本を連れて行きたくなるお店

カレーの香りに孤食の寂しさを思う 連城三紀彦『もうひとつの恋文』の世界

  • 文・写真 笹山美波
  • 2018年11月30日

カフェや居酒屋で、ふと目にとまる、ひとり本を読んでいる人。あの人はどんな本を読んでいるんだろうか……。なぜその本を選んだのだろうか……。本とお酒を愛する編集者の笹山美波さんは、本の中の物語が現実世界とつながる、そんなお店に連れて行ってくれます。

  

帰り道で、どこからかカレーライスの香りが漂ってくると、うれしくて懐かしい気持ちになる。子供の頃、台所からスパイシーないい香りがしてきた時の気持ちを思い出すからだろう。「あ! ママ、今日カレー?」と聞いて、飛び跳ねるように喜んだ。

同時に、ちょっとだけ寂しくもなる。なぜなら実家を出た今は、なかなか味わえない味だからだ。実家に帰ればいいだけなのかもしれないが、距離やスケジュールの問題もあり、そう簡単にかなえられない。

一人暮らしの自宅で作って食べることもできるけれど、やはり何か違う。市販のルウの半量で作っても3、4人前は出来てしまい、しばらくカレーの日が続くことになる。2日目まではおいしいのだが、その後はだんだん憂鬱(ゆううつ)になってくる。残業や外食続きで食べられず腐らせてしまうことも多い。そもそも作る時間がないという問題もある。

久しぶりにカレーを作ったら3時間以上かかってしまった。作るのは楽しかったし、おいしかったものの、余りを冷凍する作業が面倒で心が折れそうに

一人暮らしの手料理、多めに作れば余らせてしまうと分かっていても

連城三紀彦さんの短編恋愛小説集『もうひとつの恋文』の中のエピソード「紙の灰皿」には、一人暮らしとカレーにまつわる描写がある。

主人公の“私”は、父親ほど年の離れた彼氏の“ヤギさん”と付き合っている。貢ぎ体質の主人公は、売れない詩人として不器用に生きるヤギさんに惚れ、家賃や生活費を肩代わりするためキャバレーやソープランドで働いていた。

2人の出会いは、主人公が大学生の時にアルバイトしていた三軒茶屋のスーパーだ。最初はレジで見かけるだけだったが、ヤギさんが万引きしかけた時に主人公が見つけて声をかけ、未然に防いだのをきっかけに会話するようになった。

ある日、主人公がヤギさんのカゴに入った食材を見て「今夜はカレー?」と聞く。重ねて、いつも1人では食べ切れない量の食材を買っていくことについて、「奥さん病気かなんか?」と質問する。ジェスチャーで1人だと答えるヤギさん。妻子に逃げられていたのだ。

「でもいつも2人分買ってくじゃない」「2人分作るから」「へえ、そんなに大食」「いや、2人分作って残す」「残してどうすんの」「捨てる」「捨てるって、だったら最初から半分だけ買えばいいのに。お肉だってこの半分のパック売ってるわよ」「2人分作っておくとさ、誰か今夜来そうだなって感じがするんだよ」「でも結局は捨ててるんでしょ」「誰も来ないからね、でも寂しいんだ」――。

このやり取りの後、2人の恋は始まる。“鉛筆の芯”みたいにやせ細った姿で、もの寂しい返答をするヤギさんに、主人公は思わず「私も今夜カレーが食べたいって思ってたの」と告げ、アルバイトが終わった後に彼の家へと押しかける。

  

『もうひとつの恋文』は、直木賞を受賞し、萩原健一さん主演で映画化もされた『恋文』の姉妹作。

ヤギさんの言う通り、大鍋に何人前も仕込むと高揚感があるので、私も「どうせなら」と多めに作ってしまう。けれども、一人暮らしだと全部食べきれない。手料理をゴミに捨てる瞬間は、その量が少なくても本当にむなしい。

だからと言って、1人分きっちり作るのも難しいし、レトルトは避けたい(最近はおいしいものも増えたが)。外でカレーを食べられそうなお店を探しても、仕事帰りの時間には、ファミレスや立ち食いそば屋くらいしか空いていない。悪くないのだが、無機質でない誰かの手料理を食べてリラックスしたい時には向かないのだ。

手間暇かけた熱々スパイシーなカレーを食べて身も心もポカポカ

  

