本を連れて行きたくなるお店

仕事に気乗りしない時は、カキフライについて考えよう 村上春樹『雑文集』

  • 文・写真 笹山美波
  • 2019年1月28日

  

カフェや居酒屋で、ふと目にとまる、ひとり本を読んでいる人。あの人はどんな本を読んでいるんだろうか……。なぜその本を選んだのだろうか……。本とお酒を愛する編集者の笹山美波さんは、本の中の物語が現実世界とつながる、そんなお店に連れて行ってくれます。

    ◇

去年の疲れを引きずったまま年始の仕事が始まった。年度末に向け、予定はどんどん過密になっていく。休みボケのせいか、疲れのせいか、はたまた寒さのせいか。気合いを入れて取り掛かろうにも、すぐに煮詰まって作業の手が止まってしまう。

原稿4枚で自己紹介は難しくとも、カキフライについてなら書ける

そういう時、村上春樹のカキフライの話を思い出すようにしている。村上春樹はときどき文章や語りの中で、大好物のカキフライを例に取り、物事から一歩引いて視点を変えて考えるよう指南してくれる。これが助けになるのだ。

例えば、短編小説やスピーチやエッセイを集めた『村上春樹 雑文集』の最初の文章「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣(かき)フライの食べ方)」では、就職試験で"原稿用紙4枚で自己紹介をせよ"との難題に悩んでいる読者へこんな提案をする。

「だったら牡蠣フライについて書かれてみてはいかがでしょう」

一見的外れな回答に思えるだろう。けれども、目の前の世界にとらわれ過ぎず、カキフライくらい関係のないものまで視野を広く持てとのメッセージが裏打ちされている。また、そういったほかの何かについて語ることが、自分と世界とをつなげるのだと説く。自分と直接関係がない対象との距離感を表現することは、自分自身について語ることにつながるのだ。

『雑文集』では未発表の短編小説や、村上春樹がジャズ喫茶を経営していた時に書いたデビュー作「風の歌を聴け」の群像新人文学賞受賞時の言葉がまとめられている

私の持論だが、この「村上式カキフライ理論」の考え方はどんな問題にも使えると思う。おいしいカキフライくらい楽しい話に一度頭を切り替えて、自分が置かれた状況を見つめ直すと、すんなり改善されることが多分にあるためだ。

カキ2個をぜいたくに合わせて作る、冬季限定の大きなカキフライ

そういうわけで、今回紹介するのはもちろんカキフライ。東京都江東区西大島の「平太」は、約30年もこの街で愛されるとんかつ屋だ。名物は分厚く柔らかいとんかつとミディアムレアに仕上げたビーフカツなのだが、今の時期のおすすめは断然カキフライ。10月から3月までの冬季限定メニューだ。

味のあるカウンターに座ると、目の前で揚げるのを見ながらビールを飲める(左)「平太」は四半世紀以上、街の人に愛されるとんかつ屋

『雑文集』で村上春樹は「寒い冬の夕暮れに僕はなじみのレストランに入って、ビール(サッポロ中瓶)と牡蠣(カキ)フライを注文する。この店には五個の牡蠣フライと八個の牡蠣フライというふたつの選択肢がある。とても親切だ」と語っているが、同じようなシーンを平太は再現してくれる。ビールはサッポロ中瓶だし、カキフライは3つ入りから5つ入りまで選ぶことができる。そのうえ、フライひとつに大きな三陸産の真ガキを2個合わせて使っているゴージャスぶり。

平太では生ガキも用意している。これはうれしい。運ばれてきたカキは15cmほどあろうかというビッグサイズで、一口では食べきれないほど大きくプリップリ! クリーミーで旨味も濃厚だ。カキフライへの期待が増してくる。

冷たいサッポロビール(左)とレモンを絞った生カキ(右)で一杯やりながらカキフライを待つのは至福の時間

村上春樹の言葉を借りれば、「箸(はし)でその衣をぱりっとふたつに割ると、その中には牡蠣(カキ)があくまで牡蠣として存在していることが分かる」

揚げたてのカキフライはレモン、ソース、ピクルス入りのタルタルの中からお好みの味付けで。サクサクをひとくち、またひとくち。おいしいに決まっている。蒸し焼かれたような絶妙なふっくら加減。付け合せの千切りキャベツ、ポテトサラダも完璧だ。しかも、ラジカセから流れるBGMはずっとビートルズ。なんてぜいたく! 明日からまた頑張れそうだ。

煮詰まったら「カキフライ理論」を思い出そう

村上春樹は過去に、1人でカキフライを揚げることと執筆活動は、同じ「孤独な作業」だと語っていた。彼は大好物のカキフライを1人台所で作り、揚げたてをそのまま食べるのが好きなのだそう。ただ、おいしくてたまらないし、やりたくてやっているのに、家に誰もいないその時間が虚しく感じる時もあるという。

そういう意味では、仕事とはいえ孤独な小説家業も、好きなことを自ら黙々と作業する点で、カキフライの調理と似た行為と捉えている。

だから村上春樹は仕事への考え方にも「カキフライ理論」を取り入れる。「自分の小説を書いているんだと思うと、言葉が思い付かない。でも、僕はカキフライを揚げていると思うと、肩の力が抜けて想像力が出てくるんです」――。

もし何か問題に直面したら、カキフライだとか試しにちょっと違うものを想像してみてほしい。自分で選んだ環境に辛さを覚えたら、村上春樹にとってのカキフライを揚げることくらい、好きな行為を思い出してみてほしい。それも難しければ、まずはカキフライを食べに行ってみよう。

カキフライでなくても、好きなものなら何でもいい。おいしい料理は、あなたをきっと助けてくれる。

  

平太
東京都江東区大島1-38-8
03-3683-6924
営業時間:
11:30~14:30
17:30~21:30
日曜営業、月・金定休

筆者プロフィール

笹山美波

笹山美波

「東京右半分」に生まれ育つ。編集記者を経て、外資マーケティングサービスのWebプロデューサー、マーケター。ライター。鰻オタク。東京と食に関連する歴史/文化/文学/お店を調べるのがライフワーク。
・ブログ
http://minamii.hatenablog.com/
・Twitter
https://twitter.com/mimi373mimi

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