にっぽんの逸品を訪ねて

料理も花も映える“用の美の器”唐津焼 佐賀県唐津市

唐津焼の窯元を訪ねる

唐津焼の窯元を訪ねる

西日本で陶磁器のことを「からつもの」とよぶそうだ。それほど流通量が多かった唐津焼は、茶陶の世界でも「一井戸、二楽、三唐津」と高く評価されている。
唐津焼は、決して華麗な焼き物ではない。土の質感を感じさせる、素朴で、どちらかといえば地味なたたずまいだ。それなのに、安土桃山時代の昔から日本人の心をとらえ続ける魅力はどこにあるのだろう。

海辺に立つ唐津城がシンボル

海辺に立つ唐津城がシンボル

唐津焼の故郷は、玄界灘に面し、古くから大陸への玄関口として栄えてきた佐賀県唐津市。唐津焼は室町時代末から安土桃山時代にかけて始まり、豊臣秀吉らが連れ帰った朝鮮陶工が窯を作ったこともあって生産量が増大。唐津港から各地へ出荷されたという。
現在は市内に約70の唐津焼の窯元が点在する。そのうちの一軒、鏡山(かがみやま)のふもとにある鏡山窯(きょうざんがま)を訪ねた。
「唐津焼は使ってこそよさが分かる焼き物です。独特のたたずまいがあり、食材を盛るとお互いを引き立て合う。映画でいえば、主役を生かし、時には主役より存在感を示す名脇役といったところでしょうか」と話すのは作家の井上公之(こうじ)さんだ。

登り窯の前に立つ井上さん

登り窯の前に立つ井上さん

鏡山窯の工房には、こねた土や釉薬(ゆうやく)、ロクロなどが並んでいる。ほかの産地では分業化が進んでいる陶土や釉薬の作成などの工程も、一貫して行う作家が多いのが唐津焼の特徴だ。
「焼き物にした時の土の風合い“土味(つちあじ)”を生かすために、私も原土の採取から行っています」と井上さん。土は釉薬に隠れてしまうが、採取した場所や生成の仕方で微妙な風合いが変わる。
唐津焼は種類が多いのも特徴だ。鉄溶液で絵を描いてから釉薬をかけて焼く「絵唐津(えがらつ)」、鉄分の多い釉薬を用いる「黒唐津」、白濁した「わら灰釉」を用いる「斑(まだら)唐津」、ほかにも「朝鮮唐津」「三島」「粉(こ)引き」など伝統的な種類があり、さらに各窯でアレンジも加えて多彩な作品が生み出される。

手前が「黒唐津皿」、右奥「粉引き窯変皿」、左奥「朝鮮唐津蛤向付」

手前が「黒唐津皿」、右奥「粉引き窯変皿」、左奥「朝鮮唐津蛤向付」

種類ごとにそれぞれ苦労があるそうだ。作品を例に具体的に訪ねてみた。
「黒唐津皿」で特に気を使うのは焼成温度だという。高温で焼き込めば色は美しくなるが、縁(ふち)が溶けるなど形が悪くなる。低温ではおもしろいものができない。
粉引きをアレンジした「粉引き窯変(ようへん)皿」は、“釉調(ゆうちょう)”といわれる施釉による表面の状態が特徴的だ。釉薬の厚がけを行ってこの状態を作るが、厚過ぎると剥離(はくり)する。平らで大ぶりな皿は、形の維持も難しい。
「朝鮮唐津蛤向付」で用いる朝鮮唐津の手法では、色の違う二種類の釉薬を使って高温で焼くことで、釉薬の境界で微妙な色や流れが生まれる。その偶然の変化を“景色”とよび、唐津焼の魅力の一つになっている。
「同じ条件でも同じ作品は出来ない。窯たきをしても、本当に気に入った作品は焼き上がった物の半分以下ということもあります」と井上さん。それでも“土味”と美しい“釉調”や“景色”を引き出すため、手間ひまかけて原土採取から取り組み、薪で登り窯をたく。

刺し身が映える黒唐津皿

刺し身が映える黒唐津皿

粉引き窯変皿は洋風料理にも合う

粉引き窯変皿は洋風料理にも合う

唐津焼は「作り手8分、使い手2分」といって、食材や茶、花を入れて作品が完成するとされる。作り手の情熱と使い手が参加できる楽しみ。唐津焼が長年愛される理由が少し分かった気持ちがした。
唐津は江戸時代は城下町として栄えた。今も古い町割りが残り、ふとした街角に城下の名残が見られる。潮風に吹かれながら歴史散策も楽しい町だ。

城下町の面影を留める

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交通・問い合わせ

・筑肥線、唐津線唐津駅下車
・唐津観光協会 0955-74-3355

※本文中のリンク先は、楽天トラベルの観光情報です。

PROFILE

中元千恵子

旅とインタビューを主とするフリーライター。埼玉県秩父市生まれ。上智大卒。伝統工芸や伝統の食、町並みなど、風土が生んだ文化の取材を得意とする。また、著名人のインタビューも多数。『ニッポンの手仕事』『たてもの風土記』『伝える心息づく町』(共同通信社で連載)、『バリアフリーの温泉宿』(旅行読売・現在連載中)。伝統食の現地取材も多い。
全国各地のアンテナショップを紹介するサイト 風土47でも連載中

南蛮貿易の歴史を伝える海辺の城下町 大分県臼杵市

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