連載コラム・共感にあらがえ

加速する“共感の奪い合い” 国際協力の場で広報のプロが重宝されるワケ

  • 文・永井陽右
  • 2018年10月30日

Shingo Mine

テロ・紛争解決活動家の永井陽右さんが「共感」の問題点を考察する当連載。第3回のテーマは、「共感の奪い合い」です。共感を集めると格段に物事が進めやすくなる現代。その獲得競争が生み出す問題点を考察します。

※筆者から「共感」の定義に関する補足:
前回記事で、筆者が示す「共感」について「同情」と同義ではないかというコメントをいくつかいただいた。共感(empathy)と同情(sympathy)の違いは研究者によって様々な見解があるが、本連載では、「同情」を含む「他者の感情に対する理解と共有から生じる、他者の幸福を志向する感情的反応」を便宜上「共感」と呼び、使用していると理解していただきたい。

社会貢献団体で重宝される“広報のプロ”

「永井君が女の子だったら一番良かったんだけどね。学生で、頑張っていて、それでいて女の子だとすごく応援されるよ」

学生時代にとあるNPOの事務局長にそう言われたことがある。大人になった今、あながち間違いではないかもしれないと感じる。

今、共感を獲得すべく社会の様々な場所で競い合いが起きている。その争いは熾烈(しれつ)を極める。共感がある種の指向性を持ちやすい感情である以上、その限られたパイ(人々の関心)をどう獲得するかという構図になる。

最もわかりやすい例は、社会貢献のような支援を必要とする場所での争いだろう。街頭募金、ホームページでの寄付、クラウドファンディングのキャンペーン、ファン獲得のための広報など、戦いの舞台は多岐にわたる。そしてその一つ一つに、様々な工夫が凝らされている。

例えば、まずは人々の目につくように、そして彼らの足を止めさせるために、目を引く見出しやビジュアルを用意する。写真はもちろん共感を引き出しやすいカットを丹念に選び、加工ソフトで編集を加えさらに際立たせる。

また、問題をさらに具体的に感じてもらうべく、誰にでも理解できる簡略化されたヒューマンストーリーも活用される。「複雑な問題が組み合わさった結果9人に1人が餓死しています」とだけではどうにも共感しにくいので、「難民キャンプに暮らす8歳のムナちゃんは、良くても1日1食しか食事にありつけない。母のサミラさんは内戦により親族と離れ離れになり職もなく……」といったストーリーで、引き込んでいく。「どうか見捨てないで」と。

詳しく考えるだけの背景知識やそのための時間を持たない人を、いかにしてわかったように思わせることができるか。難しい問題を実直に伝えたところで共感を生むことはできない。だからこそ、シンプルに、キャッチーに、わかりやすく、共感が湧き出るポイントを押さえつつ様々な手法で訴えかけていく。

そのため、この点において、社会貢献団体にとって最も重宝されるのは、解決したい問題のプロよりも“広報のプロ”となる。とある世界的な社会貢献NPOの有給職員の半数以上が広報・マーケティング担当である事実は非常に示唆的な現実といえよう。

必要なのは本能のままに行動しない冷静さ

もちろん上記のことを一方的に批判する気はない。というよりもできない。なぜなら、かく言う私も社会貢献分野で活動しており、首を傾げながらではあるが、少なからず前述した類いの手法を使ってきた。

例えば、メディアにおける国際報道にさける時間枠ないし紙面枠は大いに限られており、国際社会が注目するシリア・イラクの問題と、国連の威信がかかる上に自衛隊が派遣された南スーダンでキャパオーバーなので、多くの人々の注目はそこに集まる。

だからこそ、私は自身が関わるソマリアを「世界最悪の紛争地」といったようなインパクトのあるわかりやすいフレーズで形容し対抗しなければという気持ちがあった(今や「世界最悪」「最貧困」「最も残虐」「大虐殺」「子供兵」などのフレーズは社会にありふれているけれど)。

Saklakova / Getty Images

私はこの共感争いに対して強い問題意識を持っている。というのも、なりふり構わぬ共感争いの中で、共感の獲得が手段ではなく目的となっていくケースは珍しくないからだ。こうなってくると、取り残されがちな社会課題はさらに取り残されていくだろうし、何よりそれらを取り巻く社会が歪んでいくのではないかと思えてならない。何も考えなくとも半ば本能的に理解できるよう周到に用意された社会課題とその解決策に人々が慣れていった先に何があるのだろうか。

この状態を解決するのは、なかなかの難題であるが、重要なことの一つは、個々人が共感に加えて、他の視点も持つということであろう。表現を含むあらゆるアクションの合理化とアクションの場の多様化が進む社会の中で、受け手の側がふと冷静になってみるということが、行き過ぎた共感獲得競争に歯止めをかける鍵になるのかもしれない。

先日『たたみかた;男らしさ女らしさ特集』という雑誌で早稲田大学教授の伊藤守先生による情動についての記事を読んだ。無意識に湧き出るうえに制御不可能な情動が社会で暴走し、特にSNSはそれを助長しているとのことだった。

そしてその解決策が「ひと呼吸置く」ということ。激しい言葉の投稿を目にし、情動に突き動かされ瞬時にリツイートをする前に、「今自分は情動に動かされている」と考え、一旦立ち止まってみるというものだ。

まさにその通りだ。本能に訴えかけるものは、たとえそれらが問題を生む可能性を孕(はら)んでいるとしても、それに対する自らの反応を抑えることは簡単ではない。ならば、「ああ、本能出ちゃっているな、自分」と考えてみる。それはまさに一つの理性的な視座であろう。

そしてそれは別の理性的な視座をもたらすきっかけにもなるはずだ。共感争いが激化するこの世界で、情動的な共感が湧き出た刹那、ひと呼吸する冷静さが求められている。

    ◇

ながいようすけ

永井陽右(ながい・ようすけ)
1991年、神奈川県生まれ。早稲田大学在学中にNGO「日本ソマリア青年機構」を設立。16年ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの紛争研究修士課程修了。17年より「日本ソマリア青年機構」をNPO法人化し、「アクセプト・インターナショナル」の代表理事に就任。現在51人のメンバーでテロと紛争の解決に向けて活動中。著書に「ぼくは13歳、任務は自爆テロ。: テロと戦争をなくすために必要なこと」(合同出版)など


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