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太閤・秀吉の夢の跡 肥前名護屋城(上)

天守台からの眺望。晴れていれば壱岐が見えることも

天守台からの眺望。晴れていれば壱岐が見えることも

玄界灘に突き出す東松浦半島のほぼ先端部。心地よい風と玄界灘の絶景が堪能できるこの場所に、太閤・秀吉の夢の跡がある。佐賀県唐津市の肥前名護屋城だ。
実は、城ファンや歴史ファンにとっては、一度は訪れてみたい憧れの城でもある。

名護屋城大手口

名護屋城大手口

豪壮な天守が建つわけではない。広がるのは、広大な城地と崩れかかった大量の石垣のみ。この城は、目に見えるものを確認しに行く城ではない。想像を楽しみ、戦乱の世の移ろいに思いをはせる城なのだ。

本丸南面の石垣

本丸南面の石垣

肥前名護屋城は、豊臣秀吉による朝鮮出兵(唐入り、文禄・慶長の役)における、秀吉軍の軍事拠点だ。秀吉は天下統一を果たすと、明国征服を宣言。その足がかりとして大陸への侵攻を決め、天正19(1591)年に名護屋城の築城を命じると、全国の諸大名を動員し、朝鮮半島へ出撃させた。

朝鮮出兵は、文禄元(1592)年3月から足かけ7年に渡り朝鮮半島で繰り広げられた大戦だ。宇喜多秀家を大将に、16万の大軍が朝鮮半島へ渡った(文禄の役)。開戦直後は破竹の勢いを見せた秀吉軍だったが、戦況は悪化。一時休戦したものの、秀吉が講和内容に激怒し2度目の朝鮮出兵へ突入した(慶長の役)。宣教師のルイス・フロイスが「絶望的だけど従わざるを得ない、老関白への屈服と従順さは異常だ」と記すほど、秀吉の権力は圧倒的だった。厭戦(えんせん)ムードが高まるも戦いは延々と続き、慶長3(1598)年8月の秀吉の死をもってようやく終結。多くの家臣を失い疲弊しきった諸大名は、命からがら撤退したのだった。

玄界灘をのぞむ最高の立地。通り抜ける風が心地よい

玄界灘をのぞむ最高の立地。通り抜ける風が心地よい

二度にわたる朝鮮出兵は、諸大名の経済力や軍事力に大きな負担を与え、豊臣政権の終幕を早めたといわれる。名護屋城に在陣したものの渡海しなかった徳川家康は結果的に力を温存することになり、豊臣政権の亀裂に乗じて地位を確立し、政権奪取へと突き進むことになる。

清正が朝鮮半島に築いた西生浦倭城(そせんぽわじょう)。虎口が2か所塞がれ、蔚山城の戦い直前に埋め立てられたとみられる。切迫した戦況がうかがえる

清正が朝鮮半島に築いた西生浦倭城(そせんぽわじょう)。虎口が2か所塞がれ、蔚山城の戦い直前に埋め立てられたとみられる。切迫した戦況がうかがえる

加藤清正が帰国後に築いた熊本城には120もの井戸が掘られ、執拗(しつよう)なまでに飲料水の確保が意識されているのはよく語られるところだろう。土塀には干瓢(かんぴょう)、畳には芋茎(ずいき)を埋め込み、非常食となるイチョウの木を城内に数多く植えるという力の入れようだ。清正は慶長の役において、蔚山城で餓死寸前の過酷な籠城戦を経験している。熊本城の過剰なまでの籠城(ろうじょう)対策は、清正のトラウマに近い強迫観念の証なのかもしれない。

加藤清正が築いた熊本城の井戸。120か所以上設置されたという

加藤清正が築いた熊本城の井戸。120か所以上設置されたという

名護屋城は、黒田長政、加藤清正、小西行長ら九州の城づくりの達人たちが約五カ月の突貫工事で完成させたという。しかし、名護屋城が隠れた人気を博すのは、秀吉政権の栄華を示す最高峰の城であるだけでなく、わずか7年後に姿を消した夢幻の城でもあるからだ。秀吉の死とともに朝鮮出兵が終結すると、すぐさま名護屋城も廃城。何事もなかったかのように歴史のとばりに消えた。

破却された石垣の中にある、石を割るための矢穴が空いたまま割れずに残った石材。石割道具の矢が折れたまま残る

破却された石垣の中にある、石を割るための矢穴が空いたまま割れずに残った石材。石割道具の矢が折れたまま残る

建造物は唐津城へ運ばれ、慶長10(1605)年頃には石垣だけになったとみられる。元和元(1615)年の一国一城令後も放置され、寛永15(1638)年の島原・天草の乱が終結した後、一揆などの拠点にならないよう徹底的に破却されたと考えられている。

崩れた石垣が歴史を物語る

崩れた石垣が歴史を物語る

(つづく)

#交通・問い合わせ
■名護屋城(佐賀県立名護屋城博物館)
JR唐津線・筑肥線「西唐津」駅または唐津大手口バスセンターから昭和バス(呼子線または値賀・名護屋線)で「名護屋城博物館入口」バス停下車、徒歩約5分
0955-82-4905
http://saga-museum.jp/nagoya/

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

城下町歩き、旅の終わりは温泉と信州そばで 松本城(4)

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崩れた石垣に夢幻を見る 肥前名護屋城(下)

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