小川フミオのモーターカー

日本のクルマ製造の発展史そのものだった“羊派”セダン いすゞフローリアン

  • 世界の名車<第235回>
  • 2018年11月12日

1980年に最後のマイナーチェンジを受けフロントマスクを中心に変更された

クルマを評価する指標として、「堅実さ」があるとしたら、「いすゞフローリアン」が代表例だろう。華美さはなく、まっとうなかたちのセダンで、1967年から82年まで、長い期間にわたって製造された。

フローリアンは発売当初「羊派」として売り出された。メーカー自身のカテゴリー分けで、「狼派」は「ベレット」。新聞広告や販売店の窓に貼られたポスターで大々的な宣伝が打たれていた。当然、小学生だった私は”狼がかっこいい”と思っていたものだ。

テールゲートへ続くラインには流麗さを感じるがサイドウィンドーのベルトラインはガタガタしている

カロッツェリア・ギアが手がけた67年のオリジナル

フローリアンは、だがしかし、なかなかいい味をもったクルマである。私は長じるにいたって、そう思うようになっていった。スタイリングを担当したのはイタリアのカロッツェリア・ギアで、66年の東京モーターショーに出品された際の車名は「いすゞ117」だった。

もともとは、セダンとクーペのプロジェクトだった。まずセダン版としてフローリアンが出て、そのあと翌68年に「117クーペ」が発売された。ホイールベースが2500mmのシャシーは両車共用だったというのは、ちょっと驚きである。

後者が、言うまでもなく流麗なスタイリングを持っていたのに対して、フローリアンはかなり実質的なパッケージだ。高めの全高を生かしたヘッドルームは広く感じたし、リアクオーターパネルにもウィンドーが設けられていて明るかった。

左右対称のダッシュボードのデザインは左右いずれのハンドルにも対応するために当時の欧州車の多くが採用していた

69年にはブルーバードSSSの市場に参入すべくスポーティーな雰囲気のモデルも作られた

ドイツなら「コンパクト・メルセデス」や「アウディ100」、フランスなら「プジョー504」といったクルマが好きだった私にとって、それらの日本における対抗馬がフローリアンという印象だった。質実剛健さを追究するのも、クルマの魅力である。

ひょっとしたら開発費があまり潤沢ではなかったからかもしれないが、もう少し動力性能が高く、もう少しデザイナーさん、特にフロントマスクをいじった人のセンスが違ったらなあ、と当時は惜しんだものだ。

70年にマイナーチェンジを受けた際の仕様

なにより興味ぶかいのは、フローリアンは日本の自動車製造の発達史そのものと言えることだ。

自動車先進国に力を借りて開発し、気化器のついたエンジンを搭載し、OHVだったエンジン形式をSOHCにし、当初は3段マニュアルのみだった変速機もやがて5段となり、そして石油危機があるとディーゼルを追加……といったぐあいである。

71年に発表されたフローリアンバン(ピックアップトラックも存在した)

写真=いすゞ提供

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PROFILE

小川フミオ(おがわ・ふみお)

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クルマ雑誌の編集長を経て、フリーランスとして活躍中。新車の試乗記をはじめ、クルマの世界をいろいろな角度から取り上げた記事を、専門誌、一般誌、そしてウェブに寄稿中。趣味としては、どちらかというとクラシックなクルマが好み。1年に1台買い替えても、生きている間に好きなクルマすべてに乗れない……のが悩み(笑)。

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