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崩れた石垣に夢幻を見る 肥前名護屋城(下)

天守台と、玄界灘に突き出す遊撃丸。時を忘れる絶景が広がる

天守台と、玄界灘に突き出す遊撃丸。時を忘れる絶景が広がる

<太閤・秀吉の夢の跡 肥前名護屋城(上)からつづく>
名護屋城を実際に訪れると、まずその広大さに驚くはずだ。敷地面積は、なんと約17万ヘクタールにも及ぶ。さらに周囲3キロの範囲には、全国から集結した諸大名の陣屋が130カ所以上も並んでいた。城下町には武士や商人などが行き交い、人口20万がひしめく大坂に次ぐ一大都市を形成していたといわれる。

軍事施設といっても、殺伐とした雰囲気とはかけ離れていたようだ。狩野光信が文禄2(1593)年頃の名護屋城と城下を描いたとされる『肥前名護屋城図屏風』(佐賀県立名護屋城博物館蔵)を見ると、城は華やか極まりなく、城下は大変なにぎわいだ。本丸にはなんと金箔(きんぱく)瓦張りの五重七階天守がそびえている。

上山里丸山里口。秀吉の居館があったとされる曲輪で、厳重な出入り口が特徴

上山里丸山里口。秀吉の居館があったとされる曲輪で、厳重な出入り口が特徴

太閤道。幅約2.4メートルの軍事道で、名護屋城大手口を起点として唐津市街地まで断続的に約16キロ続く

太閤道。幅約2.4メートルの軍事道で、名護屋城大手口を起点として唐津市街地まで断続的に約16キロ続く

本丸北東の山里丸という暮らしのエリアは、太閤・秀吉の権力と財力が投影された、にぎやかかつ華やかな世界だったようだ。現地で見初めた側室を住まわせ、能や芝居、茶会を催す華やぎぶり。秀吉が居館を置いた上山里丸の茶室は、大坂城山里丸の茶室を解体して移築したものとも伝わる。下山里丸に設けられた能舞台で、秀吉は稽古までしていたとか。堀秀治の陣跡からも茶室と能舞台の遺構が確認されており、優雅な生活ぶりがうかがえる。

大手口の石垣。崩落が歴史を語る

大手口の石垣。崩落が歴史を語る

いやがおうでも目に入るのは、城内一帯にごろごろと転がる崩れた石垣だ。これが名護屋城のいちばんの見どころともいえる。

名護屋城の石垣は、明らかに人為的な破壊による崩れ方をしている。老朽化により自然に石垣が崩落する場合は、間詰石(まづめいし)という石垣内部の小石が押し出されてくるため、ふくらみを帯びてくる。だから、隅部には異変がなく、中央から破裂するような崩れ方をする。ところが人工的に破壊された石垣は、隅部から崩される。隅部を崩してしまえばその上に建造物を建てられないから、四隅を破壊して再起不能にするのだ。名護屋城の石垣の隅部はそれが一目瞭然で、とくに天守台や本丸周辺は四隅を中心に激しく崩落している。まさに、太閤・秀吉の夢の跡といったところだろう。

天守台。隅部が徹底的に破壊されているのは、人為的に崩された証

天守台。隅部が徹底的に破壊されているのは、人為的に崩された証

秀吉時代の石垣は全国でも残存例が少なく、それだけで貴重だ。さらにそれが壊され放置されているのだから、破れし秀吉の野望と表現せずになんと言おう。秀吉政権の終わりとともに時が止まったような、刹那(せつな)とロマンが感じられる。

城内はかなり広いため、たっぷりと時間を取って歩きたい。はやる気持ちを抑え、まずは登城口すぐの佐賀県立名護屋城博物館に立ち寄るのがおすすめ。朝鮮出兵の概要や、今は姿なき名護屋城の全容をジオラマや絵図で頭に入れておけば、城歩きがぐっと楽しくなるはずだ。2015年からスタートしたVR「バーチャル名護屋城」のスマートデバイス貸し出しも、博物館で行っている。

とりわけ本丸北東隅の天守台は、絶好のロケーションだ。晴れた日には壱岐まで遠望でき、初冬には対馬が見えることもあるという。秀吉もこの場所に立ち、うっとりするほど美しい夕日を眺めたのだろうか。果てしなく広がる玄界灘を前に、どんな世を思い描いていたのだろう。

陣屋跡めぐりも楽しみのひとつだ。伊達政宗、上杉景勝、前田利家、徳川家康、加藤清正、鍋島直茂など、オリンピックの選手村のように、戦国時代のオールスターが大集結していた。120カ所以上の陣屋のうち、23カ所が国の特別史跡に指定されている。

堀秀治陣跡。160の大名が結集し、それぞれが陣屋を築いたという

堀秀治陣跡。160の大名が結集し、それぞれが陣屋を築いたという

島津義弘陣跡付近から増田長盛陣跡方面をのぞむ

島津義弘陣跡付近から増田長盛陣跡方面をのぞむ

さて、名護屋城を訪れるもうひとつの楽しみといえば、呼子のイカを食すことだ。東京で見かける白いイカとは別モノ。ガラスのように透き通り、キラキラ光る呼子のイカは、コリコリとして身が厚く、かめばかむほど口の中に甘味が広がる。名護屋城の玄関口、桃山天下一の食事処でもいただける。どんなに歴史ロマンに浸ろうとも、呼子のイカは外せまい。

馬場西側櫓台跡

馬場西側櫓台跡

(おわり)
#アクセス・問い合わせ
■名護屋城(佐賀県立名護屋城博物館)
JR唐津線・筑肥線「西唐津」駅または唐津大手口バスセンターから昭和バス(呼子線または値賀・名護屋線)で「名護屋城博物館入口」バス停下車、徒歩約5分
0955-82-4905
http://saga-museum.jp/nagoya/

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

太閤・秀吉の夢の跡 肥前名護屋城(上)

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