つくりびと

唐津とアメリカの2拠点活動で生まれる変化 陶芸家・中里花子さん

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  • 2019年1月30日

  

佐賀県唐津市の里山にたたずむ工房&ギャラリー「monohanako」。豊かな緑に囲まれた建物の扉を開けば、ハウスミュージックやジャズが流れる中、鮮やかな手つきでロクロを回している人がいる。陶芸家の中里花子さんだ。

人気陶芸家の中里花子さん

彼女が作るのは、唐津焼をルーツにしながらもモダンなフォルムの器。黒、白、グリーン、ブルーなど優しい色合いに彩られ、凜としたたたずまいの器は、非常に人気が高い。実際、このギャラリーにも、花子さんの器を求めてわざわざ遠方からやってくる人も少なくない。

ここ唐津の工房と、米メイン州にある工房を半年ごとに行き来しながら創作活動を行う花子さん。そんな彼女に器作りへの思いを聞いた。

工房に併設するギャラリーに並ぶ器

陶芸一家に生まれても

ロクロで削りの作業を行う

親兄弟が焼き物をやっているから、あえて私がやることではない――。人間国宝の12代中里太郎右衛門を祖父に持ち、父と兄は唐津焼の伝統と革新を担う陶芸家という陶芸一家に生まれた花子さんであったが、幼い頃から陶芸家になるつもりは一切なかったという。若き花子さんが熱中したのはテニス。16歳の時にプロテニスプレーヤーになる夢をかなえるべく、単身で渡米を果たす。テニスの道は志半ばで諦めることとなるが、大学を卒業する20代前半まで過ごしたアメリカでの経験こそが、彼女の何にもとらわれない器作りを始めるきっかけとなった。

「プロテニスプレーヤーになるという夢が破れてしまってからは、次に何をやったらいいのかわからない状態でした。テニスをやめた後、大学でアートを専攻したのですが、思考や哲学を優先させる西洋美術に違和感をもち、逆に食生活の中にも季節を取り入れるなど、日々の暮らしに敏感な日本文化に興味を持ち始めたんです。そしてもっと生活に密着したアートを作りたいって、そうなんとなく考えるようになりました」(花子さん)

どんな質問にも真っすぐに語ってくれたのが印象的だった

そのようにして器作りへの思いが芽生えた花子さんは、アメリカの大学を卒業後に帰国し、世界的に有名な「隆太窯」を開いた父・中里隆氏に師事することになる。しかし、その時でさえ、積極的に陶芸家になるという強い思いがあったわけではなかったそう。

「小さい頃から陶芸家になるつもりは0%、むしろマイナス100%くらいだったし、まさか陶芸家として生きていくなんて思ってもいませんでした。そもそも本心としては、アメリカでまだ暮らしたかったんです。でも学生ビザが切れてしまったら、外国人は特殊技術がないとアメリカに滞在できない。だったら、実家で器作りの技術を学んで、手に職をつけてからアメリカに戻ってこようと。ビザのためというかなり不純な動機で、ひとまず帰国して修業することにしました。そんな私に対して父は、ものづくりの基本を習得することは、感性が磨かれるし、この先無駄にはならないと寛容でしたね」

とはいえ、弟子生活は極めて過酷。掃除から始まり、窯のメンテナンス、釉薬(ゆうやく)掛け、まき割りといった仕事が8割以上で、自分の作品を作る機会はほとんどない。実際にプロダクトを作ることがたまにできても、父・隆さんデザインの湯のみや小皿を作る程度。家族であっても甘えは許されなかった。むしろ、当時窯を仕切っていた兄は、より厳しく接してきたという。

「ビザのために始めたということもあって、自分にも納得いかないし、窯を仕切る兄は厳しいし、葛藤だらけの日々でした。早くここから抜け出したいと思いながらも、勝ち気な性分ゆえ、途中で逃げたくないという意地もあったので、ロクロの技術だけはしっかりと習得したいと。1分1秒も惜しいくらいだったので自分の時間なんてなかったけど、テニスで培った集中力と瞬発力、持久力があったから続けられたのかも。でも今思い返せば、後々の仕事のスタイルを確立することにつながるので良かったのかなって」

目指すのは、生活の道具としての器

窯入れを待つカップや小皿など

3年弱の修業期間を経て花子さんは、2000年に再び渡米。かつて祖父に師事していたアメリカ人の陶芸家のもとで5年間の修業を積むことに。それまでの隆太窯での雑務や父親のプロダクトを作る日々から一転、自分の作品と向き合うことになった。

