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絶景の苗木城 奇岩と石垣の絶品コラボ! 

苗木城。木曽川を見下ろす高森山に築かれている

苗木城。木曽川を見下ろす高森山に築かれている

多くの人が押し寄せている、話題の城だ。人気の理由は、大きく二つ。城からの絶景と、この城でしか見られないインパクトのある石垣だ。

苗木城は標高432メートルの高森山に築かれ、最高所の天守展望台からは絶景が広がる。山の袂(たもと)にはエメラルドグリーンに輝く木曽川が悠々と流れ、名峰・恵那山を借景とするぜいたくぶりだ。城からの絶景もさることながら、城を望む景色もすばらしい。まずはあらゆる角度から遠景を堪能するのが、苗木城を訪れたときの楽しみのひとつだ。おすすめの撮影スポットは、玉蔵橋と城山大橋。雄大な景色に溶け込む苗木城が、とにかくかっこいい。

苗木城の天守展望台からの絶景。眺めているだけで雑念が払われる

苗木城の天守展望台からの絶景。眺めているだけで雑念が払われる

城山大橋から見る苗木城。岩盤を削り開いた城内通路までよく見える

城山大橋から見る苗木城。岩盤を削り開いた城内通路までよく見える

景色が抜群によいのは、苗木城がかつての信濃と美濃の国境に位置し、中山道と飛騨街道を一望できる国境付近の城だったからだ。東西には信濃の木曽谷へと続く中山道が、南北には付知川に沿って飛騨街道が通い、二つの街道は苗木城付近で合流する。苗木城からの視界が開けているのは、周囲を見渡すためというわけだ。

そんな立地ゆえ、苗木城主は翻弄(ほんろう)され苦労した歴史がある。築城したとされるのは、岩村遠山家から苗木遠山家に養子に入った遠山直廉(なおかど)。苗木遠山家は、16世紀中頃までは苗木城から北へ6キロほどの広恵寺城を居城としていたが、応仁の乱以降は信濃からの侵攻に備える必要性が生じ、木曽と飛騨方面の入り口を押さえる苗木城へと移ったとみられる。

遠山氏はなかなかドラマチックな一族だ。遠山直廉は実兄である岩村城主の遠山景任(かげとう)とともに武田信玄に与する一方、織田信長の妹と結婚するなど両属状態を維持し、上手に両家のパイプ役を果たしていた。しかし、景任・直廉兄弟が没すると苗木遠山家は断絶。信長はすかさず飯羽間(いいばま)遠山家の遠山友勝を置いて恵那を制圧し、そして苗木城は武田勝頼の侵攻を受けることとなった。やがて、武田氏が滅亡し信長も横死すると、1583(天正11)年に豊臣秀吉配下の森長可に攻略され、時の城主・遠山友忠は敗走して徳川家康のもとへ。しかし、関ケ原合戦の功績によって遠山友政が見事に苗木城主へと返り咲くと、以後は明治維新まで約270年間を遠山家が統治した。苗木城は、家康から1万521石を拝領した友政により現在の姿へと大きく整備されたようで、石垣のほとんどは友政によるものと思われる。

玉蔵橋から見る苗木城。右奥の山上に苗木城がある

玉蔵橋から見る苗木城。右奥の山上に苗木城がある

本丸口門から見下ろす大矢倉。城内でも人気の撮影スポットだ

本丸口門から見下ろす大矢倉。城内でも人気の撮影スポットだ

絶景の感動も薄れさせてしまうほど魅力的なのが、岩盤とコラボレーションした石垣だ。苗木城は全山が巨岩からなるため、石材が豊富。そもそも中津川は奇岩の地で、日本有数の景勝地である恵那峡も奇岩が多いことで知られる。

石垣の構造は、実に独創的だ。山そのものが岩のため、岩盤の上に石垣を貼り付けたり差し込んだりしている。ゴツゴツとした岩盤には巨石が荒々しく埋め込まれていたり、そうかと思えば、統一サイズに加工した石がていねいに積み上げられていたりと多種多様だ。自然の岩盤と人工的な石垣とのコラボレーションはもはや芸術の域に達しており、美術館で感性を撃ち抜かれたときのようなインパクトがある。1度見たら忘れられない、ここにしかないオリジナリティのある石垣だ。

足軽長屋跡から。地元の人々の尽力で、かなり眺望がよくなった。現在は木がさらに伐採されている

足軽長屋跡から。地元の人々の尽力で、かなり眺望がよくなった。現在は木がさらに伐採されている

大矢倉の石垣。迫力満点だ

大矢倉の石垣。迫力満点だ

なるべく曲輪(くるわ)の敷地面積を確保するため、石垣は岩盤に密着。石垣の裏側に詰め込まれた裏込石は幅50センチ以内と薄く、石垣の裏側はほとんどが岩盤だ。石垣は岩盤に沿って積まれているため、ラインは規格的ではなく、とても自然だ。隅角部が鈍角になる鎬(しのぎ)積みになっていることが多いのもそのためと思われる。

石垣の積み方や加工のバリエーションも豊富だ。たとえば、大矢倉の石垣は積石の形が不規則で大小入り乱れた打込接(うちこみはぎ)だが、台所門付近の石垣は石同士の隙間がないよう加工された切込接(きりきみはぎ)。本丸口門南側の石垣は5面に分かれるが、上部には岩盤が露出し、上下段の石垣も積み方や勾配が大きく違っている。積み方は3種類あり、もっとも古いものはほぼ加工していない野面積(のづらづみ)で、目地が通らない。苗木城の石垣は大きく分けて6パターンあり、積まれた時期によって違う表情を見せてくれるのが楽しい。

大門跡付近。大門は参勤交代出立時など以外は閉ざされ、左側にある潜り戸を通行していた

大門跡付近。大門は参勤交代出立時など以外は閉ざされ、左側にある潜り戸を通行していた

天守台もかなり個性的だ。石垣というより岩そのもので、よくみると柱穴がたくさん彫り込まれている。どうやら、清水の舞台のような懸造(がけづくり)の天守だったようだ。

天守台の岩盤に掘られている筋のような溝は、なんと雨水を流す排水路だそう。おおむね3万石以上の大名しか城を持てなかった江戸時代において、遠山家は1万521石で苗木城を持っていた。城を築き維持した心意気に加え、緻密(ちみつ)な仕事ぶりに感激してしまう。

武器蔵前あたりから見上げる天守台

武器蔵前あたりから見上げる天守台

天守台に多くある柱穴。懸造りの天守が建っていたとみられる。排水路もある

天守台に多くある柱穴。懸造の天守が建っていたとみられる。排水路もある

(この項終わり。次回は5月13日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■苗木城
JR中央本線「中津川」駅より北恵那交通バス「苗木」バス停下車、徒歩約20分
http://www.city.nakatsugawa.gifu.jp/kankou/spot/2018/03/100-432m-360-93017001630122715-320.html(中津川観光情報サイト)

PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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