いつかの旅

連載エッセー「いつかの旅」 (21)光の悪戯

連載エッセー「いつかの旅」 (21)光の悪戯

 先日、瀬戸内のとある島へ行った。小説のための取材旅行だった。一年前にも訪れている島だ。前回は島と島とをつなぐ橋を使って渡ったので、今回は海路で行きたかった。

 はじめての駅で電車を降りて、数分歩くとすぐに港があった。そこから小型の高速船に乗った。瀬戸内海には島が大小合わせて七百以上もあるという。確かに、港を離れても水平線は見えず、緑に覆われた島がぼこぼこと視界のどこかに必ずある。箱庭のような海だと思った。

 それでも海は海だ。風はしょっぱくて重く、なまなましい匂いがする。海路とはいえ道はなく、高速船はどるどるとエンジン音を響かせながら海原を進む。京都市内で暮らす私の日常では見られないものにすっかり気分が高揚してしまい、目的の島につくまでずっと船尾のデッキから身を乗りだして海と島々を眺めていた。

 結果、髪は潮風でばしばしになり、着ていたコートは波飛沫(しぶき)でべたついて心なしか重くなった。身体は風で冷えきってしまった。大学生のときに大型客船で四国に行ったことを思いだした。黒い夜の海が怖くて楽しくて私はほとんど寝ずにデッキに立ち、夏の薄着で海風にさらされ熱をだしたのだった。まったく懲りていない。風が衣服をふくらませ、首筋や頭皮や足首をなでていくのが好きなのだ。余計なものがそぎ落とされていくようで。あげく体温を奪われ震えるはめになるのだが。

 その日の午前中は雨で、やんでから高速船に乗ったものの、空は雨雲でどんよりしていた。それでも、島を案内してくれたタクシーの運転手は「雨が降ると、見晴らしが良くなるんですよ。いつもはかすんでいてね」と言った。

連載エッセー「いつかの旅」 (21)光の悪戯

 次の日は波がぎらぎらとまぶしいくらい晴れた。運転手が言った通り、空と海の涯(はて)はかすみがかっていて淡く溶けていた。帰りも高速船に乗った。昨日より波が高く、ゆらゆらと揺れた。同行してくれた編集者はもう海に飽きたのか客室にいたが、私はまたもデッキに出た。

 響くエンジン音以外なにも聞こえない。昨日よりずっと風が強い。景色と私だけになって、途切れた時間の中で海を眺めた。ふと、足元に目をやると船がたてる水飛沫になにかが見えた。波が白く砕けて散っていく。その中で光が屈折して色が浮かんだ。「あ」と声がもれた。虹だった。

 消える前にと写真に撮ったが写らない。動画でも駄目だった。昨日はなかった虹。天気とか光量とか気温とかいろいろな要素が重なって現れるものなのだろう。思った以上に長い時間、虹は浮かび続け、船が速度を落とすと消えた。どこにも残らない光の悪戯(いたずら)。透明なお土産をもらった気がした。

連載エッセー「いつかの旅」 (21)光の悪戯

PROFILE

千早茜

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。立命館大学卒業。2008年、小説すばる新人賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビュー。同作は2009年の泉鏡花文学賞を受賞。2013年、「あとかた」で島清恋愛文学賞。「あとかた」と「男ともだち」(2014年)が直木賞候補作になった。2018年には尾崎世界観さんと共作小説「犬も食わない」を刊行。2019年には初の絵本「鳥籠の小娘」(絵・宇野亞喜良)を上梓。著書はほかに「クローゼット」、エッセー「わるい食べもの」など多数。

フォトグラファー

津久井 珠美(つくい・たまみ)

1976年京都府生まれ。立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告、家族写真など、多岐にわたり撮影に携わる。
http://irodori-p.tumblr.com/

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