インタビュー

バレーボール日本代表キャプテン柳田将洋インタビュー。不安に翻弄されずに、一歩前進する力を。

  • 2018年9月19日

  

2017年4月、バレーボール日本代表キャプテン・柳田将洋選手は、プロとしてドイツ1部リーグに移籍した。日本国内リーグであるVリーグに参戦している選手の多くは企業に所属する会社員であり、日本ではプロバレーボール選手は珍しい。柳田も大学卒業後はサントリーのバレーボールチーム『サントリーサンバーズ』のメンバーとしてVリーグに参戦し、2016年に最優秀新人賞を受賞している。

野球の米メジャーリーグやサッカーの欧州各リーグのように、海外で日本人のスポーツ選手が活躍することは珍しくなくなりつつある。しかし、バレーボールで海外挑戦する選手はまだまだ少ない。今回は、柳田が単身ドイツに渡った理由と、そこでの生活、海外選手と渡り合って得たものを聞いた。

日本代表に選ばれ続けるために、海外挑戦は必然だった

  

2015年のワールドカップ、日本は1995年以来の5勝をあげて6位に入る好成績をおさめた。この原動力になったのが柳田をはじめとする若い選手たちだった。相手が触ることもできない強いサーブや、身長186cmの柳田が2メートル超の相手ブロックを打ち抜くプレーに多くの人が魅了され、この大会で柳田の名前はバレーボールファン以外にも知られるようになった。この頃、すでに柳田の中には海外への挑戦が頭に浮かんでいた。

「ワールドカップの後から、海外でやりたいという思いが強くなっていきました。東京五輪に向けて海外のチームと戦い続ける大切さを痛感したけれど、日本にいてはできない。僕自身も、努力をしないと日本代表に選ばれ続けるのは難しいと感じました」

日本は、ワールドカップ後のリオデジャネイロ五輪世界最終予選兼アジア予選で6敗し、五輪出場を逃した。柳田がドイツのチームに移籍したのは、予選敗退の1年後のことだ。

「最終予選で負けて五輪に出られなかった、そのコートに僕は立っていた。この現実を目の当たりにして、絶対に海外に行かなければならないという気持ちになっていきました」

  

海外挑戦と同時にプロになる選択の背中を押したのが、サントリーのチームメートでワールドカップでも一緒だった酒井大祐選手だった。2018年に現役を引退した酒井は、2006年当時所属したチームとプロフェッショナル契約を結んだ、日本では数少ないプロバレーボール選手のひとりだ。

「酒井さんとよく話しました。勝つことにこだわる酒井さんは、特にチームが劣勢のときに厳しかった。『ウィングスパイカーは注目されるポジション。いつもコート上での振る舞いに気をつけろ』『考えるのは、点を決めてから』など、シンプルだけど核心を突いたアドバイスや評価がうれしかった」

プロは、チームの勝利に貢献できなければ即仕事を失う。勝つためのチームプレーの大切さを行動で示してきた酒井の言葉は、柳田に厳しい環境に身を置くことでこそ得られる成長の可能性を感じさせていた。

  

恵まれた環境から離れる恐怖と葛藤に向き合う

サントリーという安定した環境を離れて、次のステージに挑戦することを決めた柳田に、怖さや葛藤はなかったのだろうか?

「会社員としてプレーすることに比べたら、プロになって海外挑戦をするリスクはとても高い。自分は本当にプロになれるのか、1年半、考え続けました。怖さもあったけれど、僕が目指すのは会社員ではない。では、自分はこれから何を目指すのか、そこに向かってどう進むか、その先に何があるのかを考えたときに、2020年の東京五輪で結果を残すことは大きな目標になると思いました。五輪は、“そこに出るんだ”という気持ちを出して一つずつ決断して進んでいかないと出られない大会だし、僕の競技生活のなかで最も大きな目標です。今は、東京五輪の結果で自分の人生は変わるのだと、そう信じてやっています」

  

日本のバレーと、海外のバレーの違いは?

