男らしさの呪縛

その“自信”必要ですか? 自分を「有能」と思い込みたくなる男の心理

  • 文・白岩玄
  • 2018年10月10日

元画像:RichVintage / Getty Images

一年ほど前からだろうか、男性にとって自信というのは必要なものなんだろうかと疑いを持つようになった。まぁ一口に自信と言っても、人によって意味合いが異なるので、まずはぼくの言っている自信の定義をしておいた方がいいかもしれない。

ぼくが問題にしているのは、「自分は有能だ」と思い込んだり、「この分野は人よりも詳しい」と豪語したりするようなタイプの自信だ。本来であれば、それは「うぬぼれ」とか「思い上がり」といった言葉を使った方がいいのだけれど、社会的な評価で自分の価値をはかる傾向があるからだろうか、実際には決して少なくない数の男性が、それを自信だと捉えているような気がする。

事実、ぼくも仕事やプライベートで、自分は有能だと思い込むことによって自信を得ていることがけっこうある。しかもそこには、他人よりも自分が上だとほくそ笑むような、人を見下げる気持ちが含まれているのだ。

人間、そういうものだと割り切ってしまえばそれまでなのだが、問題はそうした優越感を伴った自信の持ち方が、本人の性格を傲慢(ごうまん)に変えてしまうところにある。優秀だと自負するのは結構だが、それが「俺の言うことを聞け」という不遜な態度を招くようなら、他人にとっては迷惑でしかない。

「他人よりも上に立っている」という優越感は手放しがたい

二十代前半だった頃、デビュー作が思いのほか売れたことで、身の丈に合わない知名度とお金を手にしたことがあった。当時はまだ学生だったのだが、周囲のぼくを見る目は変わり、それなりの数の人が一目置いてくれるようになった。

そのときの体の内側から自信が湧き出してくるような感覚を、今でもよく覚えている。社会的な地位や収入の多さが目に見えない透明な足場となって、その上に自分が立っているような錯覚に陥るのだ。

ぼく自身、調子に乗らないようにブレーキをかけていたつもりだったし、一部の人からは地に足がついているねと褒められたりもしていたが、それはそう見せていただけのことで、心の中では相当思い上がっていた。

当時仲のよかった友だちと疎遠になったのも、それが原因だったなと今では思う。彼は始めこそぼくの成功を祝ってくれていたが、ぼくがそれを当然のものとして享受し、自分が一段上にあがったような気になったまま接し続けたことで、そのうちぼくと距離を取るようになった。

それまでは一緒に行動することが多かったのに、しまいには目も合わせなくなり、結局そのまま関係が元に戻ることはなかった。今なら社会的な自分を切り離して人と接することができるのだけれど、当時は自分が有名人のようになったことに浮かれて、どうしようもなく傲慢な男になってしまっていた。

そのときにぼくは思い知ったのだが、他人よりも上に立っている優越感というのは、なかなかに手放しがたい快感なのだ。だから仕事でそれなりの成果を出していたり、会社である程度の役職に就いていたりする男性が、家族や周りの人に対して偉そうに接してしまう気持ちはわからなくもない。

ぼくはその後、二作目がなかなか出せなかったことで挫折したり、優越感を得ていた頃の自分にどこかで違和感を覚えていたりしたのが幸いして、なんとかその傲慢さを認め、自分自身を客観的に観察できるようになったが、もし、挫折もせず、特に疑問も持たなかったら、今よりももっと思い上がった人間になっていただろう。

無意味とわかっていても自信に翻弄されてしまう

ただ一方で、あまりにも自信を失いすぎると、それはそれで厄介なことになる。冒頭で定義したように、ぼくの言っている自信はうぬぼれに近かったりもするのだが、男性が普段から自信をよりどころにして自分を保っていることが多いからこそ、それがなくなると卑屈になるのを通り越して、あっさり潰れてしまいかねないのだ。

stevanovicigor / Getty Images 

二十八歳のとき、ぼくは仕事がうまくいかなかったり、プライベートでつらいことが重なったりして、割と深刻に病んでいた。他人に助けを求めるのは男らしくないと思っていたのか、誰のことも頼れなかったし、すべてを一人で抱え込んで、ひたすら耐え忍ぶように日々をやり過ごしていた。そのときは完全に自信を失っていて、明るい方に目を向ける気力すらなくなっていた。今だから、そんなこともあったな、と他人事のように書けるが、当時は精神的にかなりやばいところまで行っていたと思う。

結局ぼくは、新しい小説を地道に書いて、少しずつ元の自分を取り戻すという方法でその長いトンネルを抜けることができたのだが、もしその小説を書き上げることができていなかったらと思うとゾッとする。

厚労省と警察庁による統計では、男性は女性よりも自殺率が二倍以上高いようだが、それは一度自信を失うと、自力で回復するのが難しいのも関係しているのかもしれない。もちろん自信なんて取り戻さなくても、素直に弱みを見せて、誰かを頼ればいいのだが、そんなときに限ってやせ我慢をしてしまうのが男の人というところもあるのだろう。

結婚して子どもを持ち、昔よりも自分のことを客観視できるようになった今、若い頃のように際限なく思い上がったり、何もかもを一人で背負い込んで病んだりしてしまうことはなくなった。仕事で望むような結果が出なくても、腐らずに自分のできることをやる我慢強さも、少しずつではあるけれど身に付いてきているように思う。

ただ、それでもやはり、ぼくは時おり「自分は有能だ」と思い込みたい衝動にかられるのだ。たとえば妻とケンカをすると、自分の優位性を守るために、あらゆる理屈を総動員して論破しようとしてしまう。

そんなことをしても相手にあきれられるだけで、何の意味もないことは自分でもよくわかっているのだが、痛いところを突かれると、自分の非を認められずに抗戦してしまうのだ。どれだけあとで反省しても、ぼくは相変わらず自信に翻弄(ほんろう)されて、傲慢になったり卑屈になったりしている。

もちろん自信の取り扱いが難しいのは男性に限ったことではない。性別にかかわらず、人は思い上がったり、過剰に自分を卑下したりして周りを困らせてしまう生き物だ。それでも昨今、人々を生きにくくさせているのは、やはりこの男性の自信が原因なのではないかと、ときどき思うことがある。

女性や弱い立場の人に偉そうに指図する男性は、自信があるから横柄になってしまうのだろうし、逆に自信を脅かされるのが嫌で、他人に対して過剰に攻撃的になっている人もいるだろう。ぼく自身もできていないので自戒を込めて言うのだが、男性が自信とうまく付き合っていくことができれば、世の中はもう少し生きやすくなる気がしている。

そして、そのためには、男性自身が優秀さにとらわれたり、社会全体が男性に競争を強いたりするのを、わずかずつでも減らしていくことが必要だ。いつか男性が望まぬ競争から自由に降りたり、自信を持たずとも生きていけたりする世の中になればいいなと思う。

■プロフィール
白岩 玄(しらいわ・げん) 1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。Twitter(@gegenno_gen

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モテないアイドルオタクの25歳公務員、妻のキャリアを前に専業主夫になるべきか悩む30歳出版社社員、離婚して孤独をもてあます35歳広告マン。いつのまにか「大人の男」になってしまった3人は、弱音も吐けない日々を過ごし、モヤモヤが大きくなるばかり。

幸せに生きるために、はたして男の「たてがみ」は必要か? “男のプライド”の新しいかたちを探る、問いかけの物語。

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PROFILE

白岩 玄(しらいわ・げん)

1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。Twitter(@gegenno_gen)

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