アニメーター 刈谷仁美 子どものころに夢中になったものが、今の私を形作っている

文:渡部麻衣子、撮影:山田秀隆

アニメーターの刈谷仁美さんは、22歳の若さでNHKの朝の連続テレビ小説「なつぞら」(2019年)のオープニングアニメを手がける大役を任されました。子どもの頃から絵を描くのが大好きで、好きなことを仕事にした刈谷さんは、一体どのように夢を見つけ、育ててきたのでしょうか。お話を聞いてみると、子どものクリエイティビティを育てるためのヒントがたくさん見つかりました。

好きなことに夢中になって取り組めた時期

――刈谷さんはアニメーターというお仕事をされていますが、子どもの頃からクリエイティブな遊びが好きだったのでしょうか。

物心がついた頃から絵を描くのが好きで、一番古いものだと逆三角形の頭に三角形の体をくっつけたお姫様の絵を描いていた記憶があります。小2ではかぼちゃの馬車の内部を想像して、小3ではうさぎのキャラクターを自由帳に描いていました。毎年毎年なにかしらのブームがきて、そればっかり描いていました。

7つ上の姉もたまに絵を描いていたのですが、姉のように上手く描きたいという気持ちも、描き続けるモチベーションになっていました。

――中学を卒業後、刈谷さんは芸術コースのある高校に進学したんですよね。

当時はまだ将来の夢は決めていなくて、単純に、絵を描く時間が普通科よりもたくさんとれそうという理由で選びました。

――進路を決めるにあたり、ご両親から何かアドバイスや注文はありましたか?

特になかったです。昔から、勉強しなさいと怒られることも、絵ばっかり描くのを咎められることもなかったですね。両親は厳格なタイプでしたが、進む道を否定されたことは一度もありませんでした。

高校生活はとても充実していました。芸術系なので、陶芸や彫刻など絵を描く以外の授業も多かったのですが、全部が楽しかったです。

考えてみれば、社会的な責任など考えることも無く自由気ままに生きられた期間は、私の中ではあっという間でした。好きなことを仕事にしたとはいえ、仕事である以上、自分の描きたいものばかりは描けません。好きなものに貪欲(どんよく)に取り組めた時間は、かけがえのないものでした。

「魔女の宅急便」に圧倒されて、アニメーターの道へ

――アニメーターになろうと決意したのは、いつ頃のことでしょうか。

高2のときに偶然見た、金曜ロードショーの「魔女の宅急便」がきっかけです。主人公の女の子がもはやキャラクターではなく、本当に生きている人物のように感じられて、たまらなく魅力的でした。

そこから一気にジブリにハマって、全作品を見返しました。すると、子どもの頃に見たときは何とも思わなかったのに、線の太さがいいとか線の濃淡に味があるとか、魅力的な箇所がいっぱい見つかるんです。

一枚一枚の絵が異常に上手いのに、それらがごく自然にアニメーションに落とし込まれ、ストーリーが展開していくことに圧倒されました。

――自分の進むべき道を決めて、突き進んでいくことへの不安はありませんでしたか?

特に不安は無かったです。私に限らず、何かやりたいことがある人の大体が初めの方は後先の不安を感じる余地もなく自信を持って突き進んで行けると信じていていると思うんですけどどうなんでしょうね。私は小さな賞を2つ3つもらっただけでそうなっていたので今考えると少し恥ずかしいですが……。ですが今では不安は少しあります。この先仕事が来なくなったらどうしようとか……。なので今が頑張り時だとは思います。

――キャリアの始めにアニメーター寮に入ろうと思った理由を教えてください。

最初に入ったアニメスタジオの給料は作画枚数による完全歩合制でした。入りたくて入った会社なので、私としては納得はしていたのですが、生活費が不足することが目に見えていました。私は学校を卒業したら仕送りはなしと親と決めていましたから、何か手を打たねばならないと思って調べていく中でアニメーター支援機構が運営するアニメーター寮を知り、応募しました。

――アニメーターになりたい人は多い状況で倍率が高そうですが、大変ではありませんでしたか?

私がアニメーター寮に応募していた頃はまだそんなに知名度が高くなかったので、そんなに倍率は高くなかったと思います。

まずは事務所にポートフォリオ(自分の作品集)を送って、それを寮長が審査して決めるんです。恐らく15人応募してきた中で私含めた3人が入寮してきたと思います。

連続テレビ小説「なつぞら」とのめぐりあわせ

――刈谷さんにとって連続テレビ小説「なつぞら」は大きなお仕事だったと思います。どのようなきっかけで依頼が来たのでしょうか。

ジブリにハマっていた時、ジブリ作品に関する書籍のスタッフインタビューをよく読んでいました。特にスタッフの中でもアニメーターの舘野仁美さんは私と名前も漢字も同じということもあり、勝手に親近感を抱きながらインタビュー記事を読んでいました。その後、私がアニメーターとして他社で仕事をしていた時に、舘野さんが「ササユリカフェ」というカフェを開いているというのを知って、そこからたまにカフェに通うようになりました。カフェでは舘野さんに就活用のポートフォリオ(作品集)を見ていただく機会もありました。舘野さんが「なつぞら」のアニメーション監修をされることになり、そこでたまたま声をかけていただいたのがきっかけです。

――自分の絵のどんなところが評価されて声がかかったと思いますか?

