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風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

越前大野城は、織田信長の越前一向一揆平定後に金森長近により築かれた

<越前大野城(1)からつづく>

越前大野城と城下町は、1576(天正4)年に金森長近により築かれた。長近は、織田信長の初期親衛隊“小姓衆・赤母衣衆”として知られる武将だ。信長が幼い頃から親密な関係にあり、「長」の一字を与えられて改名したほど厚い信頼を得て、軍監として活躍した。
越前一向一揆の収束後、長近は信長に大野を与えられた。この地は、越前と美濃を結ぶ美濃街道が通る要衝。つまり、本願寺勢力がもっとも発展した北陸諸国と、同じく本願寺が勢力を持った美濃・三河・尾張など東海諸国とを結ぶ要地であった。そもそも美濃街道は古代以来、白山修験の道だ。戦国大名や一向一揆軍にとっては北陸道の裏街道として使われていたようだ。
つまり大野城は、越前一向一揆を平定した信長にとって、組織化された一向一揆に対する一揆の再発防止のために重要な意味を持つ土地だった。城下町に目隠しになるよう、直角の「カギの手」に設計された道があるのも、美濃街道との関係を考えれば納得だ。

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

大野城の天守最上階からのぞむ城下。越美国境をつなぐ美濃街道から九頭竜川沿いに北陸道へとつながる勝山街道へは、城下の七間通りを分岐点とする

そんな考えをめぐらせながら、山上の天守を目指して登っていく。登城口から遊歩道を約20分登ると、いかにも古めかしい風情ある石垣が現れる。この本丸周辺に累々と残る石垣が、大野城の最大の見どころだ。
長近は1576年から、4年がかりで大野城を築城した。1576年といえば、信長が安土城(滋賀県近江八幡市)を築城した年だ。本格的な城の石垣は、安土城から始まるとされる。同時期に築かれた大野城に立派な石垣が積まれているのは、長近が信長に近しい存在であった証。大野城は、最新の技術が投じられた先駆的な城だったのだ。その一方、歩いていると竪堀らしきものがいくつか発見でき、中世の城づくりの名残も感じられて楽しい。
かなり近代の石垣も混在するが、本丸周辺の石垣は、築城時のものだろう。自然石を加工せずに積んだ野面積がその歴史を物語る。隅角部の算木積みも未発達で、いかにも古めかしい。天守は1968年に再建されたものだが、この希少な石垣を目にするだけでも登城する価値がある。

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

累々と残る本丸周辺の石垣。近代に改変された石垣が多いが、築城時のものとみられる野面積の石垣も残る

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

天守台南西側の通路のような石段は、天守と連動する櫓(やぐら)が前面に突き出す形で建っていた姿を想像させる。現存例がないため解明されていない、同時期に存在した信長の家臣が築いた天守構造を知る上でも興味深い

天守最上階からの絶景がたまらない。大野城は大野盆地にある標高249メートルの丘にあるので視界を遮るものがなく、遠くには白山連峰をのぞめ、眼下には北陸の小京都と呼ばれた城下町が見渡せる。なるほど、信長の戦略的要衝であったわけだ。とはいえ今となっては戦国時代の緊迫感などなく、心地よい風に吹かれれば、登城の疲れも一瞬で忘れてしまう。

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

天守最上階からの眺望。見晴らしがよく、盆地であることがよくわかる

大野城を堪能したら、長近がつくった城下町を歩こう。長近は後に飛驒高山へ移り、かの有名な高山の城下町をつくる城下町づくりの達人でもあるのだ。
大野城は、城下町も先駆的だ。城の東側に武家屋敷、町人屋敷(町人地)、寺町(寺社地)が並び、町人屋敷は東西・南北それぞれ6筋の通りによって碁盤の目のように整然と区割りされている。
大野城の東側にある「百間堀」が、外堀の一部にあたる。ここが、城と武家屋敷との境目だ。「芹川用水」が武家屋敷と町人屋敷との境で、ここから城に近い西側が武家屋敷、東側が町人屋敷となる。
驚くのは、江戸時代の『諸国当城之図』に描かれた区割りがそのまま残ることだ。明治時代に防火対策として拡張された六番通りと石灯籠通り以外は、道幅も現在とほぼ変わらない。

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

外堀の一部にあたる、大野城の東山麓にある百間堀。背後の山が大野城

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武家屋敷と町人屋敷との境界線となっている、芹川用水

武家屋敷旧田村家の庭園に築山として残る土居(土手・土塁)は、なるほど外堀の境界線を示す貴重な遺構というわけだ。百間堀の延長線より城内側にあるこの地は、大野城の三の丸にあたる。地味な土の高まりも、こんなふうに城下町の片鱗だと気づけるとがぜん楽しい。こうした町中に残るパズルのピースを組み合わせながら、かつての姿を連想していくのだ。

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

武家屋敷旧田村家の庭に残る土居。屋敷は三の丸にあり、外堀の境を示す

城へ続く大手道として栄えた七間通りには、和菓子屋や醤油屋、民家など古い建物が並ぶ。古い町家の特徴ともいえる下屋庇が連なる光景に、ほっとする。
城下町にめぐらされた「背割り水路」と呼ばれる下水道は、440年の時を経てなお現役だ。各家の背中合わせの境を流れることから、そう呼ばれるという。江戸時代から変わらぬ人々の営みが感じられる、大野はそんな町なのだ。

風情ある石垣と、街道沿いの城下町の眺めを堪能 越前大野城(2)

城へ続く大手道として栄えた七間通り。明治時代にたびたび大火に見舞われたため、隣への類焼を防ぐために「袖壁」という小さな仕切り塀のようなものが取り付けられているのも特徴だ

(越前大野城の回・おわり)

交通・問い合わせ・参考サイト

■越前大野城
JR越美北線「越前大野」駅から徒歩20分
0779-66-0234

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

わき水のせせらぎに癒やされながら城下を歩く 越前大野城(1)

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