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丹後街道が通る小浜西組の町並みと鯖街道 後瀬山城と小浜城(3)

丹後街道が通る小浜西組の町並みと鯖街道 後瀬山城と小浜城(3)

丹後街道が東西を貫通する、小浜市小浜西組重要伝統的建造物群保存地区

<関ヶ原合戦後に誕生した水城、小浜城 後瀬山城と小浜城(2)>から続く

小浜城のもうひとつの魅力は、城下町だ。江戸時代初期に京極高次によって東西2組に整備された城下町は、大いににぎわい拡大。1684(貞享元)年には東組・中組・西組の3地区に変更された。そのうち、商家町・茶屋町・寺町がある西組のほぼ全域にあたる約19.1ヘクタールが、現在「小浜市小浜西組」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。おおよそ後瀬山城と小浜湾に挟まれた範囲が小浜西組にあたる。

丹後街道が通る小浜西組の町並みと鯖街道 後瀬山城と小浜城(3)

小浜市小浜西組重要伝統的建造物群保存地区、飛鳥区の町並み

中世の城から近世への城の変化の中で、城下町の変容も知ることができるのが小浜のおもしろいところだ。<必見は石垣と畝状竪堀! 若狭守護・武田氏の居城 後瀬山城と小浜城(1)>で述べたように、小浜は中世から湊(みなと)町として発展しており、すでに小浜西組にあたる一帯は八幡神社の門前町として町並みが形成されていた。一方、西組の内側では、室町時代に若狭守護となった大高重成が青井山に居館を構え、後の若狭守護・一色氏も守護館を置いたことから、若狭の政治・文化の中心地になっていった経緯がある。

1522(大永2)年に若狭守護の武田元光が後瀬山城を築いて山麓(さんろく)の八幡神社の脇に守護館を構えた。このとき城下町も整備するのだが、城と館を防備するために八幡神社や後瀬山山麓の寺地に家臣団の屋敷を構えたことから、中世には武家屋敷と町家が混在した珍しい町が形成されていた。

しかし、中世以来維持されてきた武家と町人が混在する町は、近世になると様変わりする。関ヶ原合戦後に小浜城を築いて城下町を整備した京極氏、京極氏の後に藩主となり整備を受け継いだ酒井忠勝により、武家地と町家が区画される町へと一変したのだ。京極高次は小浜城を囲む北と南に武家屋敷を置き、そのまわりに町家や寺町を配置。1607(慶長12)年には、沼地を埋め立てた新たな町の整備によって、城下町は八幡神社の参道あたりで東西2組に分けられた。41あった町数は、1684年の3組編成への改変時には52となっていたようだ。

丹後街道が通る小浜西組の町並みと鯖街道 後瀬山城と小浜城(3)

八幡神社の参道。背後の山が後瀬山城

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常高寺。京極高次の正室・常高院(浅井三姉妹の初)が1630(寛永7)年に建立した

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八幡神社

小浜西組は、域内を東西に貫通する丹後街道と南北に通る八幡神社と常高寺の社寺参道筋を基軸としている。丹後街道に面した男山・鹿島・浅間・大原区は商家町が、街道の裏町となる西側の飛鳥・香取区には茶屋町が形成されていた。城下町の西端にあることから寺町や茶屋町、三丁町(花街)も形成され、小浜湾に面する後瀬山山麓にも寺社群が並ぶ。

商家町と茶屋町、異なる顔を持つ二つの町があるのが特徴だ。商家町には、いわゆる「うなぎの寝床」と呼ばれる間口が狭く奥行きのある典型的な町家が並ぶ。折りたたみ式の「ガッタリ」という縁台、隣家との境目に設けられた袖壁、火災時に貴重品を避難させた石室がある家も。屋根の鬼瓦に施された、波立つ模様の「立浪型鳥衾(とりぶすま)」は、防火祈願だろう。これに対して茶屋町には、商家町型もあるものの、間口が広く、2階に出窓がついたデザイン性の高い建物が並ぶ。商家町と異なり土蔵が少なく、離れが奥に建つことが多い。

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飛鳥区の町並み。袖壁の町家がずらりと並ぶ

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軒先につるされている「身代わり猿」は、魔よけや厄(やく)よけ

小浜湊には江戸時代後期には北前船が到来し、若狭瓦も北前船によって北海道に運ばれたことが明らかになっている。現在の国道27号線とほぼ一致する丹後街道は越前の敦賀と丹後の宮津を結ぶ。江戸時代には人や物が往来し、商家町は発展して紙屋や小間物屋、桶屋(おけや)などでにぎわった。鉤(かぎ)型や行き止まりなど、城下町特有の防衛的な工夫が見られるのも特徴だ。

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八幡神社の鳥居前へと続く交差点には、丹後街道の道標が残されている

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丹後街道をたどる町歩きも楽しい

さて、小浜といえば鯖(さば)街道の起点でもある。海産物に恵まれ、大陸とつながる海の道と京へと通じる陸の道が交わる小浜は、古代から朝廷の食を支える「御食国(みけつくに)」のひとつだった。京極高次が流通の拠点となる小浜市場を開発したことで、回船・漁船の係留所が設けられるなど、若狭街道を通じた京への運搬ルートが盤石なものになり、江戸時代を通じて若狭の海産物は京で珍重されるようになった。鯖街道という通称は、小浜市場の記録「市場仲買文書」にある「生鯖塩して担い京へ行き仕(つかまつ)る」との記載からだ。鯖などを長期間保存するために加工技術も発達し、独自の食文化も発展。「へしこ」や「なれずし」もそうして生まれた福井名物だ。

丹後街道が通る小浜西組の町並みと鯖街道 後瀬山城と小浜城(3)

水揚げされた若狭の海産物は、若狭街道(鯖街道)を通って京へと運ばれた

(この項おわり。次回は6月17日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■小浜城
JR小浜線「小浜」駅から徒歩約15分
https://www1.city.obama.fukui.jp/category/page.asp?Page=82(小浜市)

■後瀬山城
JR小浜線「小浜」駅から徒歩10分で登城口
http://www1.city.obama.fukui.jp/category/page.asp?Page=75(小浜市)

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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