心に残る旅

江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

いつもと違う場所で風に吹かれた経験は、折に触れて思い出すもの。そんな旅の思い出を各界で活躍するみなさんにうかがう連続インタビュー「心に残る旅」。第12回は作家の江國香織さんです。
(聞き手:&TRAVEL副編集長・星野学、写真・山田秀隆)

「閉じ込められているわけじゃない」と感じた

江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

――印象に残る旅先やエピソードを教えてください。

「20代のころ、よく行っていた成田空港です。当時、世田谷区の千歳烏山か調布市に住んでいて、朝の9時くらいにリムジンバスで新宿を出発して、お昼前に成田空港へ着き、一日中空港にいて、夕方になって夜になる、というのを見届けてから、またリムジンバスで帰ってくるというのを、よくやっていたんです」

――成田空港から飛行機に乗って行く先ではなく、成田空港そのものなんですね。

「成田空港自体というよりは、そこへ出かけていく行為そのものかもしれないですね。結構な距離だし。一日中空港にいるとは、お金はないけれど時間はあったんだなと振り返れば思いますけれど。空港って外国の入り口みたいで、いつでもどこにでも行かれる、私はここに閉じ込められているわけじゃない、という感じがあって」

――一日中、どこかで定点観測をしているんですか。

「いえ、到着ロビーに行ったり出発ロビーに行ったり、ガラス張りの喫茶店に入って飛行機を見たり展望台に行ったり。当時は今と違って、行き先や時間の表示機はパタパタ音を立てて変わる仕組みで。いろんな航空会社があって、ドイツに行く飛行機もあればアメリカに行くものも中国行きもあって、それがパタパタ変わるのを見ているのが一番好きでしたね。出発していく人や到着した人を見ているのも。荷物の大きさを見ていると安心したんです」

旅を短い枚数で切り取る難しさ

江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

――7月にエッセー集『旅ドロップ』(小学館)を出されました。JR九州の新幹線や駅で手に入る情報誌「Please」での連載を軸にまとめたものですね。

「旅、鉄道、もしくは九州にまつわることをテーマに、というご依頼だったのですが、自由にやらせてもらいました。1回原稿用紙2枚半(1000字)とかなり短いのですが、書くのにはかなり時間がかかりました。旅行記とは違うので、一つの旅をその枚数にどう切り取るかは、毎回ちょっと難しかったです」

――取り上げる場所も切り口もさまざまですね。

「新幹線の中でいろいろな方が、いろいろな状況で読むものなので、外国ばかりでも日本ばかりでもなく、私が書くと食べ物の話が多くなっちゃうんですけれど、偏らないように心がけました」

「この本でも書いたのですが、ドイツのフランクフルト空港も好きです。あの空港に行くためだけにドイツに行きたいくらい。広くて機能的で、いろんなところにつながっているし、ビールが飲めるところがいっぱいある(笑)。何か、空港にいると自由な気がするんです」

旅に出ると「基本の自分」に戻れる

江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

――江國さんにとって、旅のポイントは自由であることですか。

「それも一つですね。普段どうしても近視眼的に、目の前のことや自分の世界のことに追われて暮らしていますけれど、外に出ると自分の大きさがわかるというか。旅先では自分の荷物と自分自身がすべてです。結構長い旅でも、持てる範囲の物しか持って行かれないけれど、それで暮らせるわけですよね」

「旅先では自分に必要なものがわかるし、自分の実力もわかるし、何を恋しく思うのか、誰に会いたいと思うかとか、普段気がつかないことがわかる。自分がすごく客観的に見えるような気がして、それも旅の魅力です」

――ご自分を客観的に確認し続けているのですね。

「というほどのことではないんですけれど。ただ、旅先で感じる自由さの正体は、どこにも属していない自分を感じられることではないかと。誰かの妻であったり、娘であったり、小説家であったり、そういう属性が一時的とはいえ外れるので。もう一つは、旅に出ると基本の自分に戻れる感じがするんです」

――基本の自分?

