大御所シェフのいつものごはん

昭和が薫る銀座の名店「泰明庵」 老若男女に愛される味

  • 文・畑中三応子 写真・小島マサヒロ
  • 2018年12月20日

  

卓越した技術・味覚・知識を持つ料理界のトップランナーが、行きつけの飲食店を明かす当連載。今回はフレンチレストラン「ル・マノアール・ダスティン」のオーナーシェフ五十嵐安雄さんが通う和食店「泰明庵(たいめいあん)」を紹介します。

今回の大御所シェフ

五十嵐安雄さん

五十嵐安雄さん
1955年山形県生まれ、兵庫県育ち。調理師学校卒業後ホテルで腕を磨き、25歳で渡仏して4年間修業を積む。静岡「ルイ・ラツール」、六本木「オー・シザーブル」、勝どき「クラブNYX」の料理長を歴任後、93年に独立して神宮前に「アンフォール」を開店、たちまち人気店にのし上げた。96年銀座に移転して「ル・マノアール・ダスティン」を、99年には東銀座にワインバー「カーヴ・デ・ヴィーニュ」を開店。“イガラシイズム”が光る数々のスペシャリテを創作するかたわら、多くの弟子を育て上げ、日本のフレンチの隆盛に貢献する重鎮。

鬼才が憩う路地裏の和食店

泰明小学校から新橋方面に抜ける短い路地にある泰明庵。老若男女がひっきりなしに来店する

メディアが「鬼才」と呼ぶ料理人は、時代ごとに現れては消えていくものだけれど、元祖「フレンチの鬼才」の五十嵐さんは、30年経ったいまでも鬼才のまま。どんな素材も一目見て「五十嵐さんだ!」とわかるアバンギャルドな料理に仕立ててしまう。

ウナギやスッポンを使ったり、ニンジンで有名なスペシャリテを作り上げたりと、五十嵐さんの料理は融通無碍(むげ)で、枠がない。その裏には、安かろうが高かろうがジャンルも気にせず、あらゆる外食を等価で楽しむ好奇心と、味覚の幅の広さがあるんじゃないかと思う。

そのなかで「泰明庵」は、昼の営業を終え、3時から4時までの休憩時間に「ちょっと飲んで、軽くつまんで気分転換する」とっておきの店だ。

圧倒的な品数と心地よい接客

入り口正面に貼られた膨大な数のメニューに圧倒される

場所は泰明小学校近く、そこだけ昭和が残ったような渋い路地。格子戸を開けると、ずらりと壁に貼られた毛筆の品書きが迎えてくれる。

小さな店の、壮観な品数にまず圧倒される。読んでいくと、そば・うどん・丼物の定番メニューと、板わさなどの定番つまみだけでなく、魚や野菜の気のきいた料理がやたらと多く、再度びっくりする。

「こういうおそば屋さん、ありそうで珍しいでしょ?」と、五十嵐さんはうれしそうだ。「お母さん」と呼ぶおかみの浜野照子さんから今日のおすすめを聞いて、タラコの煮たのと、ホウレンソウのごまあえ、ビールの小瓶を注文した。

ビールとつまみで30分ほど食事を楽しむのが、五十嵐シェフ流の息抜き

五十嵐さんいわく、泰明庵の魅力は、なんといっても使い勝手のよさ。

「食事でも、昼飲みでも、そのときの気分と腹具合に応えてくれる。自分の食のイメージとぴったり合うから、30分いるだけで気分転換できるんですよ」

おかみのつかず離れずのサービスが醸し出す空気感も、五十嵐さんが足しげく通いたくなる理由。11時半の開店から21時の閉店まで、ひっきりなしの客でさぞや忙しいだろうに、クルクル動き回ってニコニコと応対し、あれがほしいなと思うものをすっと出してくれる。お見事な目配りだ。

タラコの煮物(左)とホウレンソウのごまあえ(右)

おかみに、なにが客を引きつけているのかを聞いてみると、「店主の弟が職人肌で、表には出てきたがりませんけど、ひとつひとつ本当にこだわっているので、味がいいからじゃないでしょうか」との答え。

ご主人の江端貞夫さんは毎朝、市場に通って魚を仕入れ、一夜干しやカラスミも手作りするほど手間ひまかけている。刺し身の種類も、小料理屋と思うほど豊富だ。五十嵐さんが頼んだタラコも、生に下味をつけてから、ていねいに煮上げたもの。

「毎晩、閉店してから10時半まで、盛りそば用のすのこをきれいに洗っている弟には頭が下がります」とおかみ。ありきたりな言葉だが、二人の客へのもてなしの心や、店や料理への愛情が伝わってくるから、みな来たくなってしまうのだろう。

