インタビュー

資金ゼロ経験ゼロからモスクワ国際映画祭受賞へ 医学研究者から映画制作への転身

  • Tokyo New Cinema代表取締役・木ノ内輝さんインタビュー
  • 2018年7月24日

Tokyo New Cinemaの代表を務める木ノ内輝さん。映画の企画、制作、配給活動を一体とした事業を展開している

2017年、第39回モスクワ国際映画祭で「国際映画批評家連盟賞」と「ロシア映画批評家連盟特別表彰」をダブルで受賞した『四月の永い夢』を制作したのは映画制作・配給会社「Tokyo New Cinema」。その代表の木ノ内輝(きのうち・ひかる)さんは、米ハーバード大学で医学の研究をしていた異色の経歴を持つ。

木ノ内さんは、なぜ映画の世界へ足を踏み入れたのか。転身の経緯とプロデュースにかける思いを聞いた。

――ハーバード大学研究室に在籍中に映画をプロデュースしようと思ったそうですが、きっかけはどんなことでしたか?

木ノ内 もともと芸術全般が好きで、幼い頃は映画『ラストエンペラー』『レオン』を何度も見ていました。映画は演技や作家性、音楽、フォトグラフィーなどが合わさった総合芸術ですから、個別のシーンやカットでの「ここが好き」とは言えませんが、作品全体がとても好きです。

大学卒業後、ハーバード大学研究室で遺伝子を組み替えタンパク質を染色して可視化する研究に携わっていました。それは写真の現像技術を応用したもので、やっていること自体は芸術と変わらないと思っていました。同僚には研究を芸術だと考え、絵を描いたり、楽器を演奏したりする人も多かったです。

そんな環境で過ごすうちに、もっと多くの人に芸術を届けたいという気持ちが強くなり『Calling』をプロデュースすることにしました。

――医学と映画はまったく異なる世界ではないかと思うのですが、違う道に進むことにためらいはありませんでしたか?

木ノ内 20代をずっと研究室で過ごすよりは、映画というメディアを通して世界に出て、たくさんの景色を見たいという思いがあったからです。

私がしていた研究は、細胞の再生を可視化するものでした。今は、どのように多くの人に作品を見てもらうかが研究対象です。どちらも人に見てもらってはじめて完成します。研究と映画制作は、企画を立てて、ファイナンスが入り、そこから関係者がアクションを起こし、結果を出すというプロセスも同じです。

違いがあるとすれば、映画制作はひとつのプロジェクトのために、たくさんの人が集まり大衆に向けて公開されます。それは研究ではありませんでした。それぐらいです。

――中川龍太郎監督との出会いについて教えてください。

木ノ内 中川さんとは、私の弟の紹介で10年以上前に知り合いました。中川さんも私も三島由紀夫や村上春樹、チャンドラーなど文学が好きで、価値観が似ていて、一緒に映画制作を始めることにしました。

過去に制作された多くの映画は文学から影響を受けていると思います。例えば『エヴァンゲリオン』は能の世界から影響を受けているように感じます。私たちは、同じように日本のオリジナリティーを作品に取り入れようと努めています。

――クラウドファンディングで映画制作の資金調達をした理由は?

クラウドファンディングで出資を募った時は、米大学時代の友人らにもサポートや情報の拡散をお願いしたという。「持つべきものは友」

木ノ内 私には映画界での経験と人脈も資金も全くありませんでした。そこでクラウドファンディングを活用することにしました。ですが、最初のクラウドファンディングでは40万円の目標に対して、10万円しか集まらず、出資者に資金は戻されました。

初めてクラウドファンディングで成功したのは『Plastic Love Story(プラスティックラブストーリー)』(2014年)という作品です。当時、日本にはクラウドファンディングはほとんど浸透していませんでした。そのため、私が文章を英訳してアメリカのKickstarter(キックスターター)という世界最大のプラットフォームで出資者を募りました。その結果、アメリカ人の出資者を中心に、目標を超える1万ドルが集まりました。

