城旅へようこそ

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

中城グスクで城壁の内側から発見された古い城壁。14世紀後半とされていた築城時期が14世紀半ばまでさかのぼる可能性が出てきた

世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつ、中城グスク(沖縄県中城村)で定説を覆す発見があった。修復のため城壁の一部を解体したところ、内側から古い時代の城壁が姿を現したのだ。これまで私たちが見てきた城壁は、もともとあった城壁を覆うように積まれていた。

発見されたのは、一の郭北西側の石積みで、三つの時期の改変が確認できる。もっとも古いのが、今回見つかった14世紀半ばに積まれたとみられる白っぽい黄色の石積み(石積み①)だ。その後、15世紀前半に大幅なグスクの拡張に伴い、最上段(石積み②)と基壇(石積み④)が増築された。高さ約7メートルの石積み①の上に約8メートルの石積み②を増築し、合計高さ約15メートルの石積みを支えるため石積み④で補強したらしい。そして19世紀末になり、はらみだした石積み①の崩落防止のために下部を取り巻く石積み(石積み③)が積まれたとみられる。

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

中央の白っぽい石積みが14世紀半ばに築かれ(石積み①)、15世紀前半に最上段(石積み②)と基壇(石積み④)が増築され、19世紀末に石積み①を補強するため石積み③が積まれたと考えられる

石積み①の築造時期は、13世紀末〜14世紀前半の遺物が出土する包含層を掘り込んで琉球石灰岩の岩盤を露出させて根石を据えていることから14世紀半ばと推定される。中城グスクは、中世の地方豪族の首長である先中城按司(さちなかぐすくあじ)が14世紀後半に主要部分を築き、1440年に城主となった護佐丸(ごさまる)が北の郭や三の郭を増築して完成したとされてきた。今回の発見で築城時期が早まり、中城グスクの歴史が塗り替えられたことになる。それだけでなく、14~15世紀の按司の財力や技術力、グスクの在り方を考える上でも貴重な発見といえる。中城村教育委員会では今後、ほかのグスクとの比較などから築城年代をさらに精査する予定だという。

ちなみに石積み③が19世紀末の築造と考えられるのは、1853(嘉永6)年にペリー艦隊の調査隊が訪れた際に画家のハイネが描いたスケッチには石垣が描かれていないものの、1917(大正6)年に植物調査のために訪れたウィルソンが撮影した写真には写っているからだ。少なくともこの間に築かれたことになり、写り込むソテツの生育期間から逆算すると19世紀末と推定される。

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

発掘調査された地盤。石灰岩、赤土、遺物包含層が見え、それをたち割るように切って根石を据えているのがわかる。基壇石積側も同じようにしている

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

中城グスクの代表的なスポット、北の郭のアーチ門。1853年に来島したペリー探検隊一行が高い技術に驚き称賛したとされる。ペリー探検隊はかなり詳細に測量を行っている

とにかく驚くのは、石垣の築造技術が高いことだ。沖縄のグスクは本土の城とは一線を画し、築かれた時期も100年以上早い。本土で石垣の城は16世紀半ばから造られ、姫路城や名古屋城、熊本城の石垣は17世紀初頭に積まれたものだ。本土の城に石垣の城が誕生する200年も前に、琉球のグスクではこれだけ壮大な城壁が当たり前のように構築されていた。

グスクの石積みは直線的な本土の城の石垣とは異なり、たなびくカーテンのようになめらかなカーブを描く。グスクに用いられている琉球石灰岩は、柔らかく加工がしやすいのだ。また、石材に控え(奥行き)が少なく、急勾配であることも特徴だ。本島の城では、歯のように先端を細くした奥行きのある石材を、先端を石垣の内部に差し込むようにして積み、隙間を小さな石で固定するのが一般的。よって、奥行きのない石材を使った石垣は崩れやすい。中国や韓国の石垣と異なり日本の城の石垣に美しい勾配が生まれたのも、地震に備えてのことだろう。

それでもグスクの石垣が崩れないのは、水はけがよいからだ。グスクは琉球石灰岩の岩盤上に築かれていることに加え、土を土台とする本土の城の石垣とは異なり、石塁であるため城壁の内部に土が使われず内部には裏込め石が詰まっているだけだ、だから、台風で大雨が降ってもすぐに抜けていく。雨は厚さ10~15メートルの琉球石灰岩の岩盤層を通り、水をとおしにくい泥岩層に当たり、岩盤と泥岩層の境目からわき水となって地表面に出るのだ。標高160メートルもある中城グスク内にいくつも井戸があるのもそのためだ。

