男らしさの呪縛

「男性らしさの規範」から抜け出すと“負け組”になってしまう問題

  • 「白岩玄×清田隆之」対談(後編)
  • 2018年10月31日

  

&Mの連載「男らしさの呪縛」のスピンオフ企画、「小説家・白岩玄×恋バナ収集ユニット『桃山商事』清田隆之」対談の後編です。

前編では、2人が「男らしさ」に疑問を持ち始めたきっかけに始まり、男性の内面を変える喪失体験へと話が広がりました。

後編では、どうすれば男性が「男らしさの呪縛」から抜け出せるのか、その方法について2人が考察します。

<<対談の前編はこちら>>

「男らしさ」の問題を同性と共有できない苦しさ

清田 「男らしさ」や「男性性」の問題点について話していると、いつも「根が深い」とか「難しい」という言葉で終わってしまう感覚がある。それはこの問題に関し、蓄積されている言語の量が圧倒的に少ないからではないか……そんな話が前編の最後に出ました。ぼくは専門的にジェンダーを学んだわけではないので偉そうなことは言えませんが、たとえばフェミニズムの世界では、「女らしさ」や「女性性」をめぐる問題に関してかなり細かなところまで言語化が進み、学問としての体系もできている。男女を比較すると、言語の蓄積がかなり異なっている印象があります。

これは学問的な領域の話だけでなく、我々自身についても当てはまる傾向だと感じます。たとえば「女子会」って悪く言われがちですけど、女の人はああいった場で自分のことを言語化し続けているような印象です。桃山商事で恋バナを聞いていても、女性たちは話が明解です。何があったのか、そのとき何を考えていたのか、なぜその行動をとったのかなど、しっかり言葉で説明してくれます。これが男性になると、何の話をしてるのかイマイチわからない。たとえば「相手の女性はどんな人なんですか?」って聞いても、「まあ普通にいい子ですね」みたいなことが返ってくる。端的に言って話の解像度が粗いというか……。

おそらく言語化の力って筋肉のようなもので、その鍛えられ方には圧倒的な男女差があるかもしれません。だから白岩さんのように自分の考えていることを言葉にしていくことはとても大事だと思うし、ぼく自身も言語化の力を上げていきたいです。

  

清田隆之(きよた・たかゆき)

1980年、東京生まれ。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。2001年、恋愛の悩みに耳を傾ける活動「失恋ホスト」を開始し、これまで1000人以上の男女から見聞きした話をコラムやラジオで紹介している。『cakes』『WEZZY』『anan』『GINZA』『精神看護』『すばる』『文學界』など、幅広いメディアに寄稿。著書に『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)、『生き抜くための恋愛相談』(イースト・プレス)、『大学1年生の歩き方』(左右社/トミヤマユキコとの共著)がある。


白岩 本当はこういう話をもっといろんな男性としたいんですけど、なかなかできないんですよ。伝わらないことも多いし、伝わったとしても嫌な顔をされてしまう。

あと、同世代の男友達の中には、自分の内面を言語化することを必要としないというか、旧来的な男性の生き方を違和感なく続けている人も多いんです。個人的にはそういう男性が多少なりとも変わってくれると、硬直した社会がもう少し柔らかくなるんじゃないかと思うんですが、やっぱり生き方の問題なので、他人がとやかく言うことじゃないよなと思ってしまうんですよね。そうやって考えていると「俺ひとりで掘り下げていればいいや」という気持ちになってきちゃって。

清田 桃山商事でも、恋愛相談に来る人の99%は女性です。最近は男性も増えてはいるんですが、それでも少数です。

白岩 ただこの前、社会学者の鈴木涼美さんと作家のはあちゅうさんとの対談を読んでいたら、自分たちが諦めるとこの国は「絶望している女性と勘違いしている男性」の構図のまま変わらないんじゃないか、というようなことを話されていたんですよね。

それ自体には何の異論もないんですけど、現状、そうした「女性VS男性」の構図になってしまっているのがマズいことだなとは思っていて。本来はジェンダー問題が語られる場で「最近は男性性に向き合っている男の人も増えてきたけどね」という話が自然と出てくるような状況を作らないといけないと思うんです。ですから、ぼくの中で「生き方の問題は他人に強要することじゃないから、俺一人やっていればいいや」という気持ちと「共感してくれる人を増やして、認知されるところまではいかなきゃ」という気持ちの両方があります。

  

白岩玄(しらいわ・げん)