「9歳のころの自分です。それが基本の自分だと思っています。9歳の時と実力が同じという思いがあって。たとえば小説を書いている時、これで大丈夫かどうかを読んで判断しているのは9歳の自分。こんなのは退屈だとか、ありきたりだとか、すごく厳しく言ってくれるので、仕事の時には頼りにしています。結婚も職業も関係ない、何も持っていなかった時の自分ですね」

「実力は今と一緒なのに、9歳の時は発言権がなかったし、仕事をすることもできなかった、その感覚をすごく覚えているんです。いま小説を書いているのは、子供の頃に言えなかったことを、大人になって言葉にできているからという気がします」

小説は、登場人物を観察して書いている

江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

――旅に出て基本の自分に戻ることは、小説家としての仕事にどんな影響がありますか。

「書くことと読むことも私の中では、基本の自分に戻ることなんです。旅と一緒です。影響というよりは、つながっている感じがします。書く時も読む時も、自分はただの観察者になる。旅に出るときも、そこにいるのにいないもののようになる。観察者が好きなんでしょうね」

――小説執筆という創作活動は、自我の発露や自己表現のように思えるのですが。

「自分では観察して書いている気持ちなんですよね。登場人物である彼ら彼女らのことを見ながら、自分とは関係ないものを書いている気がしていて。それは若い頃成田空港で、知らない人たちを一日中ずっと見ていた時と似ていて。すごくいろいろな物語が交錯する場所ですよね。空港や駅は」

――意識的に観察者であろうとしているのですか。

「結果として、だと思います。最初の連載からそうだったんですけれど。登場人物が動いてくれないと、私は書けない」

――自分で動かすわけじゃないんですね。

「私は、場所があって人間がいて時間が流れれば絶対小説はできると思っていて。登場人物は自分で最初に作り、舞台も設定しますけれど、そこから何が起こるか、観察して書いている感じです。私の都合に合わせて登場人物を動かしてしまいたくない、という気持ちがあるのかもしれない。予定調和に終わらせたくないし、どうなるかわからないまま書いていたいし、読者にもどうなるかわからないまま読んでほしい」

「時間を流すところが一番難しい。でも、うまく時間が流れたときには、場面がどうなっているか、登場人物がどういうことを言うか、どんな服を着ているかがわかってきます」
江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

――改めて、江國さんにとって、旅とは何ですか。

「何にも属していない基本の自分に戻れることですね。戻るというよりは、基本の自分を確認したい、という方かしら」

――戻りたい場所のようなものですか。

「いえ、基本の自分は、むしろ逃れられないものとしてあると思います。独りだということの確認かもしれない。そしてまだ生きている、ということの。普段は自分が独りだということも忙しさに紛れて忘れちゃう。まだ生きているということも、周りに仲間がいて家族がいて生きているからわざわざ言葉にしない。でも、旅に出ると、ああ独りだ、まだ生きているな、って思うんです」

INFORMATION

江國香織さんにとっての空港 成田、フランクフルト……自由な気持ちになれる場所

江國香織さんのエッセー集『旅ドロップ』が発売中です。3篇の詩をプロローグに、JR九州発行の旅のライブ情報誌「Please」の連載など、旅した場所、旅先で出あった人や動物、食べ物などをつづったエッセー37篇を収めています。

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■小学館
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■「心に残る旅」バックナンバー
・世界で最も寒い土地は、あたたかかった 松本穂香さんのロシア・サハ共和国
・高畑充希さんのニューヨーク 日本ってちっちゃいなと思えた場所
・タモリさんのあの曲が受けた しりあがり寿さんのアフリカ
・清水尋也さんの大阪 東京育ちには新鮮な自由を満喫する時間
・吉田戦車さんの西表島 親子3人、遊びに遊んだ10日間

・著名人に聞く「心に残る旅」 バックナンバー一覧はこちら

PROFILE

  • 旅する著名人

    家入レオ、ふかわりょう、HARUNA(SCANDAL)、福士蒼汰、加古隆、池内博之、吉田戦車、清水尋也、しりあがり寿、高畑充希、松本穂香、江國香織

  • 江國香織

    作家
    1964年東京都生まれ。1992年『きらきらひかる』で紫式部文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、07年『がらくた』で島清恋愛文学賞、10年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、12年『犬とハモニカ』で川端康成文学賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞。

世界で最も寒い土地は、あたたかかった 松本穂香さんのロシア・サハ共和国

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