鎌倉の風に吹かれて

秋が過ぎるのを待つ日、颯爽と現れた王子様 常楽寺

芥川賞作家の大道珠貴さんが、鎌倉を舞台にした旅情や人間模様を描く、毎回読み切りの超短編小説連載「鎌倉の風に吹かれて」。第8回は、大船駅近くの常楽寺へ走りに行くと言い出した甥っ子への思いです。「私」の凍えた心に一筋の光を差し込んでくれた、その理由は。

秋が過ぎるのを待つ日、颯爽と現れた王子様 常楽寺

 北鎌倉の秋は息がつまるほど、掃いてもはいても木々から落ちる枯れ葉の途絶えることはない。夢にまで、はらはらと枯れ葉が舞いこむ。雪国の雪のように積もって私の心身を凍えさせる。精神を叩(たた)き潰(つぶ)し、叫びたい声を黙らせ、こぢんまりした暗い領域に封じこめる。私は、自分がいまどこでなにをしているなに者なのか、よくわからなくなる。
 
 中学を卒業して、高校には行かずにいる甥(おい)っ子が、うちに泊まりに来た。福岡に住んでいてもたいして行くところがないので、鎌倉の伯母に思い当たり、電車を乗り継ぎながら、辿(たど)り着いたのだった。

秋が過ぎるのを待つ日、颯爽と現れた王子様 常楽寺

 この子にしてはずいぶんとした冒険だったろう。身長は私を超えており、肩幅は私より狭い。幼児期にちらとしか見たことがないのだが、こうして目の前にすると、やはり自分と似ている顔だ。私が産んだわけではないのに、血肉を分けたかんじがする。甥が荷物から出した食べかけのひしゃげたパンを、私は平気で食べた。ソーセージに歯型がついており、それもかわいらしく思えた。身内とはこういうものなのかもしれない。

 それから二、三日いっしょに過ごしただけで、私は彼にああしなさい、こうしなさい、とつい命令口調になった。自分に嫌気がさした。自分がされてきていちばん気にくわなかったことなのだから。

秋が過ぎるのを待つ日、颯爽と現れた王子様 常楽寺

 「走ってくる」
 四日目の朝、甥がうつむいて言った。トレーニングウェアを着こんでいる。走ることだけが趣味、ほかにはなにも興味がない、とのことである。
 「どこまで?」
 「常楽寺」
 そのお寺……私は知らない。甥は、ネットで調べたから大丈夫、大船に近いお寺で、ぼーっとできそうやけん、一応、手を合わせてお参りもするよ、願いごとはせん、帰りになにか買い物があったら買ってくるけど?と言う。
 「じゃあ、魚と野菜。鍋しよう」
 
 鍋は好きやない、と甥は目を伏せる。遠慮がちに。
 その気持ちわかる、と私も思う。だれかと鍋を囲むということ、それは、孤独な精神の持ち主には、ハードルが高いのだ。イメージとして浮かべるぶんには、しあわせな食卓風景だと思える。そんな些細(ささい)な一風景に違和感がある者たちは、黙って後ずさりするのだ。
 私は甥に賛同した。なにも買って来なくていいよ、走っておいで。好きなだけ走ってきて、帰ってきたらそこらで寝転んでいればいい。

秋が過ぎるのを待つ日、颯爽と現れた王子様 常楽寺

 その日から甥と私は急接近した。べつに仲良くなったわけではないけれど、以心伝心というか、下手に気を使わないということで意見が一致している。
 「いっしょにお風呂に入ろうかなあ」
 となにげなく希望のように言われたときはびっくりしたが、甥がどんどんかわいらしくなってくる伯母は、意を決して裸になることにしたのだった。が、甥は布団の上ですうすう寝ている始末。ちょっぴりがっかり。

 「いっしょに寝たいっちゃんねえ」
 と言われたときは、よしよし、修学旅行か合宿みたいな気分やな、と、伯母はいそいそふたつ布団を並べた。
 恋愛や友情の悩みでも、両親との葛藤(かっとう)でも、将来の不安や、いまの自分の存在意義とはなんぞや――、というものでもない、言葉にならない漠然とした憂鬱(ゆううつ)さに、彼は耐えている。はあはあと息が乱れている。伯母にはそれが自分の心臓の音のように聴こえている。

秋が過ぎるのを待つ日、颯爽と現れた王子様 常楽寺

 北鎌倉で、じっと秋が過ぎるのを待つだけの自分に、こうして颯爽(さっそう)と若い王子さまが現れたのだった。

PROFILE

  • 大道珠貴

    作家
    1966年福岡市生まれ。2003年、『しょっぱいドライブ』で第128回芥川賞。2005年、『傷口にはウオッカ』で第15回Bunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。小説に『ケセランパサラン』『ショッキングピンク』『煩悩の子』など多数。エッセーに『東京居酒屋探訪』。神奈川県鎌倉市在住。

  • 猪俣博史

    写真家
    1968年神奈川県横須賀市生まれ。慶応義塾大学商学部卒業。卒業後、カナダを拠点に世界各地を放浪。帰国後、レコード会社、広告制作会社勤務などを経て1999年にフリーに。鎌倉、葉山を拠点に、ライフスタイル系のほか、釣り系媒体なども手がけ、場の空気感をとらえた取材撮影を得意とする。&wでは「鎌倉から、ものがたり。」の撮影を担当。神奈川県三浦半島の海辺に暮らす。

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