連載コラム・共感にあらがえ

世界最悪の紛争地から考える「共感」の限界

  • 文・永井陽右
  • 2018年8月9日

Shingo Mine

共感――。ビジネス、趣味、恋愛から、価値観の対立が起きている現場まで、昨今あらゆるシーンで重視されているキーワードです。「共感すること」を否定的にとらえるひとはまずいないでしょう。

しかし、この「共感ムーブメント」とでも呼ぶべき現状に違和感を感じている26歳の若者がいます。

彼は、内戦が続くアフリカ・ソマリアを中心に、若いギャングやテロリストの脱過激化や社会復帰の支援などに取り組む紛争・テロ解決活動家の永井陽右さん。

今日から始まる26歳の若者による“反共感論”。連載初回は、永井さんが共感への違和感を持つきっかけとなったソマリアでの活動を紹介します。

ながいようすけ

永井陽右(ながい・ようすけ)
1991年、神奈川県生まれ。早稲田大学在学中にNGO「日本ソマリア青年機構」を設立。16年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの紛争研究修士課程修了。17年より「日本ソマリア青年機構」をNPO法人化し、「アクセプト・インターナショナル」の代表理事に就任。現在51人のメンバーでテロと紛争の解決に向けて活動中。著書に「ぼくは13歳、任務は自爆テロ。: テロと戦争をなくすために必要なこと」(合同出版)など

ソマリアから届く殺害予告

「お前をイスラム法廷で裁く」

ソマリアからFacebookで私に送られてきたメッセージは、殺害予告だった。送り主は、ファラハンというソマリア人男性。彼は、私たちが手がけるギャングの脱過激化・社会復帰支援事業で受け入れた1人だった。

とあるギャング組織のリーダー格でありながらソマリアの民兵組織に入った彼は、ドラッグでハイになっている間は特に危険で、銃やナイフを持ちながらその攻撃性をぶちまける。このようなメッセージの後には、多くの場合銃を持っている写真や残虐な写真が威嚇のように続けて送られてくる。

大学1年時、「比類無き人類の悲劇」と言われたソマリアの紛争を知り、その紛争解決を決意し、行動し始めてかれこれ6年半が経った。去年からは世界からテロと紛争を無くすと定め、紛争当事者(主にユースギャング)の脱過激化と社会復帰の支援に取り組んでいるが、私たちの活動は基本的に楽しいことよりも辛いことのほうが多い。

突然の殺害予告は比較的珍しいものの、会ったこともない人から突如不穏なメッセージが届くこともあるし、テロや銃撃戦を間近で経験したこともある。最悪のケースを考えるリスクマネジメントは毎度精神が磨り減るし、プロジェクトの対象者とは半年に一度は支援要望に関して喧嘩をする。

Photo : Yosuke Nagai

なぜこんな仕事をしているか、続けているかというと、シンプルにテロと紛争を無くしたいと思うからだ。好きでも得意でもないが、世界を良くすることを考えた時、それはニーズの多寡(たか)とやれる人がいるかいないかの二つの視座から検討すべきことだと考えた。

テロと紛争を無くすためには、和平プロセスや和平合意が組めない紛争地で起きる憎しみの連鎖や、紛争当事者が社会に戻れず暴力を繰り返してしまう負のサイクルを崩し、平和を前進させるポジティブな循環を作り出すことが今必要とされている。

共感しやすいのは女性、子供、難民? 偏る支援対象

2011年当時からNGOにおける国際協力の活動分野には大きな偏りが存在していた。場所としては東南アジアがダントツで人気があったし、分野としては教育がぶっちぎりで、人道援助や保健衛生なども国際協力活動を志す若者の心を掴んで離さなかった。そして、支援対象としては共感しやすい子どもや女性、難民が今と変わらず人気だった。そのこと自体を非難するつもりはないが、事実として明らかに偏りは存在していた。

