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薩摩藩の外城制度と麓の武家屋敷 「西郷どん」ゆかりの城(3)

薩摩藩の外城のひとつ、知覧麓(ふもと)の武家屋敷群。大河ドラマ「西郷どん」のロケ地にもなった

薩摩藩の外城のひとつ、知覧麓(ふもと)の武家屋敷群。大河ドラマ「西郷どん」のロケ地にもなった

<「西郷どん」ゆかりの城(2)>から続く

郷中(ごじゅう)教育が行われていた薩摩藩。なかでも厳しい心身の鍛錬が行われ、伝統的にその心得が息づくのが、鹿児島県出水(いずみ)市の「出水麓(ふもと)」と呼ばれる地域だ。

「麓」とは、江戸時代の薩摩藩における武家集落のこと。1615(慶長20)年の一国一城令後、薩摩藩では「外城(とじょう)制度」という軍事・地方行政が一体化した独自の領国支配体制を取っていた。113の外城(郷)と呼ばれる地方支配拠点を設置して武士を分散させ、地頭を中心として麓をつくり統治させていたのだ。簡単にいえば支城のようなもので、領国の防衛力を維持する薩摩藩の秘策ともいえる。鹿児島城下に住んだ武士は城下武士、外城に住んだ武士は外城衆中(郷士)と呼ばれ、郷士は農民として自活しつつ、戦いが起きれば地頭の指揮に従い挙兵するよう組織化されていた。

出水市立出水小学校の校門は、移築された御仮屋門。藩主の島津義弘が隠居所とすべく移したと伝わる。この地は江戸時代、藩主の宿泊所だった

出水市立出水小学校の校門は、移築された御仮屋門。藩主の島津義弘が隠居所とすべく移したと伝わる。この地は江戸時代、藩主の宿泊所だった

出水麓の郷中教育がとりわけ厳しかったのは、薩摩と肥後の国境近くに位置する、防衛上の重要拠点だからだ。参勤交代の経路となる出水筋も通る、いわば薩摩の玄関口。西南戦争では戦いの場にもなった。国境警備を担うため江戸初期に藩内で最初に築かれたといわれ、規模も最大級。郷士も川内などから集められた精鋭だった。

出水麓には150戸あまりの武家屋敷群がよく残り、1995(平成7)年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。中世にこの地の拠点として機能していた出水城(亀ケ城)の北山麓、東西750メートル、南北800メートルに及ぶ整地された台地上に建ち並ぶ。

武家屋敷がある通りは、整然と区割りされているように見えるが、実は交差点ごとに少しずつ道路を交錯させているため見通しが悪い。150戸の区画を利用して、麓全体を要塞(ようさい)化しているのだ。各屋敷が門を閉じれば街区がたちまち防衛陣地となり、各屋敷は園道で往来できるよう工夫されていた。城壁のように積まれた石垣と、目隠しのように植え込まれた生け垣が特徴だ。

出水麓の武家屋敷群。外城の中心地である麓は郷士の住宅兼陣地で、農民の居住区とは区別されていた

出水麓の武家屋敷群。外城の中心地である麓は郷士の住宅兼陣地で、農民の居住区とは区別されていた

屋敷にも、武士の気概が満ちあふれている。出水麓の武家屋敷は一般的な武家屋敷とは異なり、武家の風格と軍事的なしつらえが共存している。

たとえば税所(さいしょ)邸では、玄関脇に弓の稽古場が設けられている。雨天時の練習場所といい、戦いの最前線に立つことを想定して日々鍛錬に励んでいたようすが伝わってくる。ここから外を狙うとちょうど屋敷の門前が真正面になり、いざという時は射撃場にもなりそうだ。奥へ進むと、一般的な武家屋敷と同じ平屋建てでありながら、階段を跳ね上げれば敵に気づかれない屋根裏部屋が。囲炉裏の端にある板張りを持ち上げると脱出口になるなど、忍者屋敷さながらのからくりが潜んでいる。

