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内なる「身体性」をかたちに 落合陽一演出の日本フィル「変態する音楽会」

  • 2018年8月28日

「変態する音楽会」では、映像にオーケストラの楽器のひとつという役割を担わせた=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

一番楽しめたのは、クラシック音楽の演奏会に初めて来た人だろうな。

そう思えるコンサートが8月27日夜、東京・初台の東京オペラシティコンサートホールでありました。メディアアーティストの落合陽一さんが演出した日本フィルハーモニー交響楽団の「変態する音楽会」です。

別にイケナイことをしようというのではありません。「テクノロジーの力で生まれ変わるオーケストラと音楽」という副題のとおり、淡々と演奏が続くだけのクラシックコンサートに一石を投じよう、という試みです。切り口は「楽器としての映像」です。

会場に足を踏み入れて、「おやっ」と思いました。舞台背面の投影装置にです。多くのLEDを編みあげた縦約8メートル、横約2メートルの縦長。映像とオーケストラのコラボ自体は珍しくありませんが、スクリーンは映画のような横長が相場で、こんな縦長を見るのは初めてです。

舞台背面に置かれた幅2m、高さ8mのLEDで映像が表示された

落合陽一さんと日本フィルのコラボプロジェクトvol.1「耳で聴かない音楽会」と同様に、振動と光で音の特徴を伝える装置「SOUND HUG(サウンドハグ)」や「Ontenna」を使える席も用意された=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

私は新聞記者として、20年以上クラシック音楽の取材をしてきました。振り返れば、パリ国立オペラ座の日本公演「トリスタンとイゾルデ」では、映像作家ビル・ヴィオラさんの耽美な映像が舞台背面を埋めるフルスクリーンで上映されました。冨田勲さんの「イーハトーヴ交響曲」で踊る初音ミクを映したスクリーンも横長。ベルディのオペラ「オテロ」をメディアアーティストの真鍋大度さんが映像演出した際は、ホール壁面全体に映像を映し出し、見た目は横長の感覚でした。

「変態する音楽会」で、あえて縦長を選んだ理由は? 気になります。

プログラムを開いて曲目を見ると、有名な舞曲ばかり。踊る肉体、つまり「身体性」がもう一つのテーマでしょう。1曲目のドボルザーク「スラブ舞曲第1番」は、映像なしの演奏。2曲目のブラームス「ハンガリー舞曲第1番」で映像が登場します。

ただ、曲の冒頭だけ回転するプロペラのようなものが映し出されただけ。赤い照明が管弦楽を引き立てます。

本格的な映像は3曲目から。冒頭で、何かの骨組みのような形が映り、それが解体・再構成されながら、下へ下へと、らせん回転していきます。その様子をぼんやり眺めながら、曲名を思い出しました。サンサーンスの「死の舞踏」、つまり骸骨の踊り。エネルギーの減衰やタナトス(死)を思わせる映像に触発されて思い出したのです。

サンサーンスの「死の舞踏」の演奏=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

次は「ビゼーによる舞踊組曲」です。まず「アルルの女」から「ファランドール」を。2階バルコニー席に筑波大学ダンス部の16人が登場し、長さ1メートルほどのパイプを手に演出に加わります。冒頭に登場する「3人の王の行列」の荘厳な旋律では、光るパイプが王笏(おうしゃく)のごとく垂直に立てられます。映像はというと、線香花火の火の玉のような丸いものが動き回ります。どうやら海老原光さんが振る指揮棒にリアルタイムで同調しているようです。

海老原光さんが振る指揮棒の動きをリアルタイムで読み取り、映像の動きを同調させていた=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

そのまま、「カルメン」から抜粋した「ハバネラ」「アラゴネーズ」「セギディーリャ」「ジプジーの踊り」を次々と。立ち上る煙のような映像に、オペラの主人公カルメンはたばこ工場に勤めていたなあ、と思い出したり、曲の盛り上がりに合わせて「トライアングルを細かく切ったようなもの」が、魚の群れのように動き回って大活躍したり。

めくるめく変容する映像を見ながら気づきました。「魚のようなもの」は登場しても、「魚」と名前で呼べるようなものは登場しない。具体的な形ではなく、音楽の推進力やエネルギーのような抽象的なものに焦点があてられている。だから縦長なのか、と。

上下運動が強調される縦長画面は、エネルギーの推移を表現するにはうってつけです。背面いっぱいの横長映像のように、視覚的に会場を支配することもない。音楽に拮抗(きっこう)するのではなく、音楽の一部として存在する映像。

筑波大ダンス部の16人が、LEDで発光するパイプを手に映像に加わった=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

映像はビジュアルデザインスタジオWOWが担当。リアルタイムで映像を動かして「演奏」した=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

とすると、この映像はどんな「楽器」なのか。無音なので、演奏家が手にする楽器と同列になろうとしていたわけではないでしょう。むしろ、本物の楽器が決して具現化できない、音楽のただ中にいる奏者や聴衆の心のたかぶりや情動を生で可視化する、そんな、人間の「内なる身体性」をかたちにする「演奏」だったと思えます。

休憩時間にホワイエに出ると、フラメンコの実演が始まりました。歌、踊り、ギターと三拍子そろった身体性の塊です。コンサートで音楽が紡いできた躍動感が、突然目の前に降ってきた驚きがありました。

休憩時間にホワイエで行われたフラメンコの実演=撮影・矢野拓実

ワークショップで指揮者役を務める落合陽一さん=写真提供・日本フィルⒸ山口敦

演者たちは演奏会後半の冒頭にそのまま登場し、ラベルの「ボレロ」のリズムを聴衆が体感するワークショップの演じ手となります。盛り上がりましたが、これは諸刃(もろは)の剣でした。「ボレロ」という舞曲を体感するのに、切れ味ある人の動きに勝るものはなく、続いて始まった演奏と映像のコラボに、物足りなさを感じてしまったのです。

たった二つの旋律を絡み合わせながら、徐々に音量と音圧を上げていく、約15分間の長い長い上り坂。映像は、そんな曲に生まれる情動をよくとらえていました。だからこそ逆に、ステージでダンサーが踊ってくれたらなあ、と思ってしまうのです。踊りを見てしまった後だから。フランス生まれのバレエダンサー、シルヴィ・ギエムの佳演がある演目だけに、なおさらです。演奏も、独奏の受け渡しは味わいがありましたが、最高潮に達する終結部にやや物足りなさを残しました。

アフタートーク終了後、笑顔で参加者の撮影に応じる海老原さん(左)、落合さん(中央)、近藤さん=撮影・矢野拓実

終演後のホワイエで、落合さん、指揮者の海老原さん、映像を担当したビジュアルデザインスタジオWOWのディレクター近藤樹さんによるアフタートークがありました。

演奏会の最中は会場が暗くて気づかなかったのですが、聴衆の半分以上は、普段クラシックコンサートではほとんど見かけない20~30代の若い人たちです。そんな若者たちが、終演後も興奮冷めやらない様子でトークに聴き入っている。

感動の、こういう収め方もあるのかと、知りました。どうやら私は、聴き方の「常道」から抜け出せなかったようです。

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(文・&マガジン編集部 星野学)

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