その現実を前に、自分としては、どれだけリスクがあろうと、前例がなかろうと、ニーズがあるのに見捨てられているソマリアに何としてもこだわろうという気持ちが強くなった。何がやれるかではなくて、何をすべきかでイシューを選び、そこから帳尻を合わせようと決意した。

そこで、まずはソマリア人やソマリアの関係者とつながるべく走りまわり、その後は、自分たちだからこそできることをやろうとした。

だが、さすがに現地には問題も多々あったため、結局紛争孤児の留学支援やスポーツ用品を収集し、現地の若者のスポーツチームに送ることなどから始めることになった。それらの活動と同時並行で支援のニーズを調査しつつ、どんなアクションがベストなのかと常に考えながら動いていた。

活動していくうちに、問題をどうにかするためには、被害者よりも忘れ去られている加害者側に目を付けることが問題解決において不可欠である上に費用対効果も高いということを見出した。そしてそこにこそ、私たち若者だからできることがあると理解した。

そうして私たちはソマリア人ギャングにフォーカスすることにして、泥沼化している紛争における、ギャングやテロリストといった紛争当事者を支援の対象とするようにした。その活動を通して実感したのが「共感」への問題意識だった。

「共感」が持つマイナスの側面

Photo : masato df / Getty Images

近年、世界的に「共感」が一つの大きなキーワードになっている。戦争や社会における対立など様々な問題の原因には共感の欠如が大きく作用していると言われる。また、共感は、人々の日常においても重要となった。

価値観が多様化した今、広告、SNS、資金集め、ブランディング、ビジネス……あらゆるシーンで共感が鍵と言われ始めている。共感できるかできないか、そしていかにして共感をつくるか、これらが成功の大きな要因になりつつある。まさに“共感の時代”が到来している。

私自身、共感には大いなる可能性を感じる。共感はエネルギーを生むし、人の心を揺さぶることができる。人々をつなぎ、団結させ、まだ見ぬ可能性を形にしていくことができる。

しかしながら、私は同時に、この共感というものが決して万能ではないということを常々感じている。共感にもマイナスの側面があり、用法・用量を考えないとプラスの側面を上回ることもある。

一例を挙げるならば、国際協力や社会貢献の対象として、子ども、女性、難民は共感しやすく、それ故に支援者や援助資金が多く集まるという現実がある。が、これは決して良いことではない。

まず、共感されない人と共感を生めない人は取り残されることになってしまう。さらに、共感の奪い合いを生むことにもつながる。そうして支援を手に入れるために共感を生むことが目的化してくると、往々にして本来の目的からずれていくことになる。

目線を我々の日常に転じてみると、前述したこととは違った「共感」の側面が見えてくる。まず、そもそもこの世界には個人として決して共感できない存在が潜在的に数えきれないほどいて、個々人の主義主張や信条、共感するポイントは異なる。そして人間一人が共感できる数にはおそらく限界があるため、共感はどうしてもスポットライト的性質を持つことになるのだ。

さらに、共感は、自分と感覚を同じくする他者をつなぎ内集団(*)とすることに長けているが、実際問題としてそのような内集団同士がバチバチと対立をしていたりする。共感だけでは決して解決できない問題があるうえに、共感が問題を発生させることすらある。

(*)個人が愛着や忠誠の態度をもちながら、みずからを同一視して所属意識をもつ集団 

そう考えると、問題認識・問題解決を共感という軸のみで処理することの不適切さ、およびこの世界には自分には共感できない人が存在し、その存在が無くなることはおよそ無い、ということをよく理解しておくことが大切なように思える。ちなみにこれは紛争地であっても日本であっても、全く同じだ。

この連載のテーマは、「共感にあらがえ」とさせていただいた。私の見立てでは、共感の対義語は「権利」であり、権利に根差した理性的な力こそが世界を良くしていく鍵となるのではないかと考えている。共感の時代において、共感が持つ負の面を具体的に考察するとともに、それに代わる何か、または共感を支える何かについて検討をしていきたいと思う。


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