1983年、京都生まれ。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。


すぐ褒められる? コスパがいい男性の家事や育児

清田 もっとライトに語り合いたいですよね。でも、自分の欠点や弱点に向き合い、それをさらけ出し合うのってめちゃくちゃ難しいですよね。苦しさや孤独を分かち合う「被害者の会」や「ピアサポート」のような形の連帯ができるわけでもないですし……。

白岩 どちらかというと「加害者の会」ですよね。男性が社会の中でげたを履かせてもらっているからこそ、自分の持っているものを手放した上で集まって話せたらいいんですけど、それは非常に難しいし、手放したつもりでも、ついつい履いてしまっているのがげただと思います。自分たちが社会の抑圧者という一面を持つ以上、言葉がまっすぐに伝わりにくい。でも、難しくてもやりたい気持ちはあります。

清田 すごくデリケートな話なので言い方が難しいんですが、男性が内省をしながら男性自身の問題に向き合うと、それだけで褒められたりすることがある。「男の人なのにめずらしい」「あなたみたいに話のわかる男性が増えるとうれしい」みたいなことを言われてしまうと、つい得意げになってしまったりする。正直ぼくも、油断するとすぐ調子に乗っちゃいそうなので、「いかんいかん」と言い聞かせています。

白岩 わかります。ちょっとかたくななのかもしれないけど、「誰の称賛も受けないぞ」という気持ちにならざるを得ないんですよね。たとえば家に妻の友達が遊びに来た時に、お茶を出して台所に立っているだけで「いい旦那さんだね」と言われる。そのことに喜んでいる自分と、「喜ぶな!」と叱責(しっせき)する自分の両方があって。正直、なにをしているんだろうと思います(笑)。

清田 意地悪な言い方をすると、男性の家事や育児って称賛の受けやすさという点でコスパがいい世界だと思うんですよ。ちょっとやっただけで「ありがとう」と言われたり、家事メンやイクメンと褒められたりする。

  

白岩 特に育児はおそろしいです。ちょっとでもコミットしていればそれだけでほめられるし、履かされているげたが異様に厚いと感じます。ただ、普段から家事や育児をしている自分が、家事や育児をしない男性を下に見てはいけないと思うんですよね。人間だから、そうして自尊心をくすぐられてしまうこともあるんですけど、そこにブレーキがきかなくなったらよくないですし。

清田 そこかしこにワナがあって、男性性から距離を取るのは本当に難しいなと感じます。「普通の男はやらないけれど、俺は家事をやるぜ」と変な優越感を持ってしまったり、下手すると「俺はマチズモから下りたぜ」「まだ男らしさで消耗してるの?」みたいなマウンティングをしかねないという……。

白岩 そうなんです。そこで自慢がはじまると、もうわけがわからなくなる。そういう意味では、あまり連帯しない方がいいのかなと思うこともありますね。一人で修行僧のように内省を続けるというか(笑)。

清田 日々の生活の中で、粛々と向き合っていくしかないのかもしれません。

「男らしさ」なんていらない、と言うのは簡単だけど……

白岩 連載を続けていて思ったのが、「こういう話って、男性はあんまり読んでくれないんじゃないかな?」ということだったんですよ。内省するのは、人によっては面倒くさくてしんどいものだと思うので。

  

清田 「男らしさ」の規範意識が男性を苦しめている部分って確実にあると思うんですが、内省を促す言葉って当事者にとって耳の痛いものになりがちで、男性に届けるのはなかなか難しいですよね。「内省するとめっちゃモテるぜ!」みたいな話なら反応してくれるのかもしれませんが……。

白岩 残念なことに、男らしさから降りたからといってモテるわけじゃないですからね。

清田 自分自身、男らしさの規範から少しずつ解放され、ずいぶん気持ちが楽になった感覚がありますが、それができたのは自分がフリーランスの物書きだからかもしれない、とも思います。もし男性中心社会的な空気の濃い組織にいたら、同じようにできたかどうか……。「そんなことしてたら競争から脱落しちゃうよ!」って話かもしれない。心が通じ合える仲間ができて、共感しあえるけれども、それは男社会的な視点からは負け組が傷をなめ合っているように見えてしまう可能性が高いわけで。

白岩 そうそう。この国は女性差別が蔓延(まんえん)していると言われる中、一部の男性が「おれらこそ虐げられてばかりだ」と反論するのも、男社会で満たされない思いをため込んでしまった反動からきている部分もあると思う。

清田 「俺のほうがつらい!」という気持ちが、なぜか女性蔑視に向かってしまうケースもめちゃめちゃありますもんね……。白岩さんの小説『たてがみを捨てたライオンたち』にも、主人公の先輩にそのような登場人物が出てきて印象的でした。

