複線型のすすめ

ブログを2700日連続更新 笑っている父親(16)

  • 文 松崎幸治
  • 2013年10月22日

写真:得意の丸鶏のローストチキンを前に父子で記念撮影。左は長女・優梨香、右は次女・真央=2008年12月23日得意の丸鶏のローストチキンを前に父子で記念撮影。左は長女・優梨香、右は次女・真央=2008年12月23日

写真:「ファザーリング・ジャパン」の合宿に初めて参加し、70人を超えるメンバーと家族のための料理をパパ仲間と一緒に作った滝村さん。左は長女・優梨香、右は次女・真央=同年9月14日「ファザーリング・ジャパン」の合宿に初めて参加し、70人を超えるメンバーと家族のための料理をパパ仲間と一緒に作った滝村さん。左は長女・優梨香、右は次女・真央=同年9月14日

写真:ブログへの初投稿で「ビストロパパ開店」を告げたブログへの初投稿で「ビストロパパ開店」を告げた

写真: 最近の<a href="http://blog.livedoor.jp/tuckeym/"target="_blank" >「ビストロパパ」のブログ</a>で、「ファザーリング・ジャパン」が製作したパパ育児書『新しいパパの教科書』(学研教育出版)を紹介。滝村さんも執筆陣の一人 最近の「ビストロパパ」のブログで、「ファザーリング・ジャパン」が製作したパパ育児書『新しいパパの教科書』(学研教育出版)を紹介。滝村さんも執筆陣の一人

 週末ごとに長時間、台所に立つようになった滝村雅晴さん(43)は、月に1度ぐらいのペースで友人らを招いてホームパーティーも開いた。充実した日々だったが、ある「事件」をきっかけに、自分の料理は自己満足の趣味だったと気づかされた。以来、自分のためではなく、家族のための料理を作ろうと心を入れ替え、これを「パパ料理」と名付けた。2005年から書き始めたブログも毎日投稿するようにし、1000日連続で更新したころ、「パパ料理研究家」として独立するため、「デジタルハリウッド」を退社することを決意する。

笑っている父親(15)はこちら

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<05年3月、滝村さんが「決戦のホームパーティー事件」と呼ぶ、転機となる事件が起きた。>

 料理本や調理器具、調味料などをどんどん買いそろえ、金にも時間にもいとめをつけず料理にのめり込みました。必要なイタリアンパセリを探すため店を4軒も回った夜は、調理開始が午後8時、フルコースを食べ終わると零時を過ぎるということもありました。毎週末作った料理の集大成として、友人らに披露する場として月に1度ぐらいホームパーティーを開きました。

 その夜も友人3人を招き、イタリア料理のフルコースを出しました。「旦那さんって料理が上手で、奥様も幸せですね」といった会話に聞き耳を立てながら、腕をふるいました。ゲストが帰宅すると、疲れと酔いで寝てしまいました。翌朝、妻が不機嫌になっていました。前夜は1時間以上かけて、一人で後片付けをしてくれていたのです。

 「家族のため」と言いながら、自分の作りたい料理を作るだけ作って後片付けは妻任せにしており、妻にキャディをやらせながらゴルフを楽しんでいる自己満足の趣味に等しいと気づきました。この事件をきっかけに、自分が空腹でなくても家族のために作り、後片付けまでしっかりするのが「パパ料理」だという結論に達しました。

<05年1月から「ビストロパパ」というタイトルでブログを書き始めた。06年1月19日には、同月に次女が産まれた報告とあわせて、「今年はたくさんの人に『パパ料理を通した、幸せな家庭の普及』をしたいと思います」と書いた。>

 デジタルハリウッドでは広報・宣伝も担当していたので、当時、広がり始めていたブログを自身で体験する必要があると考えました。投稿する内容は、当初は自作の料理でした。06年3月からはブログのタイトルを「ビストロパパ〜パパ料理のススメ〜」と改め、本名と横顔の写真も掲載し、毎日ブログを更新するようにしました。土日で計8品ぐらいの料理を作っており、1日1品ずつ紹介すれば、1週間回すことができました。

 以来、会社を辞めた日も、長女が病気と闘った11カ月間も、一日も欠かさず書き続け、今夏で連続2700日を超えました。おかげで自分の目標や夢が整理でき、テレビの取材依頼を受けたり、行正さんにお会いできたり、新たな出会いもありました。料理のアップ写真だけでなく、姉妹が写りこんだ写真も掲載し、時々、子どもたちに向けたメッセージも書きました。このブログを将来読んでくれれば、どんな思いで子育てをし、料理を作ってきたか分かってくれるようにとの思いからです。

<「デジタルハリウッド」は順調に規模を拡大、滝村さんは30歳を過ぎたころ、執行役員になった。>

 会社の成長とともに私のキャリアも上がっていき、仕事は楽しかったです。WEBを使った広報・宣伝のメディア戦略を考える一方、「クリエイターのためのライフプラン・ワークショップ」といったカリキュラムを企画し、自ら講師となって教壇に立ちました。卒業を前に、身に付けた技術を使って自分が何をしたいかを考えてもらう就職・転職ゼミのようなものです。まず、自分が目指そうとすること、つまり使命が何であるかを、じっくり考えてもらうようにしました。

 07年9月、父親の子育て支援をするNPO「ファザーリング・ジャパン」で活躍する安藤哲也さんの記事を新聞で読みました。安藤さんは私が最初に勤めた会社の先輩で、すぐに連絡をとって会いました。私は、仕事ではデジタルを活用する人を輩出することで、プライベートでは「パパ料理」を通じて、世の中をよくしていきたいと考えていましたから、「ファザーリング・ジャパン」の活動に大いに共感し、すぐに参加させてもらいました。メンバーは皆さん、仕事をばりばりしながら子育てやPTA活動なども積極的にしており、とても刺激を受けています。

<09年3月末に「デジタルハリウッド」を退社した。>

 週末は料理に没頭しても、デジハリを辞めようと考えたことはありませんでした。創業期から会社のために働いてきたから、デジハリ=自分とすら思っていました。それが、パパ料理=自分という思いが強くなり、安藤さんとの再会などいろいろなことが重なり、自ら起業することを決意して退社を考えました。

 ずっと生徒募集の仕事に携わり、最初のころは道があるかどうかも分からないところを手探りで進む感じで、時間も忘れて仕事に打ち込めました。規模こそ大きくなっても、毎年、やることのパターンは同じで、14回も経験すると1年を通じて、どのタイミングで何をするかが分かりました。人には2種類いて、ゼロを1にするのが得意な人と、10を20や30にするのが得意な人がいますが、私は圧倒的に前者です。

 最初の会社では新卒者向け、デジハリでは30歳になる前ぐらいの人々、と同世代に向けた発信を自分のキャリアにしてきました。デジハリが大学を設置して高校生への発信も求められるようになり、その仕事は私よりもっと適任者がいるのでは、と考えるようになったという面もあります。

(「笑っている父親」の「滝村雅晴さん」は3回のシリーズです。次回は10月29日に配信する予定です。)

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PROFILE

松崎幸治(まつざき・こうじ)

1957年、香川県生まれ。1982年、朝日新聞社入社。86年から大阪本社・社会部で裁判などを担当、『AERA』編集部、東京本社・社会部を経て成田支局長に。「成田空港問題」を連載して出版。99年から電子電波メディア局で「朝日新聞デジタル」の前身「asahi.com」の編集。知的財産センターなどを経て2012年からデジタル事業本部へ。現在、「朝日新聞デジタル」内の新ウェブマガジン「&M」担当。2001年から1年間育児休業取得。


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