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琉球王国の栄華をいまに伝えるグスク・首里城と、 三つの世界遺産めぐり

琉球王国の栄華をいまに伝えるグスク・首里城と、 三つの世界遺産めぐり

首里城のシンボルであり琉球王国最大の木造建造物、正殿。御庭(うなー)の色違いの列は、儀式のとき諸官が位の順に並ぶ目印だった

観光客でにぎわう那覇市の国際通りから、車を走らせること約20分。城壁にぐるりと囲まれた小高い丘の上に、首里城はある。南国の日差しに映える異国情緒あふれる色彩と、海からの風が感じられる開放的な空間が、旅の気分をぐっと盛り上げてくれる。

琉球王国の栄華をいまに伝えるグスク・首里城と、 三つの世界遺産めぐり

首里城内への入り口となっている守礼門。1958(昭和33)年に復元された。守礼とは礼節を守るという意味で、門に掲げられている扁額に書かれた「守礼之邦」は、琉球は礼節を重んずる国であることを意味する

沖縄の城は“グスク”と呼ばれる。明治維新まで琉球王国として繁栄していた沖縄は、歴史も文化も本州とは異なる。グスクもそのひとつで、城内に御嶽(うたき)という信仰の領域や、祈りを捧げるための拝所がいくつもあるなど、外観や構造はもちろん、城のあり方も一線を画している。

首里城は、350以上あるグスクのなかで頂点に立つ。琉球王国の国王が居城としたからだ。琉球では13世紀頃から、按司(あじ)と呼ばれる各地域の支配者を束ねる強力な王が現れ、14世紀には三つの国(南山、中山、北山)が並立する三山時代となっていた。これを、中山の尚巴志(しょうはし)が1429年に統一して琉球王国を誕生させた。

尚巴志が国王の在所としたことで、首里城は琉球の政治・経済・文化の中心地となり、中国・朝鮮・日本をはじめ東南アジアの交易の拠点として大発展を遂げた。1879年に明治政府に明け渡されて沖縄県になるまで、首里城は450年間ずっと国王の在所であり続けた。

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第一の正門にあたる歓会門。歓会とは歓迎を意味し、中国の冊封使(さくほうし)を歓迎する意味で名付けられた。門の両側には魔除けのシーサーが載る

グスクの特徴は、独特の色彩と装飾だ。首里城のシンボルでもある正殿を見ると、壁面は目が覚めるような鮮やかな朱色で塗られ、柱には緑や群青などの極彩色で模様があでやかに描かれている。屋根には龍が載り、出入り口の両脇には龍を柱に見立てた大龍柱と小龍柱が立ち、すべて違うポーズをした獅子が載った高欄が並ぶ。

正殿は中国の紫禁城をモデルにしたといわれ、きらびやかな彩色や龍の文様などは、中国の影響を強く受けているらしい。巨大な龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)、軒先の瓦にある瓦当紋様、雲型の飾瓦、一風変わった唐破風(からはふ)など、どれも特有だ。内部の構造も独特で、とくに2階の御差床(うさすか)には豪華で神秘的な世界が広がっている。

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正殿。第二次世界大戦で焼失し、1992(平成4)年に復元された。壁などには桐油が塗られている

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龍は国王の象徴で、石階段の両脇に大龍柱と小龍柱という龍の彫刻があるほか、柱や梁(はり)にも龍が多く使われている

琉球王国は14世紀末から16世紀中期にかけて、中国・日本・朝鮮および東南アジア諸国との貿易を、国をあげて推進した。城の装飾に中国の影響を色濃く感じるのは当然というわけだ。ただ、同時に和風の装飾も見られるところがおもしろい。正殿の正面に飾られる唐破風は、本州の城や神社では一般的なもの。細部の色やデザインは異なるが、同じように屋根が部分曲線を描く形状をしている。

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色鮮やかな唐破風(からはふ)。国王が座る玉座・御差床の左右の柱にも龍が描かれていた。正殿2階の御差床両脇の朱柱にも金の龍と五色の雲が描かれている

正殿に向かって左側にある北殿は、中国の使者・冊封使(さくほうし)をもてなす建物のため中国様式だ。これに対して、右側の南殿は白木づくりで日本の建築様式。薩摩の役人を接待し、日本式の儀式をする場だからだろう。国王の執務空間である書院のほか茶室や座敷もあり、正殿とは一変、落ち着いた空間が広がる。なんと、日本庭園さながらの庭園もある。二つの国と複雑に関わってきた、琉球王国の歴史が感じられる。

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右が番所、左が南殿。南殿では日本風の儀式が行われ、南風御殿とも呼ばれていた

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国王が日常の執務を行った御書院は、奥に茶室もあった。書院・鎖之間と一体をなす庭園は、琉球石灰岩が用いられている。奥書院は、国王が執務の合間に休息した場所で、庭園もある

首里城跡は、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。1泊2日で首里城を含む九つの世界遺産をめぐる旅のプランも捨て難いが、その時間がなくとも、首里城から徒歩圏内の世界遺産は、ぜひとも訪れておこう。

首里城から徒歩数分のところにあるのが、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓・玉陵(たまうどぅん)だ。1501年、3代目の尚真王(しょうしんおう)により創建された。首里城の守礼門と歓会門の中間にある園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)も、同じく尚真王により1519年に建てられた。琉球王国時代の国王の拝所で、国王が首里城を出る際には道中の安全をここで祈願したと伝わっている。

琉球王国の栄華をいまに伝えるグスク・首里城と、 三つの世界遺産めぐり

第二尚氏王統の歴代国王が葬られている玉陵。自然の崖壁に穴をあけ、東室・中室・西室の三つの室がつくられている。陵墓を守護するという石彫りの獅子像が印象的だ

識名園は、首里城から車で10分ほどのところにある。1799年に造営された琉球王家最大の別邸で、琉球王家の人々の保養のほか、外国使臣の接待などに利用されたという。1800年に冊封使を招いていることからも、琉球王家にとって最高のもてなしの場だったと思われる。

中国のエッセンスを感じる六角形の建物やアーチ形の石橋、池の周囲に積まれた琉球石灰岩など、首里城に通じる琉球らしいデザインだ。しかし、庭園そのものは日本の大名庭園と同じ雰囲気に包まれている。それもそのはず、造園形式は日本の大名がこぞって造った「廻遊式庭園」なのだ。池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しめるようにつくられていて、ほっと心がやすらぐ。

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琉球王家の別邸・識名園は、大名庭園と同じ廻遊式庭園。石橋はさまざまに異なり、見比べるだけで楽しい

交通・問い合わせ・参考サイト

■首里城
ゆいレール「首里」駅から徒歩約15分
098-886-2020(首里城公園管理センター)
http://oki-park.jp/shurijo/(首里城公園)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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