白岩 そういうことも含めて書かないと、フェアじゃないと思ったんですよね。男性って学生時代に「女性から受け入れられる男性」と「受け入れられない男性」に分けられがちじゃないですか。本人の見た目や言動を、その場の空気でなんとなく評価することによって、その人が一生背負うことになるかもしれない大きな傷をつける行為が平然と行われている。そして一度「受け入れられない男性」のレールに乗ってしまったら、なかなかそこから抜け出すのは難しい。世の中はそれに対して「自己責任だ」と言いますけど、ぼくはそれはちょっと厳しすぎると思うんですよね。

  

「男らしさ」なんていらない、と言うのは簡単だけど、自分が持っていないものを持ちたい願望はなかなか消えません。「女性にモテたい」と思うことに対してはどう向き合えばいいのか。「男らしさの道」を進んで男性として強者になってもしょうがないよと言ったところで、あまり意味がない気がします。

清田 男らしさから解放され、自分や他者ときちんと向き合えるようになることが快感や達成感に感じられる価値観の社会だったら、それもひとつのメリットになると思うのですが、現状がそうなっていませんもんね。

「仕事の話、エロ話、バカ話しか話すことがない」から抜けだそう!

清田 では、どうすればいいか。万能な解決策は到底わかりませんが、ひとつのアイデアとして、男性同士が相互ケアできるようになれば、だいぶ変わるんじゃないかという気がします。もっと男性同士で気軽に“お茶”をできればいいのになって。

白岩 よほど親しい仲でもない限り、男性から「お茶しよう」と言われると、ちょっと身構えてしまいますよね(笑)。

清田 お茶をするとは、簡単に言うと「近況や感情を共有し、肯定し合う」ってことだと思うんですが、分かり合いたいとか、優しくされたいという気持ちって、誰もが持ってると思うんですよ。我々にはなぜかそれを女性に求めてしまう傾向があると思うんですが、それって男性同士でも提供し合えないんですかね。女性同士って、おしゃべりやスキンシップを通じてかなりできているように見えるんですよね。なぜ男同士では“癒やし”を調達できないのか……。

  

白岩 習慣がないからこそ、何をしていいのかわからない部分もあるでしょう。基本的に仕事の話か、趣味の話か、エロ話、バカ話くらいしか話すことがない。でも、そういうのは栄養ドリンクと一緒で、飲むと元気になったような気になるだけなんですよ。本当は男の人も同性間で優しさや癒やしを交換できたらいいと思うし、その中で自分自身のことを語る言葉も生まれてくると思います。男性は女性を介さなくても、自分たちで自分の問題を解決できるんじゃないですかね。

でも、今のところ身近に話し合う場所がないから、ぼくは一人で掘り続けるしかない……という結論に至るんですけどね。

清田 孤独な作業だけど、我々はそこから始めなきゃいけないような気もします。十年くらい続けたら、掘った穴が深いところでつながるかもしれませんね。

白岩 十年か。長いなあ(笑)。

  

清田 どこかの地下水脈でばったり会って、「そっちも掘ってたんですか!」って。

白岩 ぼくはその頃には男性であることすらあまり意識しないようになっているかもしれませんね。

清田 いいですね、ぼくもそういうふうになりたいです。長い道のりですが、それまで互いに掘り続けていきましょう(対談おわり/前編はこちら)。

(構成・山本ぽてと 撮影・小島マサヒロ)

<<特集の一覧ページはこちら>>

白岩玄さんが20代を赤裸々につづった連載「ありのままの20代」はこちら

 

■BOOK

『たてがみを捨てたライオンたち』
集英社/1600円(税別) 白岩玄 著

写真

モテないアイドルオタクの25歳公務員、妻のキャリアを前に専業主夫になるべきか悩む30歳出版社社員、離婚して孤独をもてあます35歳広告マン。いつのまにか「大人の男」になってしまった3人は、弱音も吐けない日々を過ごし、モヤモヤが大きくなるばかり。

幸せに生きるために、はたして男の「たてがみ」は必要か? “男のプライド”の新しいかたちを探る、問いかけの物語。

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PROFILE

白岩 玄(しらいわ・げん)

1983年生まれ。京都市出身。2004年、小説『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、小説家デビュー。同作は芥川賞候補作になり、テレビドラマ化。70万部のベストセラーになった。著書に『空に唄う』『愛について』『未婚30』『ヒーロー!』など。Twitter(@gegenno_gen)

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