にっぽんの逸品を訪ねて

南蛮貿易の歴史を伝える海辺の城下町 大分県臼杵市

江戸時代の面影を色濃く残す

江戸時代の面影を色濃く残す

バブルの時代、開発のために日本各地で伝統的な建物が失われた。そんな中で、大分県臼杵市は、“待ち残し”を宣言した市として知られている。
「臼杵にあっては、町おこしは“まちのこし”であります」と、1997年に就任した当時の後藤國利市長は市議会での所信表明で宣言した。ゆっくり熟成するのを「待ち」、大切なものを守り「残す」。それは“町残し”にも通じる。
バブルの余韻がまだ強かった当時、それは画期的な宣言だった。

安土桃山時代からの歴史がある八町大路

市民が守ってきた臼杵の町並み

今回の逸品は、市民が一体となって守ってきた臼杵の町並みだ。江戸時代初期に描かれた古絵図の町割りが今も残り、江戸から明治時代にかけての建築物も数多い。
寺院と武家屋敷が続く荘厳な二王座(におうざ)歴史の道や、安土桃山時代から続く商店街の八町大路(はっちょうおおじ)など、見どころは多い。

石垣が残る臼杵城跡

石垣が残る臼杵城跡

日豊線の臼杵駅から北へ5分ほど歩くと、戦国時代、九州6カ国を治めた大友宗麟(おおともそうりん)が城を築いた臼杵城跡が現われる。築城以来、臼杵は城下町として発展した。
かつては海に浮かんだ島だったそうだが、今は陸続き。石段を上ると、眼下に臼杵の町並みや海が望める。宗麟は南蛮貿易に力を入れ、当時、臼杵は明やポルトガルの商人が行き交う国際的な商業都市だった。波静かな臼杵湾を多くの商船が通ったことだろう。
臼杵城は、慶長5(1600)年から稲葉氏の居城となり、稲葉氏の統治は15代、270年あまり続いた。現在の町並みの大部分は稲葉氏の時代に形作られている。

にっぽんの逸品・臼杵4差し替え

白壁の商家が残る町八町

城跡から南西へ歩くと、町八町(まちはっちょう)地区に出る。本町や畳屋町など8つの町が集まった、大友宗麟の時代からの歴史がある商人と町人の町だ。外国人が住んだ唐人町という町名も残っている。
細い路地に立つ木造三階建ての家や、商家の白壁土蔵など、懐かしい風景だ。南国の明るい日差しと相まって、開放感を感じる。

重厚な瓦屋根が重なり合う

重厚な瓦屋根が重なり合う

町八町地区のメインストリートである八町大路を南へ進むと、景色が一変する。凝灰(ぎょうかい)岩を切り出した細い通りに沿って、武家屋敷の長屋門や寺院の高い石垣が並び、重厚な景観に圧倒されるようだ。
ここは江戸時代の町並みがそのまま残る二王座歴史の道。一角に立つ旧真光寺の2階から眺めると、折り重なるように瓦屋根が続く町並みが美しい。二王座付近では、毎年11月の第1土・日曜に竹ぼんぼりをともす「うすき竹宵」が開催される。

薄明かりが幻想的な「うすき竹宵」

薄明かりが幻想的な「うすき竹宵」(画像提供:大分県)

旧真光寺は無料休憩所になっている。居合わせた解説員の方が「古い町並みを守り残してきた要因は、臼杵人の気質もあると思います」と話してくれた。江戸時代に大変な財政難を乗り切った歴史があるそうで、質素倹約、物を大切にする気風が育まれたという。
町歩きをしている間、地図とカメラを手にした私に「道、分かりますか?」「どうぞ、ごゆっくり」と、住民の方が何人も声をかけてくれた。昔から外国人も受け入れてきた町。“ようこそ”という気風も育まれているのかもしれない。

  

フグも臼杵の名物(画像提供:大分県)

臼杵には温泉もあり、豊後水道の急流にもまれた魚介類が味わえる。臼杵フグや、名産のカボスをえさに混ぜたかぼすブリなども味わい、ゆっくり滞在したい町だ。

アクセス・問い合わせ

・日豊線臼杵駅下車
・臼杵市観光情報協会 0972-64-7130

PROFILE

中元千恵子

旅とインタビューを主とするフリーライター。埼玉県秩父市生まれ。上智大卒。伝統工芸や伝統の食、町並みなど、風土が生んだ文化の取材を得意とする。また、著名人のインタビューも多数。『ニッポンの手仕事』『たてもの風土記』『伝える心息づく町』(共同通信社で連載)、『バリアフリーの温泉宿』(旅行読売・現在連載中)。伝統食の現地取材も多い。
全国各地のアンテナショップを紹介するサイト 風土47でも連載中

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