あの街の素顔

In Cardiff──#01地元の人たちにも理解できないこと

この記事は、スポーツライター・井川洋一さんがつづる旅エッセーです。仕事で行った滞在先を思いの外、気に入ってしまう――。そんな経験ありませんか?

旅の舞台は、ずいぶん前ですが、UEFAチャンピオンズリーグ2016-17 決勝、ユベントス対レアル・マドリードの取材で訪れたイギリスウェールズ。全3回でお届けする1回目です。ウェールズ代表でレアル・マドリード所属のFWガレス・ベイルの凱旋(がいせん)試合に首都カーディフは大盛り上がりかと思いきや……。

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ガレス・ベイル(左)REUTERS/Alberto Lingria

「ガレス・ベイル? ただボールを蹴るのがうまいだけでしょ? 彼はこの辺の出身だから、もちろん私も名前は知っているけど、でも彼も私たちも同じ人間じゃない」

カーディフで泊まった宿のホスト、アビーは、僕のグラスにビールを注ぎながらそう言った。彼女の声のトーンは決して何かを否定しているものではない。ただ、現代のプロフットボーラーの名声や富について驚いているのだ。そして彼らをセレブリティーとして扱う、“Asslickers”(直訳=お尻をなめる人々。転じて、おもねる、へつらう人々の意のスラング)にも。いや、彼らに対しては少し嫌悪感を示している。

「この街の“Posh”(直訳=上流階級的な、しゃれた、という意)なホテル」とアビーは両手の2本指でカギ括弧を作って言う。チャンピオンズリーグ決勝を戦うレアル・マドリードの選手ほか、多くのセレブリティーが泊まっている4つ星ホテル「メルキュール カーディフ ホーランド ハウス ホテル アンド スパ」のことだ。

「今日、あそこの前を行ったり来たりしている人たちがいた。しっかりメイクアップしておしゃれして、選手かスターと目が合うことを期待しながら。そして本当にそれっぽい人がいたら、これ以上ないほどの品を作るの」

僕がベイルの移籍金について話したのが悪かったのだろう。アビーは舌を大きく出して、両手まで添えてそれをなめるしぐさをした。彼女と同様にまったくフットボールに興味がないアビーのフィアンセ、アッズも同じ格好でベロを出して動かしている。「こんなかんじで。わかるだろう?」と。

僕らは一斉に噴き出した。キッチンの外の小さな庭に出ていた3人の笑い声は、雲のなかで月が鈍く光るカーディフの空に響いた。

「でもね、今の時代、ボールを蹴るのがとてつもなくうまければ、スーパースターになれるんだ。かくいう僕も、彼らのプレーを見て、それを伝えるために長いフライトと電車を乗り継いで、ここまで来たんだから」と、笑いが収まった後に僕は言った。

「そんなものなんだねえ」と2人は感心したように答えた。

こんなイギリス人もいるんだ。ちょっと考えれば当たり前のことに、あらためて驚いた。

でも、彼らの気持ちは僕にもわかる。僕の職業はスポーツライターだけど、世界にはスポーツなんて知ったことではない、と考える人がいることも、もちろん知っている。アビーとアッズは、旅や音楽やアートが好きな気の良いカップルで、チームスポーツには見向きもしない。アッズは体つきがスポーティーだけど、やるのはサーフィンや──「この辺のビーチにはしょうもない波しかないけどね」と彼は肩をすくめた──BMX(バイシクルモトクロス=自転車競技の一種)といった個人的なライディングものだという。

僕は10代の後半までシリアスなサッカー部でトップレベルを目指したけれど、小さなケガとスポーツ以外のことへの興味により、ボールは趣味でしか蹴らなくなった。音楽ばかり聴いて、よく旅に出て、本を読みふけり、時々女の子とデートして。そういうスポーツとは別のことをたくさんした時期があったから、“そっち側”の人の感覚もちゃんとわかる。

ひとりの選手が100億円以上で取引されるなんて、一体どんな世界なのか。彼らはそう言いたかったのだろう。もっともな意見だ。

ローカルラジオ局から流れるジュラシック5の曲に合わせて、アビーとアッズは腰を振っている。ずいぶん前にはやったアメリカ西海岸のファンキーでクールなヒップホップをウェールズの首都の夜に聞くなんて、まったく予想していなかった。でもこんな巡り合わせも全然悪くない。

欧州フットボールの頂上決戦を見るという、その目的のために初めてウェールズまで来た。ヨーロッパに住む知り合いの日本人記者には、「気合入ってますね」と言われた。上からものを言われたようでちょっと嫌な気分になったけれど、自分でも物好きだよな、と思わないこともない。もちろん仕事だし、現場は時々体に電気を感じさせてくれるので文句はない。でももし福岡の祖母がまだ生きていたら、「ヨウちゃん、お球蹴りを見に英国(アクセントはエイにある)まで行くんねえ」と驚いただろうな。そう考えると、なんか笑えてくる。

とはいえ、僕にも理由はあった。なにしろ、試合はイタリアの“老貴婦人”とスペインの“白い巨人”によるクラシック・ファイナルだ。フットボールファンなら、誰もが見たい黄金のカード。その取材をするためのパスも取れた。いつもは会えない欧州の記者仲間に顔を合わせる大切な機会でもある。そして僕は“こっち側”の人間でもある。誰になんと言われようと、行かないわけにはいかなかった。

(#02につづく

PROFILE

  • 「あの街の素顔」ライター陣

    こだまゆき、江藤詩文、太田瑞穂、小川フミオ、塩谷陽子、鈴木博美、干川美奈子、山田静、カスプシュイック綾香、カルーシオン真梨亜、シュピッツナーゲル典子、コヤナギユウ、池田陽子、熊山准、藤原かすみ、矢口あやは、五月女菜穂、遠藤成、宮本さやか、小野アムスデン道子、石原有起、高松平蔵、松田朝子、宮﨑健二、井川洋一、草深早希

  • 井川洋一

    スポーツライター、編集者、翻訳家。学生時代にニューヨークで写真を学び、現地の情報誌でキャリアを始める。帰国後、『サッカーダイジェスト』誌で記者兼編集者を務める間に英『PA Sport』通信から誘われ、香港へ転職。『UEFA.com日本語版』の編集責任者を7年間務めた。世界中に幅広いネットワークを持ち、現在は様々な媒体に寄稿する。1978年、福岡県生まれ、鎌倉市在住。

ビンテージ×モダンクリエーティブ エストニアのタリン バルト駅周辺

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