いつかの旅

連載エッセー「いつかの旅」 (11)準備魔

  

 小学一年生の頃から、明日の用意をしないと眠れない子だった。そろえた時間割と次の日に着る服を枕元に並べて、ようやく寝られた。
 真面目な子ではなかった。授業中は外ばかり見て、気に入らないことがあると勝手に家に帰ってしまう。いったいなんのための「明日の用意」なのか。我ながら神経質なのか豪快なのかわからない。

 いまは家で仕事をしているので、「明日の用意」はいらない。けれど毎晩、仕事を終えると明日の「やることリスト」を作ってパソコンのキーボードの上に置く。次の日は「やることリスト」に従って家事や仕事をこなしていく。ただし、順守されることは多くはない。

 出張や旅行の前の準備も入念だ。数日前くらいから旅行鞄(かばん)のまわりに必要なものを並べはじめ、家人に「なんの儀式だ」と笑われる。行程表も作り、それを眺めながら「この日は歩く距離が長いから絆創膏(ばんそうこう)を内ポケットに入れておこう」とか「飲みすぎて電車を逃すかもしれないからタクシー代を手帳に挟んでおこう」とか考える。お腹(なか)が痛くなるかも、アレルギーがでるかも、と、あらゆる薬を用意する。さまざまな状況を想定して荷物のあちこちに自己救済グッズを仕込んでおく。まるでリスだ。隠したどんぐりは忘れられ、旅先から戻った後に発見される。

  

 そもそも言葉が通じて、二十四時間営業しているコンビニがある日本で、必ず予備のウェットティッシュを荷物に入れて旅行する必要はない。わかってはいても、準備をしているときの私の頭の中には現実の日本とは違う場所がある。道に迷うかもしれない、店が見つからないかもしれない、財布をなくすかもしれない。たくさんの「かも」があふれ、そこでは誰も助けてはくれない。

 現実は私の想像よりはゆるい。迷っていれば道を教えてくれる人がいて、突然の雨も街のどこかに必ずあるコンビニやドラッグストアの傘が助けてくれる。準備のときに考えたたくさんの予想はほとんどが外れる。ただ、想定外の災難だってあるはずだという疑念が消えない。想定外なものへの対処をしようとしても徒労に終わるだけだろうに、ありったけの想像力を駆使して無駄に荷物を増やしてしまう。

 準備している間、私は違う世界に生きている。無数の旅を頭の中でくり返す。トラブルに巻き込まれたり靴擦れしたりする想像の中の私は、自力で危機を脱する。冒険みたいなものだ。心配性というのとも少し違って、きっと私はその想像を楽しんでいるのだと思う。

  

PROFILE

千早茜

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。立命館大学卒業。2008年、小説すばる新人賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビュー。同作は2009年の泉鏡花文学賞を受賞。2013年、「あとかた」で島清恋愛文学賞。「あとかた」と「男ともだち」(2014年)が直木賞候補作になった。2018年には尾崎世界観さんと共作小説「犬も食わない」を刊行。2019年には初の絵本「鳥籠の小娘」(絵・宇野亞喜良)を上梓。著書はほかに「クローゼット」、エッセー「わるい食べもの」など多数。

フォトグラファー

津久井 珠美(つくい・たまみ)

1976年京都府生まれ。立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告、家族写真など、多岐にわたり撮影に携わる。
http://irodori-p.tumblr.com/

連載エッセー「いつかの旅」 (10)お土産

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