城旅へようこそ

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は新潟県の新発田(しばた)城です。櫓(やぐら)の屋上にはしゃちほこが二つではなく三つ乗っている、世にも珍しい城なのです。

上杉景勝を苦しめた新発田氏ゆかり

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

新発田城のシンボル、復元された三階櫓

「新発田」と書いて「しばた」と読む。戦国時代、上杉景勝に反旗を翻して苦しめた新発田重家で知られる、佐々木加地氏の系統をひく新発田氏が名の由来だ。重家の兄である新発田長敦は上杉謙信に従った揚北(あがきた)衆のひとりで、謙信の政権下では重要な地位にあった。

1578(天正6)年に謙信が急逝すると、上杉景勝と上杉景虎の間で家督争いが勃発した。この「御館(おたて)の乱」で上杉景勝に味方し、武田勝頼との和平交渉を成功させるなど勝利に大きく貢献したのが長敦だ。当時は五十公野(いじみの)氏の養子となっていた弟の重家(五十公野治長)も、景勝から書状を賜るほどの武功を挙げている。

ところが、新発田一族に恩賞が与えられなかった。不遇のうちに長敦が病没すると重家が本家を継承し、1581(天正9)年に謀叛(むほん)を起こして、越中まで進出していた織田信長と結んで独立した。1582(天正10)年、ついに信長軍は景勝の居城である春日山城(新潟県上越市)を包囲。重家としては滅亡まで後一歩というところまで景勝を追い詰めた。しかし、本能寺の変により事態は一変してしまう。やがて豊臣秀吉が実権を握ると、景勝によって重家は征伐され、1587(天正15)年に自刃した。

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

新発田重家公廟(びょう)のある福勝寺。銅像もある

秀吉配下、溝口氏の居城に

現在の新発田城を築いたのは、新発田氏の後、1598(慶長3)年に入った溝口秀勝だ。秀吉の命で上杉景勝が会津に転封となると、代わりに秀勝が6万石で入った。

新発田城は、新発田川が形成した砂礫(されき)土層の三角洲の上にある。北には加治川が流れ、深い沼沢に挟まれた低湿地にあり近づきにくい。日本海に近く、城下町が繁栄する基盤もあった。この地を城地に選んだ秀勝は、新発田氏の城を取り囲む形で新たな新発田城を築城した。

新発田城の別名を菖蒲(あやめ)城というのは、周囲に湿地が多く菖蒲がたくさん咲いていたためという説があるからだ。浮舟城という別名も、加治川の堤防を破壊すれば城を水浸しにして防御できるよう設計されていたとされる説が由来だ。ちなみに狐の尾引城(狐尾曳ノ城)という別名もあり、これは縄張(設計)を担当した長井清左衛門(葛西外記という説も)に、狐が枕辺に立って雪の上に尾で図を示して教えたという伝説のため。城は3代・溝口宣直のときに完成したとみられ、二の丸の御蔵屋敷北側にある古丸が重家時代の新発田城の本丸と考えられている。

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

土橋門。二の丸と本丸をつなぎ、抜けたところには帯曲輪(くるわ)跡も残る

本丸を二の丸が取り囲み、南に三の丸を置く構造だ。新発田川を利用して外堀を開削している。新発田郵便局のあるあたりが中堀の北側で、二の丸と三の丸の境になる。市役所や裁判所のある一帯は三の丸で、警察署のあたりに大手門があった。

今は自衛隊の駐屯地に

全国でも珍しい、自衛隊が現在でも駐屯する城で、本丸の北側半分と二の丸の2/3ほどが陸上自衛隊新発田駐屯地となっている。1873(明治6)年の廃城令後、破却された本丸と二の丸の一部に歩兵第十六連隊が創設された経緯がある。残念ながら本丸の半分ほどしか見学することはできず、新発田城のシンボルでもある本丸北西に建つ三階櫓も、内堀越しに眺めるだけとなる。

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

本丸側から見る三階櫓。本丸の北側は自衛隊の駐屯地になっている

三階櫓は、世にも珍しい、最上階の屋根に三つのしゃちほこが載った櫓だ。1668(寛文8)年の大火災で、城内の建物は鉄砲櫓・丑寅(うしとら)櫓を除いて焼失し、1669(寛文9)年の大地震で石垣は崩壊した。翌年から開始された復旧工事により、辰巳(たつみ)櫓からいぬい櫓(現在の三階櫓)までの間がすべて切込接(きりこみはぎ)の石垣となり、1679(延宝7)年に、いぬい櫓があった場所に三階櫓が建てられた。三階櫓は本丸南東の辰巳櫓とともに、2004(平成16)年に復元されている。

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

三重櫓。屋根が丁字型で、棟上に三つのしゃちほこが載る

現存する表門と二の丸隅櫓

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

現存する表門。桁行約16.3メートルに及ぶ櫓門

現存する建物は、本丸の表門と本丸鉄砲櫓跡に移築されている二の丸隅櫓だ。二重二階の二の丸隅櫓は1668年の大火後に再建され、1959(昭和34)年からの解体修理後に移築された。金沢城(金沢市)にも見られる、海鼠(なまこ)壁が印象的でなんとも美しい。表門は本丸の玄関となる櫓門で、2階の格子窓からのぞくと門前を見下ろすことができ、床下には石落としが設けられて攻撃できるようになっている。

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

移築された、海鼠壁の二の丸隅櫓

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

奥から、二の丸隅櫓、表門、復元された辰巳櫓

意外に少ない石垣

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

本丸に残る土塁。外側は石垣、内側は土塁になっている

海鼠壁とともに新発田城の美の特徴となっているのが、切込接の石垣だ。成形された石が整然と積まれ、独特の雰囲気を生み出している。新発田城は立派な総石垣の城に思えるが、実は意外にも石垣は少ない。本丸内部を見ると、本丸は石垣ではなく土塁で囲まれているのがわかるはずだ。つまり、表側だけが石垣で固められているのだ。

城のまわりをぐるりと歩きまわってみたところ、どうやら二の丸や三の丸もすべて土塁で囲まれていたようだ。工期短縮かコストダウンか、はたまた石材不足か理由はわからないが、地盤が軟弱であることも関係するのかもしれない。そんなことを考えながら歩くのが楽しい。

近隣には、溝口家の下屋敷庭園である清水園、川を挟んで清水園の対面には足軽長屋がある。三の丸の近くから移築復元された、武家屋敷・石黒邸も見どころだ。JR新発田駅のレンタサイクルを利用すると、効率よくまわれておすすめだ。

世にも珍しい!三つのしゃちほこが載る櫓 新発田城

右が清水園で、川の対面に足軽長屋がある


(この項おわり。次回は10月21日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■新発田城
http://www.city.shibata.lg.jp/shisetsu/kanko/kanko/1005061.html

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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