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3月29日オープン! 壮大な海城の痕跡をたどり、寺町を歩く 尼崎城

3月29日オープン! 壮大な海城の痕跡をたどり、寺町を歩く 尼崎城

3月29日に一般公開される、尼崎城址公園内に建てられた尼崎城。天守の外観は江戸中期の「尼崎城分間絵図」などを参考にしている

尼崎の地名の由来は諸説あるが、鎌倉時代や室町時代には「海人(あま)崎」「海崎」とも記され、「漁民・海民が住む海に突き出た土地」を意味する。現在はすっかり工業地帯となって内陸化してしまったが、尼崎は江戸時代半ばまでは海に面した地だった。大物(だいもつ)駅や大物主(おおものぬし)神社あたりにはかつて大物浦(だいもつのうら)があり、阪神高速3号神戸線のやや南側あたりまで大阪湾が迫っていた。現在でも築地の地名があるのもこのためだ。

3月29日オープン! 壮大な海城の痕跡をたどり、寺町を歩く 尼崎城

阪神尼崎駅のホームから見える尼崎城

尼崎・築地出身の城郭画家、荻原一青(1908~1975)が失われつつあった尼崎城の姿を残すべく描いた「摂津尼崎琴浦城図」には、尼崎城が大阪湾に面した広大な海城として描かれている。琴浦城といわれるのは、尼崎より西の広い地域の浜辺が、かつて琴浦と呼ばれた景勝地だったからだ。異浦(殊浦)=ことのほか美しい、とする説もあり、それは幻想的な景観だったと思われる。大阪湾と一体化した尼崎城は、まるで海に浮かんでいるかのように見えたようだ。本丸の北東隅(現在の尼崎市立文化財収蔵庫本館の北東隅付近)には、四重四階の天守がそびえていた。

3月29日オープン! 壮大な海城の痕跡をたどり、寺町を歩く 尼崎城

レンガ倉庫(阪神電鉄旧尼崎発電所)前の道路の屈曲は、外堀の痕跡。堀を隔てたところが西三の丸で、北西隅には亥之櫓が建っていた。城下西側には不明橋、西大手橋、兵庫橋で城下西側につながっていた

譜代大名の戸田氏鉄(とだうじかね)によって尼崎城の築城が開始されたのは、1618(元和4)年のことだ。総面積は約13万平方メートルを誇り、本丸を中心にして時計回りに二の丸、松の丸、南浜が置かれ、その外側には東三の丸と西三の丸を配置。本丸へは3カ所の枡形虎口(ますがたこぐち)で通じるなど複雑な構造で、中心部は三重の堀で囲まれていた。本丸は約100メートル四方の曲輪(くるわ)で、天守以外の3カ所の隅部には三重櫓(やぐら)が建っていたという。

5万石の大名の居城としては立派すぎる上に、1615(元和元)年の武家諸法度公布後の城の新築は希少だ。実は、尼崎城は江戸幕府の命令によって、幕府直轄地となった大坂の西側を守るべく築かれた特別な城だった。外様大名がひしめく西国を牽制(けんせい)するため、明石城(兵庫県明石市)とともに築かれたのだ。戸田氏鉄は、大坂城の修築工事では普請総奉行を務めた城づくりの名手だった。

3月29日オープン! 壮大な海城の痕跡をたどり、寺町を歩く 尼崎城

庄下川にかかる開明橋の欄干には、尼崎城の縄張(設計)がデザインされている

さて、2019年3月29日に、かつての西三の丸にある尼崎城址公園に建てられた尼崎城が公開される。尼崎城や地域の歴史・文化を楽しみながら学べる、新しい歴史エンターテインメント施設という印象だ。1階への入場は無料で、情報発信の場や市民の交流の場も兼ね、町歩きのガイダンスやお土産が買えるショップ、イベントスペースもある。

3月29日オープン! 壮大な海城の痕跡をたどり、寺町を歩く 尼崎城

尼崎城址公園に建てられた尼崎城(2018年2月12日撮影)。天守は四重で、二重の付櫓がついていた。西三の丸と東三の丸には、南浜の重臣に次ぐ家臣の屋敷があった

2〜5階は有料だが、パネル展示に加え、幅10メートルの巨大スクリーンで尼崎城と城下町の映像が楽しめるVR(仮想現実)シアター、火縄銃や剣術の体験コーナー、侍や姫の衣装を着られるブースなど、遊び心や工夫が満載で大人も子供も楽しめそうだ。かつての姿が失われた城だからこそ、想像の手助けになるCGや映像を駆使した解説がうれしい。最上階の展望室ではタブレット端末で城下町の様子を見ることができるのだが、照らし合わせながら現在の町並みを見下ろすと海城だった頃の姿を想像できて楽しい。

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巨大スクリーンで鑑賞できる「タイムスリップ尼崎VRシアター」。尼崎城の全容や城下町の構造、江戸時代のにぎわいが最先端技術を駆使したCGで再現されている

天守建造にあたる寄付金は目標額の1億円を大幅に超えて約2億円に達し、その8割が尼崎市民からの寄付だという。尼崎市では高度成長期の公害問題に加え事件・事故が続き、子供たちの地域への関心も失われつつあったという。こうした背景から、地域アイデンティティーの醸成につながる新たなシンボルの誕生を待ち望む声が多かったとみられる。近年、天守の復元には忠実さが求められるが、尼崎城のように忠実な復元が難しい場合はこうした活用も有意義なのかもしれない。いかに本質と価値を伝えるかが問題視されるが、尼崎城では段階的に理解を深められるよう、尼崎市立文化財収蔵庫の改修が進められている(2020年度にリニューアル予定)。

3月29日オープン! 壮大な海城の痕跡をたどり、寺町を歩く 尼崎城

最上階の「わがまち尼崎展望室」からの眺め。阪神高速3号神戸線の南側あたりまで大阪湾が迫っていた様子を想像すると、海城の壮大さが感じられる

ところで、今回もっとも驚いたのは、寺町がよく残っていることだ。城下町の散策がとても楽しい。戸田氏鉄は尼崎城とともに城下町を整備し、寺を城の西側に集めた。城下町は城の東西に置かれ、城の西側には中国街道に面して町屋が並び、その北側に武家屋敷と寺町があった。中国街道は大坂と尼崎、西宮を結ぶ街道で、神崎の渡し、大物町、尼崎城下などを経由して西宮で西国街道に合流する。

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法華宗(本門流)の大本山、本興寺。かつては尼崎城の本丸にあった

戸田家の菩提寺である全昌寺、佐々成政の墓がある法園寺をはじめ、11もの寺が残っている。おもしろいエピソードが残るのは、廣徳寺だ。中国街道といえば、本能寺の変を知った羽柴秀吉が「中国大返し」をした道のり。秀吉は明智方の武将に追われた際、廣徳寺に逃げ込み台所の僧侶に紛れて難を逃れたという伝承があり、そのときに使用したというすりばちとすりこぎが廣徳寺に伝わっている。

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法園寺にある、佐々成政の墓。豊臣秀吉の命により、1588(天正16)年に法園寺で切腹した

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寺町は、築城時に尼崎と大物に分散していた寺を集めてつくられた。11の寺が連なり、城下町の様子を今に伝えている

(この項終わり。次回は4月1日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■尼崎城
「阪神尼崎」駅から徒歩5分
http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/shisei/sogo_annai/shiro/index.html(尼崎市役所)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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