あの街の素顔

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

ヴェルドン渓谷に歩きに行こう、と山友達に誘われ、くっついて行くことにした。フランスはタルン渓谷、アルデッシュ渓谷など、風光明媚(めいび)な渓谷に恵まれているが、アルプ・ド・オート・プロヴァンス県とヴァール県の境にあるヴェルドン渓谷こそ、高さ600~700メートルの石灰岩の断崖が垂直に切り込む、ヨーロッパで一番美しく険しい渓谷とされている。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

ムスティエ・サント・マリー

エクサンプロバンスから車でくねくねの山道を2時間走る。ヴェルドン渓谷入り口まであとわずか、というところに、なんとも素敵な山あいの村があった。これが、高級陶器のファイアンス焼きで有名なムスティエ・サント・マリー、ミシュランの星をたくさん持つシェフ、アラン・デュカスがほれ込んで宿屋とレストランを作った村だ。山歩きの後で再訪することにし、渓谷の入り口にかかる橋を越え、まずは目的地、サント・クロワ湖畔の村レ・サル・シュル・ヴェルドンの宿に急ぐ。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

サント・クロワ湖に架かる橋の向こうにヴェルドン渓谷の入り口がある

サント・クロワ湖は、1973年のダム建設でできた人造湖だ。ダムは細長い湖の、私の泊まった場所からは向こうの端にあってほとんど見えず、砂浜やオリーブ畑に囲まれて、自然湖のように美しい。かつてのレ・サル・シュル・ヴェルドン村は水没し、住民は近くに再建された新しい村に移住した。湖畔には、水没せず古いたたずまいを残す村が二つあり、歩き疲れたら訪問して、この地の歴史を楽しむことができる。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

ヴェルドン渓谷の崖上の道路から。遠く東に雪のアルプスを見る

まず、渓谷のハイキングコースを代表する左岸コースを試すことにした。車で渓谷左岸をさかのぼり、オーヴェルジュ・デ・カヴァリエで駐車して、そこから渓谷まで岩だらけの山道を下る。これは下り専用で、上りには使えない。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

ヴェルドン渓谷の左岸と右岸をつなぐ、このあたり唯一の橋、エステリエ橋

川辺まで下り終えると、鉄のエステリエ橋がかかっている。古い橋は1994年に鉄砲水で流され、今の橋は比較的最近作られたものだ。急な増水に注意せよ、という案内板を見ると、気持ちが引き締まる。断崖の上を通る山道では、転落死した家族を追悼するパネルが2カ所にあって、ここでもまた気持ちが引き締まる。防護するものは何も付いておらず、高所恐怖症の人はぜったい歩けない山道だろう。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

比較的、川に近いところを歩く。これは人工的に作られた道

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

崖にはこんな洞がたくさんある

渓谷沿いに2時間ほど歩くと、渓谷中の渓谷、ル・スティクスに到着。今度はここから上り専用の急な岩階段を、下った分だけ登らなければならない。すれ違えないほど狭いので、一方通行となっているが、危険なところには鉄の手すりが取り付けられており、両手でしっかり手すりを握って登れば問題はない。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

上から見る渓谷。川と空の両方を撮影するのは困難なほど深い

ただし、後ろを振り返らずに、だ。上り専用なのは、渓谷を眼下にしてここを下ると、高所恐怖症でなくても恐ろしさを感じるからかもしれない。この日はほかに誰も歩いておらず、上を歩くハイカーからの落石を心配する必要がなかったが、通常は、ヘルメットとハーネスの着用が義務付けられている。上りきると、もうひと安心、森の中を1時間ほどかけて駐車場まで歩くだけだ。初日にはちょっときついコースだったが、渓谷の多様な姿を満喫でき、5、6時間歩いても長くは感じなかった。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

崖上の車道から、渓谷から湖に出るあたりを望む

翌日は休憩して、「フランスで一番美しい村」に登録されているムスティエ・サント・マリーを訪ねた。

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ムスティエ・サント・マリーの川にかかる橋

行きに通った時、気づかなかったが、二つの岩山の間に金色に光る星が鎖でつるされている。鎖は100メートル以上あるという。「あ、アラン・デュカス氏は、もう一つ『星』が欲しくてここに来たのだな」と納得する。

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ムスティエ・サント・マリーの岩山にあるノートルダム・ド・ボーボワール礼拝堂と、崖の間に架かる星

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星の部分を拡大すると

この星は13世紀に十字軍から生還した騎士が奉納したとも、悲恋の果てに心中した恋人たちの家族がつるしたとも言われているが、真相はわからない。いずれにしろ、夕日に輝くこの美しい村にはロマンチックな伝説がよく似合う。

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ムスティエ・サント・マリーの聖母マリア被昇天教会

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ファイアンス焼きの店

いったいどこから来るのか、岩山の下から水が湧き出ており、そこから清浄な水が川となってサント・クロワ湖に流れ入る。村を歩くと、川の音だけでなく、昔の洗濯場や水くみ場からもちょろちょろと水音が聞こえてきて、まだ肌寒い早春でさえ心地よく感じられるのだから、夏はどれほど涼やかで心が落ち着くことだろうか。水音が常に聞こえる岩山にへばり付いた、インドのラダック地方にある僧院を思い出した。隠遁(いんとん)し苦行する場には岩山の洞と水がつきものだが、どこから来るかわからない命の水は、この村をさらに神秘的にしたに違いない。

ヨーロッパで最も美しく険しい渓谷 フランス・ヴェルドン(上)

陶器の見せ方もおしゃれ

PROFILE

「あの街の素顔」ライター陣

こだまゆき、江藤詩文、太田瑞穂、小川フミオ、塩谷陽子、鈴木博美、干川美奈子、山田静、カスプシュイック綾香、カルーシオン真梨亜、シュピッツナーゲル典子、コヤナギユウ、池田陽子、熊山准、藤原かすみ、矢口あやは、五月女菜穂、遠藤成、宮本さやか、小野アムスデン道子、石原有起、松田朝子、宮﨑健二、井川洋一

藤原 かすみ(在パリ)

元編集者、今は国境なき旅びと。1990年にオランダ、アムステルダムに転居、政治経済ニュースを発行するかたわら、フリーライターとして週刊朝日、アエラ、様々な機内誌に寄稿。2002年ごろから少しずつ仕事を減らし旅に出始める。同時にフランス語、登山、スノボを開始。新しいことに挑戦するのに年齢は関係ない、ただ健康でありさえすれば良い、がモットー。2006年、フランス、パリに完全転居、以降は辺鄙なところ、知られない地を歩き回るトレッカーとなる。

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