城旅へようこそ

関西なのにそばが名物? 歴史に隠された出石そばの秘密 出石城と有子山城(1)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は兵庫県豊岡市の出石(いずし)城と有子山城です。ここの城下町は関西には珍しく、そばが名物です。その理由とは?

さまざまな時代の面影残す城下町

関西なのにそばが名物? 歴史に隠された出石そばの秘密 出石城と有子山城(1)

有子山城から見渡す、出石の城下町

兵庫県豊岡市にある、出石。風情ある城下町は、「豊岡市出石伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、観光地としても知られている。城下町に面する、東隅櫓(やぐら)や西隅櫓が再建されている一帯が出石城。その背後にそびえる山上には、出石城以前にここ但馬(たじま、兵庫県北部)の拠点のひとつだった有子山城があった。

現在、出石のシンボルである時計台・辰鼓楼(しんころう)の立つあたりが、内町と呼ばれる出石城の三の丸跡だ。江戸中期には藩政の中心地となる対面所が置かれ、家老など最上級藩士の屋敷が並んだ。城下町は出石城を中心に上級武家屋敷、内堀、町家が外側に向けて置かれ、さらにその外側に谷山川をはさんで下級武家屋敷が配されていた。城下町には町家が残るほか、神社や酒蔵、旧郡役所だった近代洋風建築の出石明治館などもあり、さまざまな時代の面影を感じながら散策が楽しめる。

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辰鼓楼。背後の山が有子山城

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出石城の本丸に復元されている西隅櫓

「記紀」にも登場する由緒ある町

出石は、「古事記」や「日本書紀」にも地名の記載がある歴史ある町だ。地名の由来は、この地を開拓したとされる新羅の王子・天日槍(あめのひぼこ)の宝物「出石小刀」と伝わる。砂入遺跡や袴狭(はかざ)遺跡で奈良〜平安時代に使われた祭祀(さいし)具が大量に見つかっていることなどから、古代但馬国または出石郡の役所跡である可能性も指摘されている。

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此隅山(このすみやま)城のふもとにある出石神社。天日槍と八種の宝がまつられている

但馬守護・山名氏が此隅山城から有子山城へ

但馬といえば、但馬守護の山名氏がよく知られているだろう。室町時代になると、山名時氏(ときうじ)が山陰地方の守護大名となり、その子の時義が但馬守護となって此隅山城(兵庫県豊岡市)を居城とした。

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此隅山城。出石神社の北側、標高140メートルほどの此隅山に築かれている

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此隅山城の主郭からの眺望。周囲にある多くの支城を一望できる

山名一族は全国の約6分の1にあたる11カ国を支配するほどの勢力を誇り、時義の孫である山名宗全(持豊)は応仁の乱で西軍の大将となった。しかしその後は衰退の一途をたどる。戦国時代になると、但馬は織田信長軍の木下(豊臣)秀吉の侵攻を受けた。1569(永禄12)年に此隅山城を攻められた山名祐豊は有子山城に移ったが、1580(天正8)年に秀吉軍に攻められて有子山城も落城、但馬守護の山名氏は滅亡した。

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有子山城の登城道に残る土橋

有子山城を廃して築いた出石城

出石城が築かれるのは、山名氏の滅亡後だ。有子山城は羽柴秀長が城代を置いた後、1585(天正13)年に前野長康が城主に、1595(文禄4)年に小出吉政が城主となった。江戸時代に入り、1604(慶長9)年に城主となった小出吉英が、城の中心部を山上の有子山城からふもとに移して出石城を築き、城下町づくりをはじめた。有子山城と出石城の改変の歴史は、次回に詳しく触れるとしよう。

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山のふもとに築かれた出石城

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伝統的な建物も多く残る、出石の城下町

出石そばが生まれたわけは

さて、出石といえば、出石そばが有名だ。出石城下町には現在40ものそば屋が軒を連ね、観光客でにぎわっている。うどん文化の関西圏において、ここの出石だけにそば文化があるのも、出石城の歴史に深く関係する。1706(宝永3)年、但馬出石藩主の松平忠周(ただちか)と信州上田藩の仙石政明(まさあきら)が国替えとなり、その際に仙石氏が信州からそば職人を連れてきたのがはじまりとされるのだ。在来のそば打ち技法と組み合わさり、出石そばが誕生した。

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出石そば。江戸中期以降の伝統工芸、出石焼の小皿に盛られる

実は出石そばに製造方法のルールはなく、店舗によって白いそばもあれば黒いそばもある。だしの風味もそれぞれだ。ルールは三つ。10センチほどの出石焼の小皿に盛ること、5枚1組を1人前とすること、薬味とともに卵と自然薯(じねんじょ)を添えることだ。まずそばとつゆだけで味わい、次にねぎやわさびなどの薬味とともにいただき、その後に山芋と卵を入れて味の変化を楽しむのが正しい食べ方。最後はそば湯で締める。40〜50枚食べる人も珍しくないというが、少しずつ、いろいろなお店で食べ比べてみるのがおすすめだ。

(つづく。次回は10月28日に掲載予定です)

#交通・問い合わせ・参考サイト

■出石城
https://www.izushi.co.jp/spmap/(但馬國出石観光協会)

 

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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