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松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載です。今回は、福井城の山里口御門。復元されたことで、幕末の藩主・松平春嶽公の通勤路が追体験できるようになったのです。

春嶽公が、山里口御門を通った理由

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

復元された、福井城の山里口御門(右)と御廊下橋(中央)

2017年、福井城の山里口御門が復元整備された。内堀にかかる屋根付きの御廊下橋が印象的で、本丸への重要な通用口だったことが連想される。山里口御門は「廊下橋御門(ろうかばしごもん)」「天守台下門(てんしゅだいしたもん)」とも呼ばれ、山里丸と呼ばれた西二の丸と本丸をつなぐ門として築城時に建てられた。1669(寛文9)年の大火で天守もろとも焼失してしまったが、再建された後は明治維新まで失われず、明治初期に撮影された写真も残っている。

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

山里口御門は、御廊下橋を渡り西三の丸へと通じる

かつて、藩主の住居である御座所は本丸にあった。これを1675(延宝3)年、5代藩主・松平昌親(まさちか)が本丸西側の内堀を隔てた西三の丸(現在の中央公園)に移した。1830(文政13)年には14代・斉承(なりつぐ)が本丸に御座所を戻したが、16代・慶永(よしなが=春獄)が再び西三の丸に移している。どうやら慶永の頃には、御廊下橋を渡って山里口御門をくぐり本丸へ向かったようだ。つまり、藩主が通った登城道が再現されたということ。藩主と同じ道を通れるようになったと思うと、胸が高鳴る。

大きな櫓門、古写真や絵図から忠実に再現

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

復元された御廊下橋の内部。山里口御門から御廊下橋を渡った先に、かつての御座所があった

「御城下之絵図 正徳四年」(松平文庫所蔵、福井県立図書館保管)には、山里口御門と御廊下橋が描かれている。この絵図をはじめ古写真、発掘調査などから門の規模や構造、仕上げの加工などが調査され、忠実に復元された。

山里口御門は、棟門(むなもん)を通過したところに枡形(ますがた)という方形の空間を置き、その先に櫓門(やぐらもん)を構えた枡形門形式だ。枡形門をさらに石垣と土塀が囲む、厳重な構造だった。櫓門は切妻造(きりづまづくり)で、内部は武器庫として使用されていたとみられている。土塀の屋根には瓦がふかれ、腰板石が張られていた。復元された櫓門は、木造2階建てで切妻造。本瓦ぶきで、上階の外壁は漆喰(しっくい)で仕上げられている。城階の桁行きは10.46メートル、梁間(はりま)は5.46メートル、棟の高さは8.41メートルに及ぶ、大きな櫓門だ。建築面積は70.58平方メートルもある。

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

山里口御門の枡形内

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

山里口御門の、枡形門の外側を囲む土塀。奥に見えるのが御廊下橋

福井の銘石「笏谷石」も活用

櫓門の屋根瓦にふかれたのが、笏谷石(しゃくだにいし)製の瓦だ。笏谷石は福井市の足羽山(あすわやま)で採掘される緑色凝灰岩で、その美しい色合いから越前青石とも呼ばれている。軟らかい石質のため加工しやすく、この地域では古くから使われた伝統的な石で、古墳に納められた石棺、中世につくられた仏塔も見つかっている。近世になると福井城のほか、水路や柱の礎石などにも多く用いられた。現在でも足羽山周辺を歩くと、神社の鳥居や狛犬(こまいぬ)に笏谷石が使われているのを目にすることは珍しくない。北ノ庄城や、北陸唯一の現存天守が建つ丸岡城(福井県坂井市)でも、笏谷石が用いられている。

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

復元された、山里口御門の櫓門

城内の石垣も、笏谷石が使用されている。福井城の石垣がどこか青緑色っぽい趣ある色合いをしているのがそのためだ。福井城の石垣の積み方は、堀に面した石垣に見られる四角く成形した石を積んだ打込接(うちこみはぎ)と、瓦御門周辺などにある、精密に削り込み隙間なく積み上げた切込接(きりこみはぎ)の2種類。いずれも横に目地を通した布積みなのが特徴で、天守台の石垣も美しく加工された切込接になっている。

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

本丸南側、虎口付近の石垣

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

本丸西側、天守台脇の石垣

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

本丸西側の石垣

松平春嶽公の「通勤」、追体験! 復元された福井城の山里口御門

石垣に残る「ハ」の字形の溝は、取り付けられていた塀の屋根の垂木か屋根板が食い込んでいた跡

(この項おわり。次回は7月8日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト
■福井城
JR北陸本線「福井」駅から徒歩約5分
http://www.pref.fukui.jp/doc/sokou/kennto/yamazato.html(福井市)

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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