男らしさの呪縛

男友達を喜ばせるために女性を傷つけたことも……。男性が“有害な男らしさ”を見つめ直すきっかけとは?

  • 「白岩玄×清田隆之」対談(前編)
  • 2018年10月30日

  

「自信」「デート代をおごる/おごらない」「マザコン」……これらの“男らしさ”が関わるトピックについて、小説家・白岩玄さんが独自の視点で考察する連載「男らしさの呪縛」。

今回はスピンオフ企画として、「いま“男らしさ”について考えることの意義」をテーマに、白岩さんと恋バナ収集ユニットとして活動する桃山商事の清田隆之さんに対談をしていただきました。その模様を2回にわけてお届けします。

前編は、2人が自分の「男らしさ」に疑問を持ち、内省を始めたきっかけについての話し合いになりました。

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男性はダメ男の話を聞いて「オレはまとも」と満足しがち?

――今回は白岩さんのエッセー「男らしさの呪縛」で扱っているテーマをもとに、桃山商事の清田隆之さんをお呼びして、2人で議論を深めていただければと思います。

白岩 このタイミングですみません、結婚指輪をトイレに忘れてきたので取ってきます。

清田 ええっ……!

(白岩中座)

白岩 ありました(笑)。

清田 よかったです。このテーマで結婚指輪をなくしかけるとは、なんか意味深ですね(笑)。エッセーや小説を拝読しました。男性がこのようなテーマを書くのはけっこうレアだと思うので、興味深かったです。

ぼくは女の人から恋の悩みや愚痴を聞く「桃山商事」というユニット活動をやっていますが、相談の中でひどい男の話をたくさん耳にするんですね。浮気彼氏やモラハラ夫、話を聞かない男やすぐ不機嫌になる男など、そこでは似たような話が何度も出てくる。それでだんだんと「自分にも似たようなところがあるような気がする……」という問題意識が芽生えてきたんです。そこから男性性(心理面、精神面における男性的傾向)や男らしさについて考えだすようになりました。

  

清田隆之(きよた・たかゆき)

1980年、東京生まれ。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。2001年、恋愛の悩みに耳を傾ける活動「失恋ホスト」を開始し、これまで1000人以上の男女から見聞きした話をコラムやラジオで紹介している。『cakes』『WEZZY』『anan』『GINZA』『精神看護』『すばる』『文學界』など、幅広いメディアに寄稿。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)、『生き抜くための恋愛相談』(イースト・プレス)、『大学1年生の歩き方』(左右社/トミヤマユキコとの共著)がある。


白岩 それについて、ひとつお聞きしたかったことがあるんです。清田さんはなぜ自分の男性性の問題を省みることができたのでしょうか? というのは、ぼくも女性から恋愛相談を受けることが多かったのですが、ひどい男たちの話を聞いても、「自分はそこまでじゃないな」と思って、安心してしまっていたんですよ。だから恋愛相談をきっかけにして、自分の内面を掘り下げることはできなかった。

清田 ユニットでやっていることが大きいと思います。自分だけだったら「その男ヤバいな」ってひとごととして捉えたり、「俺のほうがイケてるぜ」と自分を棚に上げてしまったりしていたと思うのですが、ユニットでやっていると「お前も昔元カノに同じことしてたよな」と指摘されてしまう。

白岩 監視の目が利いているんですね。

清田 たとえば過去に付き合っていた女性が髪を切ってボブにしたことがありました。それを一緒にいた男友達の前で「ちんちんみたいな髪形だね〜」と笑い、彼女を泣かせてしまったことがあります。今思うと最悪な言動なのですが……当時は泣かれた意味がわかりませんでした。

あとから振り返ってみると、あれは完全に男友達を喜ばせるためのイジりだった。相手からしたら気持ち悪いだろうし、尊厳も傷つきますよね……。「女の人を道具にして男同士の連帯を確かめる」というのは“ホモソーシャル(男性間の強い連帯関係)”の典型的な景色で、フェミニズムの世界でさんざん指摘されている問題だった。それを知ったとき、「俺ってまさにこれじゃん」って、ギクッとした気持ちになりました。

白岩 そうやって自分を省みることで、過去の行いを後悔する感じですか?