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

芸術的な二の郭の城壁。とりわけ美しいカーブを描く

とにかく感嘆したのが、発見された石積み①の精密な加工の美しさと高度な積み方だ。方形に整形した石を布積みにしているだけではなく、石材の切り欠いた部分に別の石材をぴったりとはめ込みながら、パズルのように精巧に積み上げている。この積み方にそっくりなのが江戸城の天守台なのだが、これは17世紀半ばに当時最高峰の技術で積まれたもの。沖縄では300年以上も前に同じような技術が成立していたとは、ただただ驚愕(きょうがく)するばかりだ。

石垣は時代とともに表面の加工技術が発達するため、基本的には石垣の表面が平らに整えられていく。中城グスクの石垣はその傾向とは正反対で、近代に積まれた石積み③がいちばん乱雑で古い時期に見え、石積み②がその次に古く、最古の石垣①がもっとも手が込んでいて新しい時期のものに見える。築造にかけた時間や手間などの条件の違いもあるため一概に技術力の退化とはいえないが、少なくとも14世紀半ばの本土の城では、この石垣は絶対に見られない。

本土の城もグスクも、技術のルーツは中国の城にある。しかし沖縄は古くから東アジアにおいて独立した先進国家で、大陸との貿易も盛んに行われていた。さまざまな技術を取り入れながら独自の伝統と文化を築き上げてきた、沖縄の歴史を示す事例のひとつともいえるのだろう。

ちなみに石積み①の色が白っぽいのは、琉球石灰岩には外気に触れると黒くなる性質があるからだ。人間の肌が日焼けをするのと同じように変色し、外側を覆ってしまうと元に戻るという。石材の表面に見られるボコボコとした穴は風化ではなく、琉球石灰岩がかつてサンゴだったときの名残で、地表近くから採石した石の特徴。1~2メートル以上の深いところから採石したものは穴がないのだそうだ。中城グスクの石材に穴が空いたものが多いのは、急造の可能性を示しているのかもしれない。

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

14世紀半ばに積まれた石積み①。かなり精密な加工がされている

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

下段の黒い石積み③が19世紀末、真ん中の黄色い石積み①が14世紀半ば、上段の灰色の石積み②が15世紀前半に積まれたもの

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

発掘調査では「F」や「L」などのアルファベットのような記号や印が刻まれた刻印石も見つかった。首里城に続く2例目となる。作業の際の目印か、関係者の意思表示か、グスクの築城過程を解明する糸口になるかもしれない

気になるのは14世紀の中城グスクの規模と姿だが、残念ながら石積み①の城壁のラインは拡張後に完全に埋め立てられているため、現在の一の郭の大半を解体しない限りたどることはできない。もっとも興味深いのは、誰が拡張したのかということだ。先中城按司の可能性も否めないが、やはりここまでの拡張ができるのは権勢を誇った護佐丸である可能性が高いだろう。

中世の沖縄では、中山王の尚巴志(しょうはし)が三山(北山・中山・南山)の分立抗争を制して統一し、琉球国王となった。護佐丸は尚巴志の北山攻めで功績を挙げ、誕生した琉球王国で要職に就いた人物だ。中城グスクは単なる護佐丸の居城ではなく、王命によって築かれた、琉球王朝にとって重要なグスクだった。1458年に護佐丸が阿麻和利(あまわり)の乱で没した後も中城グスクは存続し、当時の行政区である中城間切(なかぐすくまぎり)とともに中城王子の所領となっている。さらに1729年には琉球王国の役所である間切番所、廃藩置県後には役場が置かれ、行政の中心地として機能していた。聞けば戦前まで地域のシンボルとして大切にされ、沖縄戦で役場の建物が焼失するまで地域住民が清掃活動をしていたそうだ。

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

石積み①は昨年の城壁の解体調査で隅角部が見つかっていた。城壁が完全に埋め立てられ、15世紀前半の拡張がかなり大規模だった可能性があることがわかる

中城グスクと琉球王国との密接な関係を示すのが、「ハンタ道」だ。ハンタとは「崖沿い」「丘陵沿い」という意味で、ハンタ道は尚巴志により整備された琉球王朝時代の道のことだ。なんと、琉球国王のいる首里城から中城グスクを結ぶ約15~16キロも続く。首里城から中城グスクまでは車で30分以上もかかり遠く離れた存在という印象があるが、決して切り離された存在ではなく、むしろ琉球王朝と密接な存在だったようだ。

新発見! 世界遺産のグスク 中城グスクに出現した石積みとは?

新垣グスク付近に残るハンタ道。首里城と中城グスクを結ぶハンタ道は中城村の崖沿いに現在も残り、中城村では道筋がわかるように整備されている

(この項終わり。次回は3月4日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■中城グスク
沖縄自動車道「北中城」ICから車で約8分
https://www.nakagusuku-jo.jp/(中城城跡共同管理協議会)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

未公開ゾーンの知と技と美に遭遇 世界遺産の姫路城「冬の特別公開」へ

一覧へ戻る

ついに公開! ディープな世界「御内原」とは? 首里城(1)

RECOMMENDおすすめの記事