「せり」をふんだんに使ったそば、絶品天丼に舌鼓

メニューの数があまりに多いので、おかみにそばと丼物、それぞれ1品おすすめを選んでいただいた。

泰明庵の名物「せりかしわそば」1200円

「せりかしわそば」は、せりの根がおいしくなる10月終わりから翌3月までの季節限定名物メニュー。一人前にせり1把を使い、そばの量も「修行中の若い人がおなかいっぱいになるよう」普通でも驚くばかりの大盛りだから、ボリューム満点だ。

せりは根っこを入れるかどうか尋ねてくれるが、香りが凝縮した根を食べずして、そのだいごみは味わえない。ほかに、具はせりだけの「せりそば」、豚肉入りの「せり肉そば」、「せりカレーそば」もある。この季節は、1日にせり100把も仕入れるという人気メニューだ。

ボリューム満点のせりの根っこ。食べるとシャキシャキとした歯ごたえ

丼では、シイタケ、ピーマン、にんじん、ごぼう、玉ねぎ、なす、かぼちゃの天ぷらが山のように盛り合わされた「野菜天丼」がおすすめ。揚げたてを濃いめのタレにさっとくぐらせた野菜をほおばれば、やさしい味がして、思わずなごむ。

このボリュームで、値段は980円とふところにもやさしい野菜天丼

みそ汁からは、だしのよい香りがふわりと立ち、大量に入った実のホウレンソウにもうれしくなる。ずっと使い続けているぬか床で漬けたキュウリは、しみじみとする味わいだ。

品数の多さは創業60年の歴史そのもの

泰明庵の創業は、1957(昭和32)年。初代は新潟から上京し、老舗天ぷら店の「銀座天國」で修業したのち、魚屋に転身。戦後、いまの場所に家を建てて1階を店舗にし、銀座の料亭相手に高級鮮魚を商っていた。

ところが、政権が日本自由党から社会党に変わると、料亭政治に歯止めがかかって顧客の料亭がバタバタとつぶれ、魚が売れなくなってしまった。そこで、残った魚を活用して仕出し弁当をはじめてみたら、評判になった。次に、魚のアラでだしをとり、うどんを出したら出前注文が殺到した。

だったら、魚屋をやめて食堂にしてしまおうと、開いたのが泰明庵だった。いつしか、そばも出すようになったが、いまでも看板に「軽食」を掲げているのは、そういう歴史があるからだ。天ぷらや刺し身が充実している理由がわかった。

「そばも、うどんも、もともと専門じゃないから」と、おかみは謙遜するが、なんの。2階で打ち立てのそばは、五十嵐さんのお墨付きだし、うどんもなかなか。きしめん風の平打ちを、1日寝かせてから使うそうで、そばに負けないのど越しのよさだ。

釜揚げうどん650円。魅力はなんといってものど越しのよさ

主人もおかみも泰明小学校出身で、同級生には銀座の老舗の子弟がぞろぞろいる。店の周辺は昔、普通の住宅と花柳界の料亭や置屋が混在するような環境だったそうだ。いまでも雰囲気がなんとなくつやっぽいのは、その名残かもしれない。

これまでの道のりを聞くと、品数の多さは一家の歴史そのもの。鬼才がほれこむのも、味のなかに刻まれた長い年月なのかもしれない。

笑顔が絶えない五十嵐シェフと泰明庵の浜野さん

    ◇  ◇  ◇

■店舗情報
泰明庵
東京都中央区銀座6-3-14
丸ノ内線、日比谷線「銀座」駅より徒歩2分
03-3571-0840
営業時間:11:30~21:00(L.O.20:30) *土曜は11:30~15:00(L.O.14:40)
定休日:日曜、祝日

■大御所シェフの店
Le Manoir D'HASTINGS ~ル・マノアール・ダスティン~
http://www.le-manoir-dhastings.com/
東京都中央区銀座6-5-1 MSTビルB1
丸ノ内線・日比谷線「銀座」駅より徒歩3分、JR「有楽町」駅より徒歩7分
03-5568-7121
営業時間 11:30~15:30(L.O.14:00)/18:00~23:30(L.O.21:00)
定休日:水曜

□筆者プロフィール
畑中三応子(はたなか・みおこ)
編集者、ライター、フードジャーナリスト。『シェフ・シリーズ』『暮しの設計』(ともに中央公論社)の元編集長。料理本を幅広く手がけるかたわら、流行食関連の研究や執筆も行う。著書に『ファッションフード、あります。――はやりの食べ物クロニクル 1970-2010』(紀伊國屋書店)、『カリスマフード 肉・乳・米と日本人』(春秋社)など。

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