いつかの旅

連載エッセー「いつかの旅」 (24) JAM

連載エッセー「いつかの旅」 (24) JAM

 先月、友人と台湾へ行った。私にとっては二度目の台湾で、夜市を歩いたり、雨の茶藝館でゆったりしたり、おいしいものを食べたりした。土地は訪れるたびに親近感が増す。前よりも好きになって帰国した次の日、台湾の花蓮県で大きな地震があった。

 私たちが滞在していた台北でも、移動に使っていた地下鉄の全線が運行停止になったらしい。ネットで画像を検索すると、傾いた建物や、ぐちゃぐちゃになった室内の写真があった。

 地震がおきたのは昼の二時頃。その晩、私が台湾旅行をしていたことを知る知人や友人から「危なかったね!」と短いメールがきた。崩壊した建物の画像に「ニアミス!」とつけて送ってきた人もいた。SNSで「危機一髪!」というのも見た。言葉にできないもやもやした感情でいっぱいになって、返事はできなかった。

 心配してくれたのだとはわかる。私の無事を喜んでくれているのだということも。言葉の通じない異国で地震に巻き込まれたら大変だったとも思うし、なにごともなく帰国できてほっとしている自分も確かにいた。

 けれど、私は知っている。道を教えてくれた親切な人も、茶を淹(い)れる所作がきれいだった人も、隣のテーブルで楽しげにしゃべっていた人たちも。名すら知らないけれど、ひととき同じ空間にいた。だから、それらを見ていない人たちと一緒に「危なかった」「良かった」とは言えない。偽善かもしれないが、私はそれを言葉にしたくないのだ。

連載エッセー「いつかの旅」 (24) JAM

 小学生のとき、アフリカに住んでいた。私はアメリカンスクールに通っていて、クラスにはさまざまな国の子がいた。私が日本に帰ったように、彼らも自国にそれぞれのタイミングで帰っていった。

 日本に戻ってから世界のどこかで災害があるたびにニュースを見て、新聞をひらいた。まず報道されるのは日本人の安否で、昔のクラスメイトの名を探すことはできなかった。学校に行っても、遠い国の災害は話題にのぼらない。仕方ない、だってここは日本なのだから。そう自分に言い聞かせても、喉(のど)になにかつかえたような気持ちになって、私はその感情を誰とも共有できずにいた。

 高校生のとき、「THE YELLOW MONKEY」の「JAM」を聴いた。

 外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
 「乗客に日本人はいませんでした」「いませんでした」「いませんでした」
 僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

 気がつくと、涙がこぼれていた。つかえていたものがようやく溶けて、流れだした気がした。泣くことを、悲しむことを、許された気がした。そして、この国にもこんなことを思う人がいるのだと救われた。

 その気持ちをひさしぶりに思いだした。
 自然災害はどこでだっておきる。巻き込まれなかったのは偶然で、その偶然だって永遠に続く保証はない。無事だった私たちは喜ぶよりもまずその事実を再認識することが大事だと思う。

 一緒に台湾に行った友人は「びっくりした」とだけ言った。他になにも言わないことにほっとしたし、私もそれ以上なにも言わなかった。また遊びに行こう、と思った。

連載エッセー「いつかの旅」 (24) JAM

                         
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1年間にわたってお楽しみいただいた「いつかの旅」は、今回が最終回です。ご愛読ありがとうございました。

PROFILE

千早茜

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。立命館大学卒業。2008年、小説すばる新人賞を受けた「魚神(いおがみ)」でデビュー。同作は2009年の泉鏡花文学賞を受賞。2013年、「あとかた」で島清恋愛文学賞。「あとかた」と「男ともだち」(2014年)が直木賞候補作になった。2018年には尾崎世界観さんと共作小説「犬も食わない」を刊行。2019年には初の絵本「鳥籠の小娘」(絵・宇野亞喜良)を上梓。著書はほかに「クローゼット」、エッセー「わるい食べもの」など多数。

フォトグラファー

津久井 珠美(つくい・たまみ)

1976年京都府生まれ。立命館大学(西洋史学科)卒業後、1年間映写技師として働き、写真を本格的に始める。2000〜2002年、写真家・平間至氏に師事。京都に戻り、雑誌、書籍、広告、家族写真など、多岐にわたり撮影に携わる。
http://irodori-p.tumblr.com/

連載エッセー「いつかの旅」 (23)遺書

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