本を連れて行きたくなるお店

川上弘美さんの小説『センセイの鞄』の舞台になりそうな居酒屋“三州屋”

  • 文・写真 笹山美波
  • 2018年9月28日

カフェや居酒屋で、ふと目にとまる、ひとり本を読んでいる人。あの人はどんな本を読んでいるんだろうか……。なぜその本を選んだのだろうか……。本とお酒を愛する編集者で鰻(うなぎ)オタクの笹山美波さんは、本の中の物語が現実世界とつながるような、そんなお店に連れて行ってくれます。

  

蒸し暑い日が続くと思っていたら、あっという間に本格的な秋に突入せんとしている。涼しい風が吹き、日の入りが早くなった。過ごしやすいし、鈴虫の音が聴こえたりするのでなんだかうれしくなる。

私は酒飲みなので、居酒屋で飲む燗酒(かんざけ)をおいしく感じる時には、もっともっとうれしくなる。秋が旬の秋刀魚(さんま)も一緒に注文したりして。川上弘美さんの小説『センセイの鞄』の主人公・ツキコさんも、私と同じ居酒屋で季節の変化を楽しむタイプだと思う。

居酒屋のカウンターに並んで育む、元先生と生徒の恋の物語

『センセイの鞄』は、谷口ジローさん作画で漫画化、小泉今日子さんと柄本明さん主演でテレビドラマ化もされている

『センセイの鞄』は、駅前の居酒屋で十数年ぶりに再会したツキコさんと高校の恩師が、お酒を飲みつつたくさんの会話を交わし、時にはきのこ狩りや花見へ行き、一緒に季節を味わいながら仲を深めていく様子を描いた恋愛小説だ。

再会は、少し肌寒さが増す季節。ツキコさんは居酒屋で1杯目から熱燗を注文する。それに合わせて頼むのは、「まぐろ納豆、レンコンきんぴら、塩らっきょう」。通年楽しめるメニューと旬の料理の組み合わせで、実にセンスがいい。その後、彼女に続けて全く同じ注文をする客が登場する。それが「センセイ」こと、松本春綱先生だ。

卒業から十数年も経つが、お酒と肴(さかな)の趣味がばっちり合っていたのもあり、自然と会話がはずんでいった。この日をきっかけに、お店で偶然会えば一緒に飲む仲になる。待ち合わせは特にしない。カウンターで横に並び、それぞれ自由に飲んだ後は、別々にお会計をする。それが2人のやり方だ。

小説の舞台のような”ちょうどいい居酒屋”

『センセイの鞄』に登場する居酒屋は、飲ん兵衛向けのおつまみや季節の料理があり、冬になると小さな1人用の鍋料理まで提供してくれる。1人で行っても、複数人でも楽しめる。そんな”ちょうどいい居酒屋”が、現実世界にもあるのを思い出した。大衆割烹の「三州屋」だ。

銀座や飯田橋、六本木など東京のいくつかの場所に暖簾分けして出店しているが、今回取り上げるのは蒲田にある「三州屋本店」。現在ある三州屋の中で一番古いお店と聞く。

三州屋本店は蒲田駅東口から徒歩1分、商店街のアーケード沿いにある

趣ある引き戸を開けると、縦に長いL字型のカウンターとテーブル席が5卓の、木の温もりに包まれた黄土色の世界が広がる

壁に並ぶメニューの短冊の中から、定番メニューの「まぐろぬた」、もうすぐ旬が終わる「なす焼き」、秋の食べ頃が始まったばかりの「あさり酒蒸し」をチョイス。取材時は9月上旬だったので、ツキコさんにならって定番と旬の料理を組み合わせて頼んでみた。そして、飲み物の1杯目は冷たい瓶ビール、2杯目は日本酒「樽平」の燗。夏と秋の季節の境を味わうのにパーフェクトな注文だろう。

(左)まぐろぬた(480円)。みその甘さと辛子のピリッとした味がまぐろとわけぎによく合う。(中)茄子焼き(400円)。夏には何度でも食べたくなる。生姜醤油(しょうがじょうゆ)で。(右)あさり酒蒸し(580円)。スープがいっぱいでうれしい

(左)あるとうれしい、苦味がおいしいキリンクラシックラガー(600円)。お通しはしらすおろし。(右)山形の純米辛口の樽酒「樽平」(600円)を燗酒で

まだお腹は空いていて、お酒も残っていたので「鳥豆腐」を追加で頼む。三州屋ではどの店でも共通の名物だ。丼に入った優しい味付けの鶏の水炊き風の煮物を、もみじおろしの入ったポン酢醤油をつけていただく。ほっこりするおいしさ。

鶏のだしが優しく体に染みる、鳥豆腐(480円)。もみじおろしがピリッと効いている

馴染みの居酒屋とパートナーが突然恋しくなる

居酒屋のカウンターに1人で座り、好きなように食べ物やお酒を頼むのは気楽で楽しいが、ツキコさんとセンセイのように、気の合う相手と横並びで飲むお酒も、心がやすらぐので大好きだ。
そして、慣れないお店へ行った後や、少し調子が合わない人や緊張する相手と過ごした後には、急にその時間が恋しくなる。ツキコさんも、好意を寄せてくれていた同級生の小島孝と再会して飲みに行った時、同じ気持ちになったはずだ。

孝の行きつけのバーでは、彼が全て選んで注文した、チーズ入りオムレツ、チシャのサラダ、牡蠣(かき)の燻製をつまみに、ワインをグラスの中でくるくる回しながら会話する。最初は楽しかったのに、なぜだかどんどん違和感が強くなり、センセイのことを思い出してしまう。そんな彼女の気持ちが手に取るように分かる。お腹も心も落ち着かなくて仕方ないのだ。

”ちょうどいい居酒屋”は、お腹も心も満足させてくれる

どんなにおいしくて見た目が良くても、リラックスできないお店や関係は気疲れしてしまう。あるラジオのインタビューで、居酒屋探訪家の太田和彦さんが「食べ物屋やレストランは胃袋を満足させる所だが、居酒屋はお腹も精神も満足させる所」と言っていた。ツキコさんとセンセイにとっては、馴染みの居酒屋と2人の仲が、自分を満たしてくれる大切なものなのだろう。

居酒屋は、1人で行けばカウンターへ座った瞬間気持ちが満足するし、お料理からは季節やぬくもりを感じることができる。人と一緒ならば、気取らない会話とお酌を通じて心を温め合うこともできる。
それに、良心的な価格は、懐にもやさしい。そんな”ちょうどいい居酒屋”が大好きだ。

    ◇

三州屋本店
東京都大田区蒲田5-20-5

営業時間:
月~金 15:00~22:30
土 11:30~22:30
日曜・祝日定休

筆者プロフィール

笹山美波

笹山美波

「東京右半分」に生まれ育つ。編集記者を経て、外資マーケティングサービスのWebプロデューサー、マーケター。ライター。鰻オタク。東京と食に関連する歴史/文化/文学/お店を調べるのがライフワーク。
・ブログ
http://minamii.hatenablog.com/
・Twitter
https://twitter.com/mimi373mimi

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