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歴史に残る大戦! 「水攻め」された城

歴史に残る大戦! 「水攻め」された城

備中高松城。高松城址公園として整備されている

数々の攻城戦を制した城攻めの達人、豊臣秀吉。なかでも「三大城攻め」の一つとして語られるのが、1582(天正10)年の備中高松城(岡山市)の水攻めだ。水攻めとは、堤防で城を取り囲み、河川の水を引き入れて水没させる作戦のこと。兵力だけに頼らない、大規模な土木工事を用いる戦い方だ。

歴史に残る大戦! 「水攻め」された城

本丸に残る、備中高松城主・清水宗治の首塚

備中高松城を訪れると、広々とした公園になっている。激しい戦いがあった場所とは到底思えない。しかし、公園内を歩いていると、ハスが咲き誇っているのに気づく。そう、この城は低湿地にある、微高地に築かれた沼城なのだ。低地は台地に比べると浸水しやすく、排水が悪く地盤も軟弱だが、備中高松城は、逆にその湿地によって守られていたのだ。

1577(天正5)年、秀吉は信長から中国攻めの総大将を命じられ、毛利輝元の統治する中国地方へと侵攻を開始した。直前に備前の宇喜多直家が織田方についたことで、秀吉軍と毛利軍の最前線は備前と備中の国境に達していた。そこで毛利方は国境を守るべく、豪族たちの城を南北に連なるようにして配置した。七つの城による「境目七城」と呼ばれる防衛線の中心となったのが備中高松城だった。

歴史に残る大戦! 「水攻め」された城

高松城址公園。背後には、秀吉が本陣を置いた石井山がそびえる

備中高松城は湿地に守られ、簡単には近づけない。そこで秀吉は地勢を逆手に取って、城の周囲に堤防をつくり、近くを流れる足守川をせき止め、その水を城側に引き入れて城を水没させる水攻めを行った。『太閤記』などによれば、堤防の長さは蛙ケ鼻(かわずがはな)から約2.7キロ、規模は高さ約7メートル、幅は底部が約24メートル、上部が約10メートル。それをわずか12日間で完成させるという突貫工事で、秀吉は金銭や米と引き換えに周辺の農民を雇い、土を運ばせたといわれている。

最近では、蛙ケ鼻から現在の備中高松駅付近までの約300メートル、高さ2メートルの堤防だったという説がある。この規模ならば、12日あれば現実的に築堤できると思われる。

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蛙ケ鼻築提跡に残る、堤防の一部

水攻め作戦は功を奏し、備中高松城はみるみる水浸しになった。急報を受けた毛利輝元はすぐさま援軍を送ったが、すでに手遅れで救援不能だった。孤城となった備中高松城は開城を余儀なくされ、城主の清水宗治が自刃して戦いは幕を下ろしたのだった。

自然地形に恵まれていたことに加え、梅雨時で大雨が降ったことも水攻め成功の要因となったようだ。この地域は1985年6月に洪水に見舞われているのだが、その時も備中高松城を残して周囲が水没している。

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石井山に置かれた秀吉本陣。秀吉は龍王山に着陣した後、石井山に陣を変えたという

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石井山の本陣後から見下ろす備中高松城。中央のこんもりした森が本丸で、その左が二の丸、三の丸。手前には家中屋敷が広がっていた。吉川元春の陣所、庚申(こうしん)山や小早川隆景の陣所、日差山からも近い

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石井山にある、清水宗治の首塚。1909年に備中高松城本丸へ移築された

もうひとつの水攻めの城として知られるのが、小説「のぼうの城」の舞台となった忍城(おしじょう、埼玉県行田市)だ。1590(天正18)年の秀吉の関東攻めの際、石田三成が秀吉の命により水攻めしている。三成は成田長親と家臣や農民3000人が立てこもる忍城を包囲し、総延長約28キロともいわれる堤防を構築して忍城の水没を狙った。しかし、大雨によって堤防が決壊。三成陣営にまで冠水し水攻めは失敗に終わった。

忍城も沼地や湿地に囲まれた城だ。地図を広げれば、北に利根川、南に荒川という二つの大河川にはさまれた地勢とわかる。行田市の記録を見てみると、過去には堤防の決壊や甚大な水害が発生している。

本丸から600メートルほど南東にある水城公園は、外堀を利用して整備された公園だ。いくつもの池があり、かつて沼地だったことを感じさせる。

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本丸跡には行田市郷土博物館があり、再建された御三階櫓(やぐら)がシンボルになっている。周囲には水が豊富な散策路があり、地勢がわかる

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水攻めの際に三成が本陣を置いた丸墓山古墳。市内には三成が築いたとされる石田堤も断片的に残っている

(この項おわり。次回は10月15日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■備中高松城
JR吉備線「備中高松」駅から徒歩約10分
https://okayama-kanko.net/sightseeing/special.php?f=info_special_10(おかやま観光コンベンション協会)

■忍城
JR高崎線「行田」駅からバス「行田市バスターミナル」下車、徒歩5分 ほか
http://www.city.gyoda.lg.jp/kyoiku/iinkai/sisetu/hakubutukan.html
(行田市郷土博物館)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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