東銀座と新富町の間に位置するポール。23時半まで営業しているのがありがたい

東銀座にある小さなビストロ「カレーとワイン 『ポール』」は、そんな気持ちを満たしてくれる。フレンチをベースにした料理と自然派ワインを提供しているが、ここの名物は「STAUB(ストウブ)焼きカレー」。ご飯の上に骨付きのチキンカレーをたっぷりかけ、たまご、チーズを加えて鋳物ホーロー鍋でグツグツ煮立てたもの。お店の方が提供時に目の前でスプーンを2本使ってかき混ぜてくれる。

ホロホロ食感の柔らかなチキン、とろけるチーズ、スパイシーな香り。スプーンでひと口たべれば、幸せが口いっぱいに広がる。カレーにはスパイスをたっぷり使っており、鶏肉は醤油(しょうゆ)ベースのタレで別で煮込んだ後、カレーと合わせて一晩寝かせるので、複雑でバランスの取れたうま味が生まれるそうだ。出来たての温度と手間暇かけたぬくもりが、お腹も心も温めてくれる。

カレーはマスタードシード、クミン、コリアンダー、ターメリック、フェネグリークなどを使った本格派。たまごとチーズでまろやかに

(左)しっかりめに混ぜるのがポイント。(中央)時間が経つとおこげができ、香ばしくておいしい。(右)「辛」と容器に書かれた特製のスパイスをかけるとじんわり辛く、だんだんと汗が流れてきて爽快

ボリュームのあるメニューだが、あまりのおいしさに一気に平らげてしまった。ポールの名物はカレーだが、もちろんその他のメニューもおいしい。その日の気分や好みを伝えれば見繕ってくれる。たとえば、1杯目には微発泡ワイン、前菜には「マッシュルームのサラダ」とロゼワイン、カレーにはシラーワインというように。

自由な注文も可能だが、お店の方と何を食べて飲むかを都度一緒に考えて、感想を伝え、ご機嫌な気持ちを分かち合えることが心地よい。お腹に余裕がなければ、小盛りや持ち帰りにも対応してくれるので、食べ残す心配もない。

また、時折気にならない範囲で、ニコニコと声がけしてくれるのもうれしい。1人で食べていても孤独な時間にならず、そばにいて目配りしてくれるので安らぎを感じる。

グラスワインは日替わりで10種類ほど用意している(800~1200円)

フレンチをベースにした、基本に忠実でひとつひとつちゃんとおいしい料理がうれしい。左から、トマトとからすみの卵焼き(900円)、タコとアボカド(900円)、マッシュルームサラダ(900円)

カウンター8席とテーブル4席のこぢんまりとした店内が落ち着く。おすすめはお店の方と会話を楽しめるカウンター

心を満たす料理には、誰かとの温かいつながりがある

農林水産省が2017年に発表した『食育白書』によると、1日のすべての食事をひとりで食べる「孤食」が増えており、その頻度が週4日以上の人が15%を上回った。孤食は一緒に食事をする相手がいる人に比べ、うつ病リスクが高いという専門家の研究結果もある。

『紙の灰皿』の主人公はそれを知ってか知らずか、万引きをしてしまうほど弱り切った孤独なヤギさんと一緒にご飯を食べて、元気づけたかったに違いない。自分がいれば、誰のために作ったわけでもない手料理を1人で食べるわびしさも、残りを捨てる寂しさも埋められる。手料理にしろお店の料理にしろ、1人で食べ切れずに捨てる体験が続くと心は傷ついていく。

ご飯を食べることには、目や舌、胃袋を満たすこと以上の意味がある。人は、食べることを通じて、誰かとの温かいつながりを感じたいのだと思う。私にとってカレーの匂いとは、幼い日の家族とのうれしい思い出そのものだ。

    ◇

カレーとワイン 「ポール」
東京都中央区銀座2-14-7 銀座OMビル 1F
03-6228-3339
営業時間:
平日 18:00 - 23:30
土・祝日 16:00 - 23:30
日曜定休
http://www.paul.co.jp

筆者プロフィール

笹山美波

笹山美波

「東京右半分」に生まれ育つ。編集記者を経て、外資マーケティングサービスのWebプロデューサー、マーケター。ライター。鰻オタク。東京と食に関連する歴史/文化/文学/お店を調べるのがライフワーク。
・ブログ
http://minamii.hatenablog.com/
・Twitter
https://twitter.com/mimi373mimi

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