楽園ビーチ探訪

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

オレンジカウンティーに属するハンティントンビーチは、カリフォルニアはロサンゼルスとサンディエゴの間に位置し、およそ16キロにわたる海岸線を有することで知られています。この街ではサーフィンの国際大会が年にいくつも開催され、別名“Surf City, USA(アメリカのサーフシティー)”と呼ばれています。

(トップ写真:キンプトン・ショアブレイク・リゾートの部屋からの眺め)

連載「楽園ビーチ探訪」は、リゾートやカルチャー、エコなどを切り口に、国内外の海にフォーカスした読み物や情報を発信するビーチライターの古関千恵子さんが訪れた、世界各地の美しいビーチや、海のある街や島を紹介いたします。

街のアイコン「ハンティントンビーチピア」

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

ビーチに沿ってパシフィックコーストハイウェーが走り、海に向かって縦に延びるメーンストリートが中心エリア

ビーチを前にしてまず目に留まるのが、約653メートルもの長い桟橋「ハンティントンビーチピア(以下、ピア)」。レジャー用としては米国西海岸の最長クラスで、このビーチのアイコンとなっています。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

ハンティントンビーチのアイコン的桟橋を、いざ!

ピアに向かって歩き始めると、幅広のロングビーチにはビーチバレーのコートが20面以上も並び、ビーチに沿った遊歩道では自転車やランナーが行き交うのが見えます。桟橋にはカップルや家族連れがそぞろ歩き、その頭上をカモメたちが風に揺られて右に左に飛んでいます。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

長さ16キロに及ぶハンティントンビーチ。ピアの北側は海水浴ゾーンです

ピアからは、波待ちしているサーファーを真上からウォッチングできます。大波をみごとに乗りこなすサーファーがいる中、タイミングをはずし慌てて波を避けるサーファー、避けきれずに波に巻かれてボードだけが宙を舞っているサーファーなど、自分も海上にいるようなライブ感が伝わってきます。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

大波が押し寄せた後の、混沌(こんとん)状態のピア南側。波に巻かれてボードにつかまっている人、ボードを手放しちゃっている人、気持ちわかります

そんなピアが最高潮に盛り上がるのが、「Vans US Open of Surfing(USオープン)」。毎年7月から8月の9日間にわたって開催されるサーフィンの世界大会で、名だたるプロサーファーたちがピアの南側のポイントで激しく競い合います。2017年と2018年には、東京オリンピックの新種目サーフィンでも活躍が期待される五十嵐カノア選手が連覇。実は五十嵐選手のホームは、ハンティントンビーチなのだそうです。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

ハンティントンビーチが地元だという五十嵐カノア選手。USオープンのタイトルを獲得した時の写真。インターナショナル・サーフィン・ミュージアムにて

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

インターナショナル・サーフィン・ミュージアム

全米のサーファーがあこがれる“サーフシティー”になるまで

ハンティントンビーチの歴史をさかのぼると、観光地として開発がスタートしたのは1901年のこと。当初は西海岸におけるアトランティック・シティーになるようにと“パシフィック・シティー”と呼ばれていました。

1904年、“鉄道界の大物”ヘンリー・ハンティントンが権利を買収。ピアや都市間鉄道「レッド・カー・ライン」を街につなげるなど、インフラを整えていきました。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

ピアの入り口にあるインフォメーションセンターで、知りたい情報を提供してくれるスタッフ

1920年には油田が発見され、人口は1カ月で1500人から5000人に急増。何百もの油井がほぼ1晩のうちにいっぱいになるなど、活況を呈したようです。1933年の巨大地震では甚大な被害を受けましたが、政府から資金援助を受け、学校や郵便局、消防署など街のインフラはスピーディーに復旧しました。

ピアの災難は1980年代。嵐の被害を受け、修復を完了したところに別の嵐が猛威を振るい、あえなく崩壊。1988年に閉鎖されたのち、1992年にようやく復活しました。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

ペットフレンドリーなビーチ。シーポイントとゴールデンウェストストリートの間にある「ハンティントン・ドッグビーチ」は、犬たちが自由に遊べて、泳げます。サーフィン犬の競技会もあるのだそう

サーフカルチャーの発信地として

ちなみに、ハンティントンビーチのサーフィンにおける歴史は、1914年から始まります。コンクリート製となったピアのお披露目式に、アイルランド系ハワイアンのジョージ・フリースが衆目の前で波乗りをデモンストレーション。ハワイアンの王族が米国本土でサーフィンしたのが公には”本土初のサーフィン”とされ、ジョージ・フリースはハワイアンだけれど本土に移住したので、”本土初のサーファー”といわれます。

1920年代、ハンティントンビーチを訪れたハワイ人の中に、オリンピアンにして伝説のサーファー、デューク・カハナモクがいました。彼がピアの波を11フィート(約3.4メートル)のボードで華麗に乗りこなしている姿を目にした地元の人たちはがぜん奮起。古い電柱を削って、ボードを作り始めたとか。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

左:デューク・カハナモクの銅像 右:古いサーフボードや資料などが並ぶ展示室。インターナショナル・サーフィン・ミュージアムにて

1930~40年代にはボードショーツに白Tシャツのサーファー・ファッション、1950年にはスケートボードの前身となる“サイドウォーク・サーフィン”など、今日に至るまで、この地ではサーフカルチャーが生み出されてきました。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

折り畳みできるリクライニングシートを背負っている人をたびたび発見。これは次なるカリフォルニア・スタイル?

2014年はハンティントンビーチにおけるサーフィン誕生100周年。その記念に翌年、地元の人たちが二つのギネス世界記録に挑戦、なんと42フィート(約12.8メートル)の巨大ボードに66人が乗ってサーフィン。「最も大きなサーフボード」に「最も多い人数」で、見事12秒間のライディングに成功しました。

なんでも、真面目に楽しむのが、陽気なカリフォルニア気質のようです。

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

この地のかつての呼び名「パシフィック・シティー」、今は複合施設として存在。レストランの窓からはピアを望みます

カリフォルニアのサーフカルチャーを育んだハンティントンビーチ

ビーチでボンファイア(たき火)がハンティントンビーチの週末の過ごし方。焼きマシュマロ、美味!

【取材協力】
・カリフォルニア観光局
https://www.visitcalifornia.com/jp
・キンプトン・ショアブレーク・リゾート
https://www.shorebreakhotel.com/

PROFILE

古関千恵子

ビーチライター。リゾートやカルチャー、エコなどを切り口に、国内外の海にフォーカスした読み物や情報を発信する。ダイビング雑誌の編集者を経てフリーとなり、“仕事でビーチへ、締め切り明けもビーチへ”を繰りかえすこと四半世紀以上。『世界のビーチ BEST100』(ダイヤモンド・ビッグ社)の企画・執筆、『奇跡のリゾート 星のや 竹富島』(河出書房新社)の共著のほか、ファッション誌(『Safari』『ELLE Japon』など)やウェブサイトに寄稿。ブログも配信中。

プラナカン文化に彩られた、世界遺産の港町マラッカ

一覧へ戻る

RECOMMENDおすすめの記事