城旅へようこそ

まるで西洋の要塞 大分・耶馬渓の奇岩に築かれた長岩城

耶馬渓に築かれた長岩城。奇岩を利用した、全国有数の奇城として知られる

耶馬渓に築かれた長岩城。奇岩を利用した、全国有数の奇城として知られる

大分県中津市の中心地から車を走らせること約50分、長岩城は、「日本新三景」のひとつにも選ばれている山国川の上・中流の渓谷「耶馬渓」にある。耶馬渓は、溶岩台地と集塊岩山地の浸食によってできた奇岩の連なる景勝地だ。長岩城は、この奇岩を利用した全国でも有数の奇怪な城なのである。

そそり立つ岩肌。いかにも堅牢な雰囲気で近寄りがたい

そそり立つ岩肌。いかにも堅牢な雰囲気で近寄りがたい

奇岩たちに囲まれた城は、やすやすと近寄れない雰囲気を醸し出している。標高はさほどではないが、足場が悪いため危険度はかなり高い。城域も広大なため、城を訪れる際は、半日は時間を確保しておいた方がいいし、もちろんトレッキングシューズをはじめ、しっかりとした装備は必須だ。訪れた日は、前日に雨が降ったため、石やコケがかなり滑った。

ひと言で表現するならば、閉鎖的な空間に石塁や砲座が残る「独創的な山岳城」だ。たかだか中世の一地方豪族の城、などと侮ってはいけない。標高約530メートル、比高約230メートルのとがった円錐(えんすい)形の扇山と、その一帯の支峰や谷などを城域として、断崖の合間に石塁や砲座などの防御設備が築かれた。

長岩城の登城口。背後の山に城がある

長岩城の登城口。背後の山に城がある

城は谷を取り囲む東西の山に築かれ、東は陣屋と呼ばれる屋敷跡などのエリア、西は本丸などがある山城のエリアに分かれる。歩いて回るには、かなり時間がかかる広さだが、城内に入ると、すぐに見事な石塁が姿を現して、興奮してしまう。

山城の側は、深い谷に守られた南面を除き、東・北・西の3面は高さ4~10メートルの岩で取り巻かれている。背後は尾根続きに岩山の連山に連なり、西方の支峰を西之台、東方の中腹を東之台として、谷を隔てて相対する岩山にも出城が設けられている。

城内に入ると谷川に沿って一之城戸、二之城戸、三之城戸の三段構えで防備を固めつつ、塹壕や馬場も配置されている。三之城戸には、65メートルにも及ぶ防塁が累々と続く。

二之城戸の石塁

二之城戸の石塁

とにかく圧倒されるのが、20カ所、合計700メートルにも及ぶ石塁だ。これほどまでに長大で、しかも広範囲に石塁がめぐらされた城は見たことがない。とくに、東之台から本丸まで続く石塁は、立ち尽くしてしまうほど壮大。まるで大蛇のように地形を這いながら、終わりが見えないほど延々と続いていく。

城内のいたるところに、長大な石塁が延々と積まれている

城内のいたるところに、長大な石塁が延々と積まれている

東之台から本丸まで続く、圧巻の石塁。石塁は20か所、合計700メートルにも及ぶ

東之台から本丸まで続く、圧巻の石塁。石塁は20か所、合計700メートルにも及ぶ

長岩城の石塁は、石材が鉄平石と呼ばれる、平らに割れる石が使われている。こうした石塁は関東や信越などでもわずかながら存在するのだが、よく見ると、それらとは積み方や石材の大きさに違いがある。同時期の石塁ではあるが共通性はなく、それぞれが地域限定のものであるらしい。

長岩城主の野仲氏は、豊前中南部に土着して勢力を張った国人一族だ。鎌倉時代に守護だった宇都宮信房の弟・重房が野仲氏を名乗り、そこから22代390年間存続した。1198(建久9)年に築城したのは、この宇都宮重房とされるが、近隣の宇都宮氏の城を訪れてみても長岩城のような石積は見当たらず、どうやら野仲氏独自の築城技術であるようだ。

鉄平石を使った石塁が、長岩城の最大の特徴だ

鉄平石を使った石塁が、長岩城の最大の特徴だ

西之台の石塁

西之台の石塁

本丸は20メートルほどの珍しい半円型で、1段下に二つの腰曲輪(くるわ)が半円状に囲み、腰曲輪には三カ所、本丸には二カ所の虎口が配置されている。本丸と南東にある東之台の間の斜面には、延々と石塁と、それに沿った巨大な竪堀があった。大手にあたる虎口は一度左折して腰曲輪に入り、さらに右折して本丸へ上がる複雑な設計だ。

本丸から西之台へ向かうと、二重堀切の先に東西両側に石塁を設けた一文字土居虎口があった。なんと手の込んだ虎口をつくったものだと感心し、その戦闘力の高さに怖さも感じてしまった。西之台の南側は三重の堀切で分断され、堀切はいずれも長大な竪堀としてふもとの方向へ伸びていく。

石塁を両側に設けた、一文字土居虎口

石塁を両側に設けた、一文字土居虎口

長岩城は、戦国時代の1588(天正16)年に、黒田長政により攻められ落城した。長政の父・官兵衛は、豊臣秀吉の命で、豊前の諸城を次々に攻撃した。その一環として、約3500の兵で長岩城へと迫ったのが長政だった。長岩城で迎え撃った野仲鎮兼の兵は、わずか約1500。野仲氏は、秀吉への従属を拒否して、城を枕に討ち死する覚悟で立て籠もったようだ。長政は長岩城の堅城ぶりに手をこまねいたといわれるが、三日三晩続いた攻防戦の末に城は落ち、野仲氏は滅亡した。

前述のように難易度の高い上級者向けの城であるため、万全の装備は欠かせない。そして、必ず山城経験者や土地勘のある人とともに入山しよう。とくに、石積櫓(やぐら)、弓形砲座がある陣屋南側の尾根上は、落下すると生命の危険を伴う。事故のないよう、きちんと準備をして城旅を楽しもう。

全国でも類を見ない、石積櫓(楕円形石積遺構)。3か所の穴は銃眼ともいわれるが、後世のものとも考えられ、真意は謎。石積櫓からはしごで降りた先にはさらに石塁があり、二重の防備となっている

全国でも類を見ない、石積櫓(楕円形石積遺構)。3か所の穴は銃眼ともいわれるが、後世のものとも考えられ、真意は謎。石積櫓からはしごで降りた先にはさらに石塁があり、二重の防備となっている

(長岩城の回・おわり)

交通・問い合わせ・参考サイト

■長岩城
JR日豊本線「中津」駅からバス「川原口」バス停下車

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

大和朝廷の古代へタイムスリップできる最北の「城柵」 秋田城

一覧へ戻る

名勝・錦帯橋の背後に立つ、不思議な形の岩国城

RECOMMENDおすすめの記事