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青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

御内原(うーちばる)からの景色。1段下の大隅(うーしみ)には高さ7〜8メートルの石塁が積まれている

何度訪れても、心を奪われるグスクだ。世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」のひとつである今帰仁(なきじん)城は、那覇市から約85キロ、沖縄美(ちゅ)ら海水族館からほど近い沖縄本島北部の今帰仁村にある。グスクのある本部半島は東シナ海に突き出しており、今帰仁城は半島北端の海岸からわずか800メートルほどの標高約100メートルの高台にある。そのため、最高所からはグスクを取り巻く石塁と、その向こうにライトブルーとインディゴブルーのツートンカラーの海を見渡せる。累々たる壮大な石塁は思わず時を忘れるほど美しく、吹き抜ける風も心地よい。

今帰仁城は14世紀前期から約100年間、三山時代と呼ばれる古代琉球の一時代を束ねた3大勢力(北山、南山、中山)の一角、北山王が居所としたグスクだ。1416年(1422年説も)に中山王の尚巴志(しょうはし)が三山を統一し琉球王国を誕生させたことで、三山時代は終わりを告げた。しかし、北山の滅亡後も今帰仁城には琉球王府から監守(役人)が派遣され、1609年に薩摩軍に攻められるまで存続した。現在見られる壮大な石垣を築いたのは、北山王だったとみられる。

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

外郭の石塁。高さ2メートルほどの比較的低い石垣が、数百メートルにわたり蛇行しながら続く。屋敷跡も確認されている

今帰仁城は、学術的にも価値が高い奇跡のグスクといえる。その理由は、大きく分けて二つある。一つは、グスクを囲む外郭の石塁、その外側に置かれた出城らしきグスク、ハンタ道と呼ばれる登城道、人々が暮らした集落跡にいたるまで広範囲にわたり残存し、グスクの姿や人々の営みがうかがえることだ。1609年に薩摩軍に侵攻されると炎上し廃城となったが、その後もグスクそのものが信仰の場となって大切にされ、太平洋戦争の沖縄戦の被害もなく生き残った。

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

ミームングスク。高さ1.5メートルの石積みが方形状に積まれている

出城または物見台と考えられるミームングスクは、外郭から約400メートル北側のハンタ道沿いにある。今帰仁城の東側を流れる志慶真川(しげまがわ)に張り出した丘陵に築かれ、現在は木々に覆われているものの、木々の隙間からは海も陸もよく見える。なるほど、物見台として最適な場所といえそうだ。高さ1.5メートル、18メートル×19メートルの巨大な方形の石積みで、ここにどんな建物が建っていたのだろうかと想像が膨らむ。

同じくシニグンニと呼ばれる石積みも出城または物見台といわれる。こちらは祭祀(さいし)場を連想させる一風変わった空間で、階段がついた1辺6メートルの方形石積みの脇に、直径約6メートルの不思議な円形の石積みが並ぶ。

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

シニグンニ。奥には階段がついた方形の石積み、手前には円形の石積みがある

また、あまり知られていないのだが、今帰仁城の史跡名は2010年に「今帰仁城跡 附(つけたり)シイナ城跡」に変更されている。シイナ城とは、今帰仁城の南東6キロにある今帰仁城以前の北山王の居城だ。これまでは伝承に過ぎなかったが、北山王が移転する歴史背景が明らかになったため史跡範囲の追加が認められた。

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

ハンタ道は、今泊集落から今帰仁城への登城道。道幅2〜4メートルの登城道が総延長約740メートルに渡り保存されている

奇跡の城たるもう一つの理由は、北山王が現在の姿に改修する以前の姿まで確認されていることだ。発掘調査の結果、今帰仁城の主郭では9層が確認され、大きく4時期の改変を経て13世紀末頃から17世紀前半まで機能していたことがわかっている。北山王が文献に登場するのは1314年だが、それ以前にも在地領主が今帰仁城にいたのだ。この地は貿易船のルート上にあり、朝貢貿易が行われる以前から地方領主が機能させていた重要な地だったのかもしれない。

岩山の山頂部を削って平らにし、東西の斜面に土留めの石積みを築いて内側に土を入れて版築したのが、13世紀末〜14世紀前期のこと。14世紀中期になると石塁が登場し、建物はそれまでの掘立柱建てから礎石建てへと変化した。14世紀後期〜15世紀前期は最盛期で、現在の広さへ敷地が拡張されている。発見された遺物が物語るのは、14世紀中期から地元産の土器づくりが終わり、使用する器は中国産の陶磁器が中心になったこと。中国の史書『明実録』には、14世紀後期から15世紀前期に北山王がたびたび交易をおこなった記述があり、陶磁器の変化は交易によって北山王が勢力を増した証しといえるのだろう。琉球王国の監守が置かれた15世紀前期〜17世紀前期は、広さはそのままに建物が建て直されたようだ。

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

大隅北面の石塁。岩盤を削り、その上に石塁が積まれていることがわかる

今帰仁城の大きな特徴は、うねるようになめらかなカーブを描く石塁の美しさだ。琉球石灰岩が積まれたグスク特有の石塁だが、よく見ると、首里城や中城グスクとは質感や色が異なる。同じ石灰岩なのだが、首里城や中城グスクなど多くのグスクでは200万年ほど前の珊瑚礁(さんごしょう)からできた琉球石灰岩を用いているのに対し、今帰仁城では約2億3000年前の中生代の石灰岩が積まれているのだ。

本部半島の地質は沖縄でももっとも古い地層群で、今帰仁城の近くにはカルスト地形が広がっている。今帰仁村の山間部には結晶質石灰岩や泥岩、チャート、砂岩などさまざまな岩石が分布し、その地層のまわりに新しい琉球石灰岩や段丘堆積(たいせき)物、土砂や礫(れき)層が広がる。今帰仁城の石材は古期石灰岩と呼ばれる石で、表面も岩のようにゴツゴツとしてキメが荒い。グスク内には岩盤がかなり露出しているのだが、層があり、層がはがれるように割れているのがわかる。

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

今帰仁城の石材は首里城などと比べると色も青黒い

残念なことに、主郭東側の石塁の一部が2018年7月の台風の影響で崩落してしまった。グスクの石塁は本土の石垣に比べて控え(奥行き)が少ないのが特徴だが、今帰仁城の石塁はひときわ控えがなく、積み木のように小ぶりな石をそのまま積み上げたような様相をしている。しかも、今帰仁城内の石塁はいずれも73〜80度の急勾配だ。崩落面を見ると崩れても仕方ない気がするのだが、その一方で、ほぼ方形の小さな石材を勾配なく高さ7〜8メートルも積み上げられた技術力の高さ、600年も崩れずに残っていることに改めて感動してしまう。

今帰仁城では、今回に限らず元の状態に戻すことを修復の基本方針としている。ただし該当する石垣はすでに2004年度に修復されているため、同じように修復すると再び崩落する可能性があることから、2019年度から専門家により最善策が審議されるとのことだ。元の姿に戻るまでには少し時間がかかりそうだが、すでに志慶真門郭に降りる階段が設置され、修復の様子も見学できるという。

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

崩落した石塁。幅約9.7メートル、高さ約6.4メートルにわたって崩れた

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

崩落部。控えがほとんどない小ぶりの石材が、ほぼ傾斜なく積まれている

青い海を見下ろせる奇跡のグスク 今帰仁城

階段が設置され、志慶真門郭を見学することができる(工事中は途中まで)

(この項終わり。次回は3月25日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■今帰仁城
那覇空港から車で約2時間45分
http://nakijinjoseki.jp/(世界遺産今帰仁城跡)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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