今の日本代表チームは、端正なルックスと爽やかな雰囲気がある選手のキャラクターがフォーカスされることも多く、日本で開催される国際大会の会場は、女性ファンで埋め尽くされる独特の雰囲気がある。アイドルのような扱い方には賛否両論あるだろうが、こうした選手個人の魅力が伝わることでバレーボールファンの裾野が広がっている一面もある。ドイツと日本では、バレーボールを取り巻く環境に違いがあったのだろうか。

「僕個人が感じていることですが、日本の応援は、遠くからでも足を運んで選手個人を応援するスタイルです。でも、ドイツは地域全体でチームを応援するスタイルで、家族で試合を見に来ていて子どもも多い。ファンの中には年配の人や男性も多くて、街を歩いていると『昨日の試合、良かったよ』と話しかけてくれるのがうれしかった。逆に活躍できなかった試合の後は、ファンも『次はがんばれ』という態度で接してくる。僕にとって結果を残すとは、点を決めることであり、勝つことです。負けたのに称賛されることはないと思っているので、試合で結果を残したときに応援というかたちで評価されて、それが自分の成績として数字に残ることにやりがいを感じました。プレーのひとつひとつが勝負で、活躍できなかったらこの先いる場所が無くなるという状況は、日本で会社に所属したままでは経験できなかったことです」

ドイツのチームには、様々な国からプロとして選手が集まっていた。多国籍なチームメートとプレーしたゆえの学びもあったという。

「日本だと自分にムチを打ってがんばる人が多いけれど、ドイツでは無理なものは無理と投げ出す選手もいたし、練習をやめて帰る選手もいた。楽観的な選手もいれば、少しのミスで気持ちが落ちる選手もいて、ドイツに行って僕が思っていたバレーボールの概念は覆されました。プレーにも多様な価値観があることがわかって、プラス面もマイナス面も感じられた良い経験でした」

2018年7月、柳田はポーランドのチーム『Cuprum Lubin』に移籍すると発表した。柳田が海外挑戦を決めたときに一つの目標にしていたのが、世界的にもレベルが高いポーランドリーグでプレーすること。彼は、自らのプレーで次のステップへの道を切り開いた。

日本代表のキャプテンとしての誇り

  

現在、柳田は18~32歳と幅広い年齢の選手が集まる日本代表チームでキャプテンを務めている。本人は「コミュニケーション上手でもなく、カリスマ性があるわけでもない。正直、メンバーをまとめて引っ張っていく気もない」という。だが、ドイツでの経験は、彼なりのキャプテンシーに生かされていた。

「ドイツチームのセッターは19歳でしたが、ダメなプレーは注意し、良いプレーは褒めるという率直なコミュニケーションの取り方が一貫していました。年齢によって態度や対応を変えないスタイルが良いなと思って、代表チームでも風通しの良い環境づくりを心がけています。メンバー全員が、何をしたいのかを発言できる環境は大切だと思う。言いたいことをきちんと言えば伝わるし、代表チームは、発言し考えて自立して動ける選手ばかりです。僕がキャプテンとして気を付けているのは、ゴールをはっきりさせること。最初は同じゴールを頭に描いていても、毎日毎日バレーをしていうちに目指すものがぼやけていくことがあるので、そこを伝えていく。『自分たちはどこに向かってバレーをしているのか』を、メンバー全員で確認するようにしています」

  

柳田は21歳のとき初めて代表メンバーに選ばれたが、試合に出る機会は少なかった。最初はうまくなりたい、試合に出たいという気持ちが先行していたが、次第に日の丸を背負ってプレーすることの重みを理解していったという。

「国を背負って戦うことは、誰にでもできることではない。バレーをしている人ならみんな、代表メンバーとして国際試合のコートに立ちたいと思っている。僕たちは絶対に、そういう選手がたくさんいることを感じながらプレーしないといけない。僕はバレーボール選手として日の丸を背負って戦うことに誇りを持っているし、そこに立つことが自分の存在意義だと思っています」

  

インタビューの最後、「バレーボールは面白いですね」という筆者の一言に、柳田はその日一番の笑顔を見せた。彼が挑戦を続けるのは、“バレーボールは面白い”というシンプルなことを多くの人に伝えたいからなのだろう。

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(文中敬称略)

(文:ライター 石川歩 写真:白松清之)

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