税所邸の上座敷。現存する武家屋敷のうち、税所邸と竹添邸が一般公開されている。ともに上級郷士の屋敷だ

税所邸の上座敷。現存する武家屋敷のうち、税所邸と竹添邸が一般公開されている。ともに上級郷士の屋敷だ

税所邸の内部。壁には武具がかけられ、弓の稽古場が設けられている

税所邸の内部。壁には武具がかけられ、弓の稽古場が設けられている

「薩摩の小京都」と呼ばれる知覧麓も、外城のひとつだ。亀甲城の西麓に建ち並ぶ知覧麓の武家屋敷群は国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、七つの庭園は国の名勝に指定されている。出水麓とは対照的に武家の落ち着いた暮らしぶりが感じられるのは、国境から離れた鹿児島南部に位置するせいだろうか。地頭としてこの地を治めた島津家の分家である佐多氏は、やがて功績が認められて知覧の私領地化と島津姓の使用が許可された。現在の武家屋敷群は、江戸中期以降に佐多氏によりつくられたとみられる。

知覧麓の武家屋敷通り

知覧麓の武家屋敷通り

麓の典型例であり、出水麓と同じように、折れ曲がる武家屋敷通り(本馬場通り)に沿って石垣と生垣に囲まれた屋敷が並ぶ。出水麓と異なるのは、知覧型二ツ家と呼ばれる屋敷の構造だ。一般的に、薩摩の武家屋敷は接客用の「おもて」と居住用の「なかえ」の2棟から構成され、ずらすように配置した2棟の接合部分に玄関が設けられる。しかし知覧麓の武家屋敷では、利便性を考慮したようで、2棟が合体した特殊構造となっている。

知覧型二ツ家

知覧型二ツ家

屋敷の内部が見えないように門と母屋の間に置かれた「屏風(びょうぶ)岩」も、知覧麓の武家屋敷の特徴だ。これは、琉球(現在の沖縄県)の民家で古くから伝わる、中国を発祥とする「屏風(ひんぷん)」という目隠しの壁を取り入れたものだという。三差路の突き当たりに置かれた「石敢當(いしがんどう)」と呼ばれる魔除けの石も、琉球を通じて伝わり、T字路や三差路に設けられたとみられる。知覧の港は、江戸時代には琉球貿易の拠点だった。どうやら、武家屋敷も琉球の影響を受けたようだ。

石敢當。直進する性質の魔物が、T字路や三差路などの突き当たりにぶつかって向かいの家に侵入しないためという。屏風岩は城の枡形(ますがた)と同じ原理で、防衛を兼ねている

石敢當。直進する性質の魔物が、T字路や三差路などの突き当たりにぶつかって向かいの家に侵入しないためという。屏風岩は城の枡形(ますがた)と同じ原理で、防衛を兼ねている

約700メートルに及ぶ武家屋敷通りでは、七つの庭園を鑑賞することができる。通りの雰囲気が統一されているのに対して、庭園は個性的。それぞれに趣向が凝らされ、どれもすばらしい。いずれもさほど広くないのだが、たとえば佐多直忠庭園や平山克己庭園、平山亮一庭園などは、母ケ岳を借景にしながら石組みや生垣で大海原や大陸を表現するなど、アート作品のような壮大さとロマンがある。

西郷恵一郎庭園。刈り込みで表現された連山、石組みによる枯滝や鶴亀など、調和が見事

西郷恵一郎庭園。刈り込みで表現された連山、石組みによる枯滝や鶴亀など、調和が見事

平山亮一庭園。石組みのない大刈り込みのみの庭園。前面のサツキの刈り込みは花の季節にはピンク色に染まる

平山亮一庭園。石組みのない大刈り込みのみの庭園。前面のサツキの刈り込みは花の季節にはピンク色に染まる

(この項おわり。次回は11月19日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト
■出水麓武家屋敷群
JR・肥薩おれんじ鉄道「出水」駅から車で約5分
http://www.izumi-navi.jp/feature/buke.html
(出水ナビ)

■知覧武家屋敷庭園
鹿児島交通バス「武家屋敷入口」バス停下車すぐ
https://www.city.minamikyushu.lg.jp/kankou/kanko/sagasu/chiranchiiki/bukeyashiki.html
(南九州市)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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