「自由のきかない隆太窯のおかげで(笑)、自分の作品を作りたいというハングリー精神が一気に芽生えましたね。ここで師匠や奥さんと一緒に料理をしたり、ご飯を食べたりするうちに、焼き物で食べる食事はおいしいし、そんな食卓を彩る器ってやっぱり素敵だなって。こうしたことって、ずっと父の教えで育ったはずなのに、あまりにも身近すぎて気づけなくて、アメリカで生活したからわかったことなんです。改めて、私はこういう器を作りたいって思いました」

器には、イニシャルの“h”の文字が彫られている

その後、花子さんは修業を続けながら、日本やアメリカの各地で作品を発表していき、周囲の評価を高めていく。そして2007年に故郷の唐津に「monohanako」を、2010年には米メイン州にも工房を設立し、二つの拠点で創作活動をスタートさせた。

「パートナーがアメリカ人だし、ずっと日本だけでやっていくのも無理があるかなって。ゆくゆくはどちらか選ばなきゃとは思ってはいますが、ものづくりする上でいい切り替えになっているんです。2拠点での活動は肉体的・金銭的には大変ですけど、考え方や視野が広がる。アメリカに行く前は、料理に合うようにと白や黒の器が多かったんですけど、向こうに行ったら色味のあるものを作り始めたりして。どちらも自然の豊かな場所なんですけど、色彩が違うからおのずと作る器にも変化が表れて面白いんです。違う環境や場所に身を置くことで自分を客観的に見ることができるし、行き来しているうちに作品に変化が起きて飽きない。ものづくりにおいてはプラスに働いていますね」

ロクロで器を削った後は、乾燥の工程へ

花子さんのアイデアの想起は、葉っぱの形や果実の色といった自然界から。といっても、すぐに作品に反映されるわけではない。数年後に、「あの器の色や形はあの時の自然の色からかな」と気づくこともあるという。それは頭で考えずに、自然体で創作を行っているから。

「陶芸って自己表現のひとつではあるんですが、私はそこにフォーカスを当てたくない。日常の中で器を使うことで心がちょっと浮き立ったり、逆に落ち着かせたり、そういうものであってほしい。だからあまり自分の思いを入れ込みたくないんです。ただ、焼き物って恐ろしいほどに自分のコンディションが表れるんです。良きも悪きも。そのためには自分のコンディションを整えること。散歩したり、きちんとごはんを食べたり、音楽を聴いたり。当たり前のことだけど、丁寧に暮らすことで自分の心が整って、良い制作につながるんです」

美しくてやわらかな曲線に圧倒される

400年以上も前、桃山時代に始まったといわれている唐津焼。それまで作陶手段は、土を手でこねて作る「手びねり」のみだったが、朝鮮半島からロクロを使った技術が伝来したことにより、器の生産性が一気に上がったといわれている。のちにお茶道具として高く評価されるが、初期の唐津焼は日常的に使われる雑器だったという。そんな唐津焼のスピリットが花子さんのものづくりの原点になっているそう。

「釉薬や焼き方は違うけれど、ロクロの技法などの作陶方法は、唐津焼がベースになっています。唐津焼ってロクロのスピードが速いんです。一見いい加減に思えるかもしれないけど、生産力をあげるために、素早い動作でささっとロクロで形成し、手の込んだ装飾のないのが唐津焼。だから強い自我や自己表現が反映されていなくて素朴。そんなところが魅力的だと思いますし、無我夢中にロクロと一体化させて作る作陶スタイルはアスリート気質の私にフィットしているのかも」

モダンな形の花瓶は、生活を彩ってくれるはず

生活の道具として日常に寄り添う器作りを行う花子さん。最後に「つくること」について聞いてみた。

「私は手作りの焼き物を作っていますが、ただ自分の表現のためだけではなく、焼き物が人間のコミュニケーションツールとして存在してほしいと思っています。器って、使われてこそ意味のあるものなんです。また、器は洋服と同じように、使い手の自己表現にもつながるし、あるいは料理が楽しくなってくるかもしれない。そしてそこにおいしい料理があると会話も弾みますしね」

長年連れ添うパートナーのプレイリーさんと

中里さんの作品はこちら

<データ>
monohanako
TEL/0955-58-9467
住所/佐賀県唐津市見借4838-20
営業時間/13:30〜17:00
定休日/火曜、金曜
http://www.monohanako.com

撮影/米山典子
取材・文/船橋麻貴

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