清田 後悔したところで許されるわけではないと思いますが、当時は「女の人にひどいことをしている」なんて意識はまったくなかった。中高を男子校で過ごしたことも大きいと思いますが、それくらい男性社会的な価値観をナチュラルにインストールしていた気がします。女性のことも性的な存在としてしか見ていなかったし、外見でしか判断することができなかった。こういう“有害な男らしさ”のことを「Toxic Masculinity(トキシック・マスキュリニティ)」と呼ぶそうですが、女性たちの話を聞いたり、ジェンダーのことを学んだりする中で、自分の言動を顧みる意識が少しずつ芽生えていった感じです。

白岩 その場では自分のしたことを反省できても、またすぐに忘れて日常に戻る人が多い中で、清田さんがずっとそのことを考え続けられるのはなぜなんでしょうか?

  

清田 それでも昔の感覚が完全に抜けたとは言い難いのですが……語り合う場があったのは大きいと思います。2011年に桃山商事でネットラジオをはじめたら、「男の人が恋愛の話を内省も含めて話しているのは珍しい」と聞いてくれる人が増えていきました。正直なところ、こんなに反応があるんだと驚きました。そういったモチベーションも、活動を継続できているひとつの理由です。

男性の内面は大きな喪失体験で変化する?

清田 白岩さんの連載を読んで面白かったのは、第1回で書いていた「女性の願望を先回りしてかなえていた」という話です。そうすることで相手は自分のことを好きになってくれるけど、白岩さん自身は満足できない……。似たような男性の話を聞いたことがあります。彼は相手の期待を読み取り、それに合わせた振る舞いができるそうなのですが、それで相手が喜ぶと、なぜかイラッとしてしまうと言っていました。

  

白岩 ああ、わかります。彼女の喜ぶ顔を見ると冷める感覚。もう完全に自分が悪いんですけど、無理して頑張っているから、喜ばれてもうれしさが湧いてこないんですよね。しかも頼まれたわけじゃなくて、自分が勝手にやっていることだし。間違った「男らしさ」に縛られていたなぁと思います。

清田 自分の言動の背景に「男らしさ」が関係していることに、白岩さんはどうやって気づいたんですか?

白岩 連載でも書いたんですけど、ぼくの場合は結婚したことが大きかったですね。妻と男らしさや女らしさにとらわれない関係性をつくっていく中で、少しずつ距離が取れるようになった感じです。社会から与えられた役割からは、自分ひとりでは降りられなかったと思います。「あなたにはそういうことは求めてないよ」と言ってくれる人がいて、はじめて許されたような感じがしました。

それと、今話していて気づいたのですが、ぼくは近しい女性との付き合いの中で、自分の男性性を見つめ直してきたような気がします。二十代半ばくらいの頃に、女性も自分と同じ心を持つひとりの人間だということを強く意識するようになってから、そこを軽視してしまう自分と向き合うようになって、非常にしんどい思いをしました。だから今もその延長で、男性性について考えたり書いたりしているんだろうなと思います。

  

白岩玄(しらいわ・げん)

1983年、京都生まれ。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。


清田 クライシスの体験は男性が変わるきっかけになりますよね。挫折の経験や大きな病気、あるいは毛が抜けたとか、いろんなクライシスがありますが、よくあるのは失恋だと思います。

ぼくにとっても失恋は大きくて、特に高校時代から片思いしていた相手と25歳から31歳まで付き合っていたのですが、彼女にフラれたことが自分のジェンダー観を見つめ直すきっかけになりました。桃山商事の活動で折に触れて彼女とのことを振り返る機会があったんですが、たとえば「彼氏が結婚に向き合ってくれない」と悩む女性の相談に耳を傾けているときに「あの人もこんな気持ちだったんじゃないか」と気づかされたり、彼女との間に抱えていた問題についてラジオで質問をされたときに全然うまく言葉にできなかったり……。「俺はあの人のなにを見ていたんだろう」って、自分の視野の狭さや想像力のなさにがくぜんとさせられました。

ぼくにとって彼女は「恋人」でしたが、それ以外にも社会人として働いている時間や、友人や家族と過ごす時間があるわけですよね。彼女と交際していた当時、僕はそんな当たり前のことすらわかっていなくて、自分といるときの彼女が、その人の全てだと思っていた節がある。彼女は病院で働いていたんですが、たまたま職場を訪ねることがあったとき、白衣を着て同僚と話す姿を見て不思議な気持ちになったんです。この人も平日はこうやって仕事をしてるんだって。

