複線型のすすめ

年中無休の生活が娘誕生で一変 笑っている父親(15)

  • 文 松崎幸治
  • 2013年10月15日

写真:滝村雅晴(たきむら・まさはる)</br>
1970年、京都府出身。妻と小学生の次女。長女は昨年、8歳8カ月で永眠。93年に新卒採用のPR会社に就職、95年に「デジタルハリウッド」へ転職し2009年に退社。同年4月、「ビストロパパ」を設立</br>
写真は、JA主催の「キッズごはんワールド」のイベントに出演した滝村さん滝村雅晴(たきむら・まさはる)
1970年、京都府出身。妻と小学生の次女。長女は昨年、8歳8カ月で永眠。93年に新卒採用のPR会社に就職、95年に「デジタルハリウッド」へ転職し2009年に退社。同年4月、「ビストロパパ」を設立
写真は、JA主催の「キッズごはんワールド」のイベントに出演した滝村さん

写真:デジタルハリウッド京都校設立記念イベントで話す滝村さんデジタルハリウッド京都校設立記念イベントで話す滝村さん

写真:秋田県大仙市でのパパ子料理教室で、家族を笑顔にするパパ料理という魔法を教えている滝村さん=今年9月秋田県大仙市でのパパ子料理教室で、家族を笑顔にするパパ料理という魔法を教えている滝村さん=今年9月

 デジタルクリエーターを養成する「デジタルハリウッド」の創業期に入社した滝村雅晴さん(43)は連日終電ぎりぎりまで、土日も休まず働いてきた。入社8年目、長女が誕生したのをきっかけに本格的に料理を始め、平日は仕事、週末は料理に没頭するようになる。家族のために台所に立つにお父さんを増やそうと2009年春に退社、「ビストロパパ」という会社を設立した。「パパ料理研究家」として世の父親たちに新しいライフスタイルの提案を続けてきたが、11カ月間の闘病の末に長女を亡くしたことで新たな使命を自らに課した。それは、「食」「料理」を通して病気を防ぎ、健康な家族を増やすことだ。

     *     *

<大学を卒業して、1993年4月新卒採用のPR会社に入社した。>

 マスコミ志望でした。入った会社は新卒向けの入社案内を作るのがメーンですが、情報誌も出しており、出版部門もありました。営業企画を担当し、1日数社を訪問しました。現在ヤフーの社長の宮坂学さんが1年先輩で、私がとってきた案件の冊子を作るディレクターをしていました。

 社員の半数以上が編集やデザインを担当する内勤で、編集プロダクションのような会社。徹夜で校正したり、原稿が届くのを待ったり、とにかく長時間働く先輩ばかりでした。「月に100時間、200時間と残業する人たちで、この会社は成り立ってきた」と、上司から説明されました。私も慣れない企画書書きで徹夜することはありましたが、営業担当は比較的早く退社できました。

<95年2月、前年の秋に設立したばかりの「デジタルハリウッド」へ転職した。>

 希望して94年春、大阪支社から東京本社に異動でき、新規事業開拓として大学や専門学校を回って、入学案内のパンフなどの作成を働きかけました。営業で訪れた情報処理専門学校で、後にデジハリの社長になる人と出会いました。彼から、デジタル産業革命を起こすために人材を養成し、学んだ人が世に出ていくための工場(メディアファクトリ)や派遣会社も作る、日立やIBMも出資する産学協同のマルチメディアスクールを立ち上げる、と説明され、転職の勧誘を受けました。国家的プロジェクトに参画できると、感動しました。

<「デジタルハリウッド」では、生徒募集と広報・宣伝の仕事を中心に14年間働くことになる。>

 リクルートの雑誌などに募集広告を出し、応募者には自分で作成した資料を送り、毎日のように学校説明会や無料体験セミナーを開きました。数百万円もするワークステーションを操作できるとうたうと、国内でそういう場所が他になかったから、興味のある人がどんどん集まってきました。メディアの取材も連日のようにあり、その対応にも追われました。

 膨大な仕事を当初は、社員2、3人とアルバイトで担いました。1年ぐらいで「アシスタント・スタッフ」と名付けたバイトも十数人に増え、その採用・管理も任されました。毎晩、終電に間に合わせるため駅まで走り、土日も休まず働きました。新しい産業を生み出すベンチャー企業の立ち上げにかかわっている充実感から、あっという間に時間が過ぎ、気づくと零時近くになる毎日でした。

<27歳で社内結婚したが、仕事中心の生活に変化はなかった。>

 もっぱら外食で、朝食はコンビニのパン。台所ではお湯を沸かすだけで、何か料理を作った記憶はありません。地元の京都へ転勤になり、毎晩のように夫婦で木屋町や先斗町へ出向き、京の季節の味を楽しみました。

 03年5月に長女が誕生したことで、価値判断が変わりました。夫婦二人のときは賃貸の部屋を選ぶ際も、終電の遅い路線の駅から近い、商店街の充実した場所にあることが条件でした。長女を最初に育てたマンションは、交通量の多い幹線道路に面しておりベビーカーだと危険を感じ、もう少し奥まった場所で借りていればと後悔しました。

<自宅で料理を作り始めて半年が過ぎた2004年春、同僚から料理研究家の行正り香さんの料理本を紹介された。>

 赤ん坊中心の生活で外食も困難となり、料理を作るようになりました。独身時代はキャンプでこだわりのバーベキューをしたり、友人を招いて得意のカレーをふるまったりしており、最初はその延長上で適当に炒めたり焼いたり、自己流で作っていました。

 料理に興味を持ちだしてきたころ、職場の女性から行正さんの本を紹介されました。掲載されていた鯛のカルパッチョとプチトマトのパスタをレシピ通り作ってみると、予想以上の出来栄え。設計図通り作るプラモデルといっしょで、レシピさえあれば専門店で食べるのに負けない料理を作れると、すごく自由を感じました。

 以来、本屋へ入るとビジネス書コーナーより先に料理本コーナーへ足を運ぶようになり、100冊以上そろえました。料理が作れる週末が待ち遠しくなり、週末は確実に休むようになりました。

       ◇

 仕事以外に打ち込んでいることが、何か、ありますか。生涯、仕事ひとすじで生きられる人生は、幸せなのかもしれません。でも、「右肩上がりの時代」は終わり、あなたの人生もいつ、突然、転換を余儀なくされるかもしれません。複線型で生きていれば、そんな時の対応が違ってくるのではないでしょうか。いろいろな分野で活躍されている方々の生き方を紹介する本シリーズから、何かヒントが見つかれば、幸いです。

(「笑っている父親」の「滝村雅晴さん」は3回のシリーズです。次回は10月22日に配信する予定です。)

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PROFILE

松崎幸治(まつざき・こうじ)

1957年、香川県生まれ。1982年、朝日新聞社入社。86年から大阪本社・社会部で裁判などを担当、『AERA』編集部、東京本社・社会部を経て成田支局長に。「成田空港問題」を連載して出版。99年から電子電波メディア局で「朝日新聞デジタル」の前身「asahi.com」の編集。知的財産センターなどを経て2012年からデジタル事業本部へ。現在、「朝日新聞デジタル」内の新ウェブマガジン「&M」担当。2001年から1年間育児休業取得。


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