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信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

鳥越城の本丸からの眺望。激戦の舞台であることを忘れる絶景が広がる。越前・美濃から加賀への交通の要衝に築かれていた

<鳥越城(1)からつづく>
駐車場で車を降りると、目の前に山のような斜面が立ちはだかる。この斜面(切岸)の上が、後二の丸だ。切岸はかなり削り込まれ、とてもよじ登れそうもない。頭上から石や矢の雨が降ってくることを想像すれば、この城へ攻め入ることの難しさがわかるだろう。向かって右手にある後三の丸の土塁もかなりの高さがあり、ぐるりと空堀が取り巻き守りを固めている。

中世の城は歩き慣れていないと、なにもない“山”にしか見えないケースが多い。しかし、エッジが効いたこの城は、ひと味もふた味も違う。鳥越城は、信長に抵抗すべく決死の覚悟で築かれた城。敵を迎え撃とうという臨場感にあふれ、それが現在もよく残っているのだ。戦闘空間で妄想することの楽しさを存分に味わえる城といえよう。

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

駐車場。右手の高まりが後二の丸

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

後三の丸の土塁と、それを取り巻く空堀

本丸と後二の丸との配置も、心憎い。たとえ後二の丸の切岸を登り切ったとしても、本丸とは空堀で遮断され、先へは進めない設計だ。しかも、本丸のほうが一段高く、頭上からの射撃は必至。堀底は幅が狭く、攻略は至難の業だろう。北側には後三の丸、背後には中の丸、二の丸、三の丸が配置されている。二の丸と三の丸を分断する堀切と削り込まれた切岸も、かなりのものだ。
中世の山城がどんな姿かがわかるのも、鳥越城の大きな魅力だ。山頂には発掘調査をもとに城門や柵列が復元され、往時の雰囲気を味わうことができる。

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

本丸と後二の丸を隔てる空堀。左の平らな土地が後二の丸になる

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

復元された本丸門

最大の見どころは、本丸の虎口(出入り口)に復元された本丸門だ。三方が石垣で囲まれた強固なつくりで、枡形(ますがた)という四角いスペースを置き、本丸門と枡形門の2つの門を配置した枡形虎口になっている。
注目すべきは、本丸門の左右が土塁であるのに対し、枡形門の左右は布目積みの石垣が積まれていること。これは、鳥越城を攻略した織田方が本丸門に変わる門として増築したからだ。堅牢な枡形虎口へと改変し、その周囲を石垣で固め防御力を高めたのだろう。鳥越城の争奪戦を示す痕跡が、ここにも残る。

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

中央の四角いスペースが枡形(ますがた)。枡形門と本丸門を配置した枡形門になっている

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

織田方により改修された、枡形門と石垣

土塁で囲まれた本丸からは、美しい景色が広がる。鳥越城が築かれている鳥越山は手取川と大日川に挟まれ、城はその合流点に向けて突出する丘陵先端部にあるため、見晴らしがよいのだ。戦いの殺気など忘れてしまうほどの絶景だが、同時に、一向一揆の拠点としての立地のよさも実感できる。
本丸からは礎石建物跡と掘立柱建物跡が重なり合いながら掘り出され、6期の変遷が確認されているという。小刀や鉄砲玉などの武具のほか、生活用具なども出土した。前二の丸の発掘調査では南西隅に掘立柱建物跡が見つかったが、それ以前つくられた穴蔵状土杭跡が意図的に埋め戻されていることも判明している。
中の丸門の入口下方に通じる帯曲輪(くるわ)は馬駆場ともいわれ、馬の訓練に使われたと考えられている。兵の駐屯できる広大な敷地と空堀によって仕切られた曲輪群、馬の調練場と、効率よく戦えるよう考えられた、戦闘の気配が感じられる。

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

本丸には、発掘調査による礎石建物跡や掘立柱建物跡、井戸跡などが平面表示されている

鳥越城を後にしたら、もう1城訪れておきたい城がある。大日川の対岸にある、標高268メートルの独立峰上に築かれている二曲(ふとげ)城だ。鳥越城とともに白山麓の一向一揆が拠点とした城で、門徒の指導者だった鈴木氏(二曲氏)の本拠とされる。
鈴木氏は山麓(さんろく)の館(殿様屋敷)に住み、この二曲城を砦としていたらしい。1580(天正8)年11月、二曲城は鈴木一族の討ち死にによって鳥越城とともに落城したが、山内衆は翌年3月に蜂起して柴田勝家の軍勢300人を討ち果たしたといわれている。しかし1582(天正10)年3月に佐久間盛政により鎮圧され、ついに死闘は終幕したのだった。
発掘調査の結果、二曲城は日常的な空間ではなく、臨時の詰城としての性格が色濃いことが明らかになってきている。石山合戦の開始を機に、信長との戦いに備えて城を改修し強化したのだろう。
登城口から本丸へは、徒歩10分ほど。急な東斜面を左手に、三の曲輪、二の曲輪、山頂の一の曲輪へと整備された道を登っていく。城の北側を遮断する三の曲輪の堀切、三の曲輪と二の曲輪を分断する堀切などがよく残り、戦いの雰囲気は十分だ。一の曲輪からは、鳥越城はもちろん南側に広がる平野も見渡せ、監視をするには絶好の立地だ。一の曲輪の西側には四の曲輪、さらに西側に五の曲輪が配置されている。

信長軍を迎え撃つ戦闘空間を楽しむ 鳥越城(2)

二曲城は「鳥越城跡附二曲城跡」として、国の史跡に指定されている。石垣の先が平らな土地になっており、四の曲輪とされる

鳥越城と二曲城とセットで訪れると、両城を連携させた、加賀一向一揆の戦いぶりが見えてくる。下山後は、再び白山市立鳥越一向一揆歴史館のある「道の駅 一向一揆の里」に戻ればひと休みできるのもうれしい。豊かな自然に囲まれ水がきれいな鳥越はそば処でもあり、道の駅内の食彩館せせらぎでもおいしいそばが味わえる。

(鳥越城の回・おわり)

#交通・問い合わせ・参考サイト
鳥越城(白山市立鳥越一向一揆歴史館)
北陸鉄道「鶴来」駅から加賀白山バスで約30分 ほか
076-254-8020(白山市立鳥越一向一揆歴史館)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

信長と加賀一向一揆の最後の激戦跡へ 鳥越城(1)

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