舘野さんからは「なつぞら」の脚本を読んで浮かんだのは私だったとお聞きしました。絵、というよりも「なつぞら」で北海道からアニメーターを志望して上京してきた主人公と、高知でアニメーターを志望して上京してきた私と被るところがあり、声をかけていただいたんだと思います。

デジタルで絵を描くきっかけをくれた作品

――これまで描いた中で、一番印象に残っている絵は。

高2の夏に地元の美術系専門学校のコンクールで大賞をとった、「鯨がきた」という絵です。当時は密度に力を入れて頑張って描いていました。絵の具を使うのが楽しかったです。今も細々書き込むのは好きですが、高校生の頃は熱量もありかなり没頭出来ていた時期でした。ちなみに、商品としていただいた任天堂のWiiは、友達が使っていないペンタブレットと物物交換をしました。

イラストに特化したSNSのpixiv(ピクシブ)ではパソコンで絵を描く人が多かったので、私もやってみたかったんです。「鯨がきた」は、いち絵描きとして仕事して行こうかどうか考えていた当時の自分に漠然とした自信をくれた絵であると同時に、デジタルで描くきっかけをくれた思い出深い作品です。

コンクールで大賞をとった作品「鯨がきた」

――デジタルで描いてみて、どうでしたか?

イラストを描く際はバケツや筆を準備する必要もないし、描いたものはいくらでもデータとして保存できる。とても手軽に絵を描けることに感動しました。アニメを作る際は似たような絵が続く際にコピペと引き写しで済みますし、アニメーションの動きの確認もボタン1つで出来るので助かっています。

少し前に、キャラクターデザインや原画など担当したアイスクリームのCMでは、私が描いた原画に実写のアイスの画像が合成ではめ込まれています。自分は「この辺りにアイスの画像を」と指定しただけですが、いい感じに仕上がっていてとても良かったです。今はアニメーション機能があるフリーソフトもあり、子供達も手軽にアニメを作れて、本当にいい時代になったなと思います。

アニメーション制作・イラスト制作などをする仕事場

――デジタル技術が発展するほど、表現の幅も広がるのでしょうか。

手を伸ばせる範囲は確実に広がっていくと思います。ただ一方で、アナログならではの良さというのもあるんです。今の技術では線のかすれ具合を出すのはまだ難しいですし、色塗りにしても、うっかり隣の色同士が混じり合ってしまうことで独特の味わいが出ることもある。スケッチブックだって、なくなるたびに買いにいくのは面倒でしたが、画材店で自分が知らない道具と偶然出合うのは尊い経験でした。そういったことが一切なくなるというのは、少し寂しい気がします。

子どもの頃に好きだったことが今の仕事の土台

――この先、取り組んでみたいお仕事は。

先日、北九州市への移住を促進するためのポスターを描かせていただいたのですが、計3枚描き、それぞれ1枚ずつ違った雰囲気の街の魅力や生活感をイラストに落とし込めて、クライアントの方々にも喜んでいただけて、達成感のある仕事でした。

写真で撮ったように描こうとすると、絵の嘘がつけなくなるんですよね。たとえば小倉城とリバーウォーク(北九州市のショッピングモール)をバックに手前の公園で遊んでいる親子を取ると、よほど圧縮しないと人間一人ひとりの表情は見えない。

でも、イラストなら自由に対象を誇張したり、省略したりできる。これは絵だからこそできる表現であり、描いていて楽しいと感じる部分です。こういった絵を、これからももっと描いていきたいと思っています。

北九州市の移住促進PRポスター

――子どもの頃の経験で、今のお仕事に生きていることはありますか?

絵を学んでいる方でたまに見るのですが、パース(透視図法)に執着してしまうと、そこから逸脱した構図の絵が描けなくなってしまうんです。北九州のポスターにしても、見せたいものを見せるために、あえて遠近法を無視しています。今でもときどきパースにとらわれることがあるので、そんなときは童心に返って、大胆に、自由に描いていた気持ちを思い出すようにしています。幼い頃にワクワクした気持ちが、やっぱり私の絵の原点なんです。

密度の高い絵を描くのが好きなのは、シルバニアファミリーのセットで細々とした小物をせっせと並べてごっこ遊びをしていたからかな…と思いますし、「こういう感じで」と文章できた依頼からイメージを膨らませられるのは、図書館で借りた本の文章から情景を想像して遊んでいたことも影響していると思います。子どもの頃に好きだったことは、すべて今の仕事の土台になっています。

知識の量や経験値、回り道の量で、生み出すものは全然変わってくる

――刈谷さんのように自分の好きなものを見つけて、それを仕事にするにはどうしたらいいのでしょうか。

今の子は私の時代よりもたくさんの情報にアクセスできるから、好きなものを見つけやすい環境ではありますよね。新型コロナの影響で、自宅で過ごす時間が増えているなら、たとえば、普段興味がないジャンルの本や映画を試してみるだけでも世界は広がるはず。

この世には一からのオリジナルというものはなくて、作り手はあらゆるものから影響を受けて、咀嚼して、作品を生み出しています。私も、今さらながらもっといろいろ挑戦しておけば良かったなって思うんですよ。知識の量や経験値、回り道の量で、生み出すものは全然変わってくるので。

――子どもを見守る親は、どんなスタンスでいるといいと思いますか?

私はたまたま絵を仕事にすることができましたが、趣味で描くのと、仕事で描くのとではやはり違います。好きなことで将来食べていける保証はないので、もし積極的に応援する気持ちになれないのなら、それでいいと思います。ですが、好きなことに全力で打ち込めるのも子どものときだけの特別な時間。せめて、否定だけはしないであげるといいのではないでしょうか。

PROFILE

刈谷仁美(かりや・ひとみ)

1996年生まれ。高知県出身。アニメーター、イラストレーター。アニメ制作スタジオでスマホゲームの作画などを手がけ、フリーランスに。「なつぞら」では、題字デザインのほか、オープニングアニメの監督、原画、キャラクターデザインなどを担当した。

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