価するのはむずかしい。実際クルマの完成度は急ピッチで上がっていったのに、売れ行きが落ちたからと受注生産に切り替えられてしまった。

ホールド性のよさそうなスポーツシート装備

ぼくは、96年にトヨタ・テクノクラフトが作ったフルオープンの「MRスパイダー」も好きだった。トヨタは、「MR」シリーズで、「348」のようなフェラーリを視野に入れたモデルをつくり続けるのだろうと期待したものだ。

結局そうはならず、先に触れたように99年には軽快さを前面に出したMR-Sへと“モデルチェンジ”が行われた。ひとりのファンの夢はかなえられなかった。

エンジンはキャビンの後ろに搭載されていた

※画像はすべてトヨタ自動車提供

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

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クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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