クラウドファンディングには資金調達以外にも宣伝の効果もあり、雑誌などのメディアに取り上げられることで、同業者や仲間にも作品を知らせることができるメリットがあります。デメリットがあるとすれば、目標金額が達成できなかったときに、文章を考えた時間が無駄になることと、プライドが傷つく可能性があることでしょうか(笑)。

『四月の永い夢』では、クラウドファンディングで500万円以上集まり、興行的にも成功しました。それは根強いサポーターがいてくれたおかげだと思います。

モスクワ国際映画祭で邦画史上初のダブル受賞を果たした『四月の永い夢』©WIT STUDIO / Tokyo New Cinema

――国際映画祭ではどうやって作品をアピールしたのでしょうか

木ノ内 数を打つこと、足を使って飛び込んでいくことから始めました。例えば、モスクワ国際映画祭の審査員には「新作を観てください」とメールして、直接、その人が滞在していたベルリンまで作品のDVDを渡しに行きました。

ハーバード大学の研究者時代も、映画制作者と同じで、結果を出さなければ評価はもらえません。また、アメリカの大学でも、いわゆるガツガツしなければ評価されませんでした。私の行動力は、そのような厳しい競争で鍛えられたものかもしれません。

中川監督の映画のタイトルを借りると、「走れ、絶望に追いつかれない速さで」です。行動するしかありません。日本の文化や芸術は世界に通用しますから、今の若者にも自信を持って、もっと積極的に世界に出ていって欲しいです。

――これまでの映画制作で苦労したことはありますか?

木ノ内 昔から今まで全部大変でしたが……(笑)。特に、2014年の東京国際映画祭で『愛の小さな歴史』が上映されていたときは、『走れ、絶望に追いつかれない速さで』の撮影中だったのですが、プロデューサーの私は映画祭に出席しなければならず、撮影現場に行けず混乱が出てしまいました。しかし、それが会社の体制を見直すきっかけにもなりました。

また映画制作会社と言えば、常にカメラを担いで撮影している印象があると思いますが、それは仕事内容としては全体の5パーセント程に過ぎず、残りの95パーセントは会議や書類作成、編集作業。映画では決して見ることのない地味な作業です。

これまで試行錯誤しながらやってきましたが、作品の規模が回を追うごとに大きくなっていますので、なるべくスタッフやキャストに大きな迷惑をかけないよう心がけています。

――日本映画は世界に通用するコンテンツでしょうか

木ノ内 私が中学から米国に渡ったのは、最終的には日本文化の発展に寄与したいという気持ちがあったからです。現在、日本映画の国内での売上は過去最高になっていますが、作品数も増えており、ひとつの作品あたりの売上は下がりつつあります。競争が激しくなり、将来を悲観する映画関係者も多く、素晴らしい新人クリエイターの作品もなかなか海外に輸出できなくなっています。そのような状況の中で、私たちはしっかりと世界へ日本の映画作品を広めていきたいですね。

しかし、これからは人口の減少に伴い、売上が下がっていくのは確実で、日本国内だけで勝負しても衰退が待っているだけです。せっかく日本には素晴らしい文化があるので、クリエイターも世界に作品を出していくことを意識していく必要があると思います。

そのためには、グローバル展開を考えて制作し、ハリウッド方式や従来の日本の映画の方法論にこだわらず、自由な発想で世界の人々に観てもらえる作品を生み出し、興行収入を増やしていくことが全体の発展にとって大切だと思います。

海外へ向けて日本の映画作品を広めてきた木ノ内さん。今後の活躍にも期待したい

木ノ内輝(きのうち ひかる)
Tokyo New Cinema代表取締役。北海道生まれ、東京都町田育ち。ハーバード大学研究室在籍中にプロデューサーを務めた『Calling』がボストン国際映画祭にて最優秀撮影賞を受賞。帰国後、製作総指揮を務めた『愛の小さな歴史』が第27回東京国際映画祭にて入選、続けて『走れ、絶望に追いつかれない速さで』が史上初の2年連続入選を飾る。最新作『四月の永い夢』は第39回モスクワ国際映画祭で国際批評家連盟賞及びロシア連盟映画批評家表彰をW受賞。青山学院大学総合文化政策学部協力教員。

(聞き手・木下あやみ、撮影・和田咲子)

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