女性たちの恋バナを聞いていると、「彼氏は私の仕事に興味がなくて、話を全然聞いてくれない」という話がよく出てきます。自分も完全にそれだったと思います。彼女には高校時代から好意を寄せていて、恋愛感情は常に持っていたんですが、ひたすら「かわいい」と思っていただけで、内面についてはほとんど知らなかったのかもしれない。別れたあとにいろんな女性たちとの語り合いを通じ、ようやく「彼女もひとりの人間だったんだ」という当たり前のことに気づけたような気がします。

でも、これってぼくだけでなく、おそらく多くの男性が経験していることだと思います。個々の体験を超えて共通しているということは、そこになんらかの構造的な問題があるんだと思います。これもジェンダーの問題に興味が湧いたひとつのきっかけです。

母親にキレていたことを隠す男性心理

清田 連載の中では第4回の「マザコン」問題も面白かったです。結婚式の日取りを決めるのに、白岩さんは思わず母親に電話をかけてしまう。そんな自分を「母親に許可を得なければ何もできない未熟な男」と省みるくだりが興味深かったです。

というのも、女性たちから恋バナを聞いているとマザコンの問題によくぶち当たるんですよ。マザコンって何も「ママ大好き!」という男性だけを指すのではなく、恋人や妻に母親機能を求めたり、自分が負うべき責任をしれっと女性に押しつけたりする男性のことも含むと思うんですよ。

  

たとえば「息子介護」という問題を研究している社会学者の平山亮さんは、著書『介護する息子たち』(勁草書房)の中で「男性が息子としての自分に向き合うこと、そして、息子としての自分をオープンにすることは、男性としての経験のなかでも、ハードルの高い経験なのではないか」と指摘しています。「ケアされる存在」だった自分を直視し、「ケアする存在」になるべく母親との関係を再構築していくというのは、想像するに難しいことだと感じます。

そもそも、母親との関係において自分がどういう息子だったかを考えるのって、けっこう恥ずかしいことばかりですよね。たとえば部屋を掃除してくれていた母親に対して「ババア、勝手に入るなよ!」なんて言ってしまった経験は誰にでもあると思いますが、そういう自分の“過去恥部”をなかったことにしている男性は少なくないと感じます。男としての自己イメージと息子としての姿には隔たりがあって、“息子としての自己”を人前で語るのは、平山さんが言うように相当ハードルが高いように感じます。

白岩 母親からしても、息子との距離感の取り方ってけっこう難しいんじゃないですかね。娘だと自分の若い頃と比較したりもできますけど、息子だと自分に置き換えて考えられないところがあるのかもしれません。「こんな感じでいいんじゃないの」と関係性を築くときの基準がゆるくなってしまう。母親と息子の関係って、やっぱり親子である以上、危うい部分もあると思います。

清田 そういうときこそ同じ男性である父親の出番だと思うんですが、母親と息子の関係に介入してくる父親ってあまり想像できませんよね。

白岩 まぁ人にもよりますけど、そんなにたくさんはいないでしょうね。特にいまは離婚などで父親がいない家庭も珍しくないじゃないですか。ぼくは死別ですが、父親という存在を知らないまま成長した男性には、自分の中の男性性をどう受け止めるのかという葛藤があったりもするんですよね。それはそれで厄介なのですが、なかなかケアされない部分だと思います。

清田 今思ったのですが……こういった会話って、「根が深い」とか「難しい」とかで終わりがちですよね。「ここまでは考えたけど、ここから先は難しい」と。それってつまり、男らしさの問題を語るときの言葉があまり蓄積されてないということを表しているんじゃないかと思います。(後編はこちら

(構成・山本ぽてと 撮影・小島マサヒロ)

  

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白岩玄さんが20代を赤裸々につづった連載「ありのままの20代」はこちら

 

■BOOK

『たてがみを捨てたライオンたち』
集英社/1600円(税別) 白岩玄 著

写真

モテないアイドルオタクの25歳公務員、妻のキャリアを前に専業主夫になるべきか悩む30歳出版社社員、離婚して孤独をもてあます35歳広告マン。いつのまにか「大人の男」になってしまった3人は、弱音も吐けない日々を過ごし、モヤモヤが大きくなるばかり。

幸せに生きるために、はたして男の「たてがみ」は必要か? “男のプライド”の新しいかたちを探る、問いかけの物語。

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PROFILE

白岩 玄(しらいわ・げん)

1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。Twitter(@gegenno_gen)

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