いしわたり淳治のWORD HUNT

いっそ「1年間、全アーティスト自作自演禁止」にしてみませんか?

  • いしわたり淳治のWORD HUNT〈vol.15〉
  • 2019年1月3日

  

&Mでは新年企画として、連載陣による「2019年の展望」をテーマにしたコラムをお届けします。言葉批評コラム「いしわたり淳治のWORD HUNT」の筆者である作詞家いしわたり淳治さんからは、国民的ヒット曲が生まれにくい現状に対して実験的な提案が。これを実践すれば潮目は変わる!?

作詞作曲はアーティスト本人か?……を重視する日本

テレビは見るものだと思って数十年間暮らしてきたのに、何の因果か、ここ数年はテレビに出る機会が増えた。とはいえ、生来人前に出るのは好きな方ではないので、いまだに自分が画面に映っているのはどうにも恥ずかしくて見ることはほとんどない。それでも、テレビで作詞について自分が何か話すことで、日本のどこかで作詞で悩んでいる人のヒントになったり、世間の作詞や曲作りに対する概念がほんの少しでも変わって、日本の音楽が面白くなったりしたらうれしいと思って出演している。

日本の音楽業界はまだまだ変化の中にある。CDの出荷枚数はどんどん減少し、定額制の配信サービスで聞く人が圧倒的に増えた。街を行く人の多くが耳にイヤホンを入れて歩いているのを見ると、むしろ昔よりも個人が音楽に触れる時間は増えているようにも思う。なのに、それに反比例するように誰もが知っているヒット曲が年々減少している。有名無名新旧問わずタイトルやアーティスト名を打ち込めば、どんな曲でも瞬時に聞けるようになったおかげで、個人が聞く音楽の趣味嗜好・ニーズが細分化して、皆が聞く楽曲が多種多様になり、票が散っているせいだろうと思う。でも、その見方はあくまで音楽を聞く側における原因だ。音楽を“作る側”にはヒット曲を減少させている原因はないのだろうか。

アーティストにも様々なタイプがあり、多くのバンドやシンガーソングライターのように作詞作曲を自身で行うケースもあれば、シンガーやアイドルなどのように楽曲提供を受けてパフォーマンスに徹するケースもある。だが、一般的にアーティストというものをイメージしたとき、まだまだ日本には「アーティスト本人が作詞作曲をしているか」を重視する傾向が、音楽を作る側にも、聞く側にもあるような気がする。

一方、海外では「コライト」といって複数人で曲を作ることが珍しくない。例えば2018年のグラミー賞で最優秀楽曲賞を受賞したブルーノ・マーズの楽曲「That's What I Like」を見ると、作詞作曲のクレジットには、ずらりと8人もの名前が載っている。一般的に自作自演のイメージのあるブルーノ・マーズでもそれにこだわっているわけではなく、楽曲至上主義というか、良い曲を作るための最良の手段として、当たり前にコライトで曲を作っているのである。でも残念ながら、日本はまだまだそういうケースは少ない。

Jaroszpilewski / Getty Images

日本でも1980年代までは、世の中で聞かれるものは、いわゆるプロの職業作曲家・職業作詞家が作った曲が主流だった。アーティストによる自作自演が増えたのはそれ以降で、そこから徐々に「アーティストは自分で作詞作曲するもの」という意識が広く浸透していったように思う。

本来、すぐれた歌を歌う人は“シンガー”でよいはずで、その人が作詞、作曲、編曲の何もかもすぐれていなければいけない、ということはない。もちろん世の中に自作自演による名曲はたくさんあって、そんな風に全てを自分で出来てしまう天才も大勢いるけれど、だからといって皆が皆必ずしもそうでなければいけないわけではないと思う。むしろ今の時代、アーティスト本人が高いプロ意識を持って、誰にどんな曲を作ってもらうか、そのハンドリングを完璧にこなすことだって、アーティストとしてのセンスの問われる、非常にレベルの高い自己表現の形のひとつだろう。

どんなに良い声を持っていてもそれを生かすメロディや言葉がなければ宝の持ち腐れだし、逆にどんなに素晴らしい言葉を持っていても、すぐれたメロディや声がなければそれがたくさんの人に届くことはない。

また、作詞、作曲は時代とともに求められるものが変化していくものだ。本当にすぐれたシンガーが、自作自演にこだわりすぎたがゆえに姿を消していくというのも、日本の音楽にとって果たして本当にいいことなのだろうか。そう考えると、世の中に無意識のうちに浸透してしまった「作詞作曲は本人であるべき」という考えが、昨今のヒット曲の減少と関係がないとは言い切れないような気もしてくる。

純粋に「曲の良し悪し」で音楽を判断するには……?

いっそのこと「2019年の1年間、全アーティスト自作自演禁止」というルールを設けてみるのもいいかもしれない。自分で作詞作曲をしてはいけないとなると、当然、他の人にお願いしなければいけなくなる。自分自身を誰にどう料理してもらうか。その意識ですべてのアーティストが他の人の音楽を聞くようになるだけでも、日本の音楽に新しい風を生むような気がする。

「へえー、あの大物アーティストが、あの新人に曲を作ってあげたんだ!」「あの人って、こんな曲もやるんだ」みたいなサプライズもあるだろうし、普段なら生まれないまさかの豪華コラボなども生まれるに違いない。

聞く側も2019年の1年間にリリースされる曲はどれも自作自演ではないのだから、頭の中に無意識のうちに刷り込まれた「本人が作詞作曲をしているか」という概念からしばらくのあいだ解放されて、純粋に「曲の良し悪し」で音楽を聞く習慣が身につくのではないだろうか。

誰とどんな曲を作るかという考え方は、自分をどう見せるかという“セルフ・プロデュース”の考え方と直結している。くしくも今は、SNSをやっているすべての人が無意識あるいは意識的にセルフ・プロデュースをしているような時代である。もしかしたら、その意味でも「2019年の1年間、全アーティスト自作自演禁止」というルールは、音楽界におけるセルフ・プロデュースのうまさを競うイベントみたいな側面もあって、案外時代と合致しているというか、面白いんじゃないかと思うのだけれど、どうだろう。

ガラパゴス化と揶揄されることも多い日本のJ-POP。これからも長く続いていく日本の音楽の歴史において、ほんの一年くらいこんな年があってもいいような気がする今日この頃である。

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PROFILE

いしわたり淳治(イシワタリ・ジュンジ)

1997年、ロックバンドSUPERCARのメンバーとしてデビュー。全曲の作詞とギターを担当。2005年のバンド解散後は、作詞家としてSuperfly、SMAP、関ジャニ∞、布袋寅泰、今井美樹、JUJU、少女時代、私立恵比寿中学などに歌詞を提供するほか、チャットモンチー、9mm Parabellum Bullet、flumpool、ねごと、NICO Touches the Walls、GLIM SPANKYなどをプロデュース。現在オンエア中のコカ・コーラCM曲「世界はあなたに笑いかけている」(Little Glee Monster)や、情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)のエンディングテーマ曲「Electric Kiss」(EXO)の作詞も担当するなど、さまざまな音楽ジャンルを横断しながら通算600曲以上の楽曲を手掛ける。

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