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地震から半年、熊本城の現在と未来(前)

本震後の大天守、小天守、石門付近(2016. 4. 17/熊本市公開)

本震後の大天守、小天守、石門付近(2016. 4. 17/熊本市公開)

難攻不落の名城、史上最大の被害に

直下型大地震が九州地方を襲ってから半年が過ぎた。被災した熊本城は今、どのような状況にあるのだろうか。今回は番外編として、熊本城の災害復旧工事で調査にあたっている熊本城調査研究センターの鶴嶋俊彦さんに案内いただいた、現地取材(2016年9月14日)の結果に基づいて、現状と修復に向けた課題をまとめる。

同センターの発表によると、4月14日21時26分の前震(M6.5)では、国指定の重要文化財建造物10棟が被災。復元建造物の被害は7棟で、大天守の瓦が落下したほか、壁のひびや塀の崩落などが確認された。

天守台付近に飛散する瓦や石材の破片(2016. 4. 23/熊本市撮影)

天守台付近に飛散する瓦や石材の破片(2016. 4. 23/熊本市撮影)

この前震では深刻な被害はなかったが、4月16日1時25分の本震(M7.3)で被害は甚大なものとなった。13棟の重要文化財建造物は、すべて被災。北十八間櫓(やぐら)と東十八間櫓の2棟は全壊、五間櫓や長塀など3棟は一部倒壊、そのほかの建造物では屋根や壁が激しく破損した。復元建造物は20棟が被災し、石垣の崩壊や壁の破損も広範囲にわたった。

本震で倒壊した北十八間櫓(左)と半壊した五間櫓(右)(2016. 4. 25/熊本市公開)

本震で倒壊した北十八間櫓(左)と半壊した五間櫓(右)(2016. 4. 25/熊本市公開)

とくに城内を取り巻く石垣の被害が深刻だった。崩落に加え部分的な膨らみや緩みなどの被害は517面(うち崩落50か所、229面)、約2万3600平方メートルに及ぶ。熊本城全体の石垣は約7万9000平方メートル、973面であるから、全体の約30パーセントだ(崩落は約8,200平方メートル、全体の約10.3パーセント)。

数寄屋丸御門の枡形。奥は宇土櫓(2016. 4. 17/熊本市公開)

数寄屋丸御門の枡形。奥は宇土櫓(2016. 4. 17/熊本市公開)

“第3の天守”と呼ばれる三重五階の宇土櫓が無事だったことは、城ファンがもっとも安堵したところだろう。接続する続櫓は全壊したが、築城時から400年超を誇り全国屈指の三重五階櫓は持ちこたえた。ただ、実際には基礎の石垣や地盤の沈下で櫓内の柱に損傷もあるため、以前のように内部を見学できるようになるまでの道のりは険しい。

城内側から見た宇土櫓と続櫓。左手に接続する続櫓は全壊した(2016. 4. 22/熊本市撮影)

城内側から見た宇土櫓と続櫓。左手に接続する続櫓は全壊した(2016. 4. 22/熊本市撮影)

被災後の十四間櫓、七間櫓、田子櫓。壁の漆喰や屋根の破損に留まったが、田子櫓と七間櫓は石垣の沈下により城外側に傾いている(2016. 4. 27/熊本市撮影)

被災後の十四間櫓、七間櫓、田子櫓。壁の漆喰や屋根の破損に留まったが、田子櫓と七間櫓は石垣の沈下により城外側に傾いている(2016. 4. 27/熊本市撮影)

城の東側に連なる田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓は壁の漆喰や屋根の破損に留まったが、田子櫓と七間櫓は城外側に傾いていた。石垣が全体的に沈下したためだ。平櫓と監物櫓は若干傾いて壁や屋根の破損に留まっているが、不開門は門上の櫓が倒壊し、もはやかつての城門の形状や通路の配置がわからない状態となっている。

櫓部分が倒壊した不開門(2016. 4. 22/熊本市撮影)

櫓部分が倒壊した不開門(2016. 4. 22/熊本市撮影)

地割れで波打つ立ち入り禁止区域内

立ち入り禁止区域内を歩いていて驚いたのが、いたるところにある地面の陥没や地割れだ。とくに本丸の天守周辺は激しく、地面にいくつもの亀裂が生じ、波を打つようにデコボコとしていた。地割れや建物の傾きのせいで、歩いていて気分が悪くなった。

天守前の地割れ。城内は地盤の陥没や地割れがいたるところで見られた(2016. 4. 23/熊本市撮影)

天守前の地割れ。城内は地盤の陥没や地割れがいたるところで見られた(2016. 4. 23/熊本市撮影)

天守台の周辺には、くだけ落ちた瓦のほかに、まるでガラスの破片のような細かな石片が一面に散らばっている。よく見ると、石材の破片だ。石垣の石材が地震の衝撃でぶつかり合い、細かく割れて飛び散ったのだ。石がぶつかり合って割れる揺れとは、いかなるものなのか、想像しただけで恐ろしい。

前震からちょうど半年後の大天守屋根。瓦が落ち雑草が茂っている(2016. 9. 14/萩原さちこ撮影)

前震からちょうど半年後の大天守屋根。瓦が落ち雑草が茂っている(2016. 9. 14/萩原さちこ撮影)

今回の地震による石垣崩落の原因は、特定できない。ひとつの揺れに起因するのではなく、連続する震動による負担に堪えかねたと考えるのが正しいからだ。そして現在は無事でも、今後崩れる危険性が高い石垣が多くある。メーターがレベル10に達したときに崩れるとするならば、レベル6、7、8の石垣がかなりあるということだ。たとえば、馬具櫓下の石垣もそのひとつだ。ブルドーザーでえぐったかのように中央が崩れ落ちた馬具櫓台の石垣は、地震から1カ月後の5月10日午後に轟音とともに突如崩れたという。ちょうど、鶴嶋さんが50メートルほど離れた場所で調査中の出来事だった。本震の後は長さ12メートルほどにわたって膨らみが生じただけだったが、続く余震でダメージが蓄積し、耐久の許容範囲を超えたと考えられる。倒壊を免れた重要文化財の平櫓も、高さ20メートルの櫓台は櫓床下の石垣天端が陥没し、その下の石垣では大きな膨らみが生じている。余震次第では倒壊の恐れもある。

馬具櫓の石垣。地震直後の時点では膨らみが見られただけだったが、地震から1か月近く経った5月10日に突然崩落した(2016. 9. 14/萩原さちこ撮影)

馬具櫓の石垣。地震直後の時点では膨らみが見られただけだったが、地震から1か月近く経った5月10日に突然崩落した(2016. 9. 14/萩原さちこ撮影)

熊本城は年間177万人が訪れる観光地だが、依然として見どころである本丸中心部への立ち入りはめどが立っていない。熊本市は、3年後の天守復旧を目指すと発表した。2016年11月8日現在、頰当御門(ほほあてごもん)周辺では崩落した石材の運び出しが終了し、天守の修復に必要な重機が通れるようスロープを設ける準備が進行中。現時点で、城全体の修復にかかる年月を20年、費用は600億円を超える見通しだ。
(つづく)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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