城旅へようこそ

美しい石垣を後世へ! 復興へ歩み出した「石の城」 丸亀城(2)

日本の城を知り尽くした城郭ライター萩原さちこさんが、各地の城をめぐり、見どころや最新情報、ときにはグルメ情報もお伝えする連載「城旅へようこそ」。今回は、石垣の高さ累計が日本一、「石の要塞(ようさい)」として知られる丸亀城(香川県丸亀市)の2回目です。2018年に崩落した石垣の規模や理由、修復の見通しは?

<崩落しても名城! 城ファンが唸る「石の要塞」 丸亀城(1)>から続く

三の丸と帯曲輪の石垣、3回にわたり崩落

美しい石垣を後世へ! 復興へ歩み出した「石の城」 丸亀城(2)

崩落した丸亀城の石垣(2018年10月9日撮影、丸亀市広報提供)

2018年の災害で崩落した丸亀城の石垣は、城の南側にある三の丸と、その下段の帯曲輪(おびくるわ)の石垣だ。<崩落しても名城! 城ファンが唸る「石の要塞」 丸亀城(1)>で述べたように、丸亀城の曲輪は、面積を狭めながら、ひな壇状に配置されている。城の南側は大きく3段になっていて、そのうち中段の三の丸と下段の帯曲輪を囲む石垣の隅角部分が崩れた。丸亀城の顔ともいえる、累計で高さ日本一を誇る大手門側の石垣に被害はない。

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崩落前の、三の丸坤(ひつじさる)櫓跡と帯曲輪の石垣(2015年9月15日撮影、丸亀市広報提供)

崩落は、3段階に及ぶ。まず、2018年7月7日に起きた、西日本豪雨による崩落だ。大雨により帯曲輪南側の一部石垣が崩落した。

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2018年7月7日に崩落した、帯曲輪南面の石垣(丸亀市広報提供)

次に、3カ月後の10月、帯曲輪西面の崩落が起きた。2018年10月8日の7時頃、市民からの「石垣から音がする」との報せを受けて丸亀市役所職員が現場を確認したところ、石垣の内部に詰められた栗石(ぐりいし)が「ガラガラ」と音をたて下に落ち、石垣が変位していることを確認した。前日7日の13時59分と8日の9時41分に撮影された写真を比較すると、石材の隙間が広がって石垣がゆがみ、その結果、石垣の隅角部が外側に押し出されるように変形しているのがわかる。そして8日の10時17分に、帯曲輪西面の石垣がほこりを上げながら大崩落した。崩落範囲は南北約18メートル、高さ約16メートルに及ぶ。

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左:崩落前の帯曲輪南面の石垣。10月7日13時59分撮影 右:翌8日の9時41分に撮影した崩落直前の帯曲輪南面の石垣。石材の隙間が広がっている(いずれも丸亀市広報提供)

ここで終わればよかったのだが、さらに翌日、帯曲輪上段の三の丸の石垣も崩落してしまった。9日の早朝4時頃に近隣住民から「大きな音がした」と通報があり、6時22分に職員が現場を確認したところ、三の丸坤櫓跡の石垣が崩落していたという。崩落範囲は東西約25メートル、南北約30メートル、高さ約17メートル。三の丸の石垣は帯曲輪を土台にするように積まれているため、帯曲輪の石垣が崩落したことで安定性を失い崩れたのだろう。

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三の丸の石垣は、滑り落ちるように下方に崩れているのがわかる(2019年3月17日撮影)

危険性認識、修復工事に着手する直前

実は、この時崩落した三の丸と帯曲輪の石垣は、危険性が認識され、修復工事に着手する直前だった。さかのぼれば2005年頃から修理工事計画があった。当時は厳しい財政状況から未着手だったものの、2015年から測量や発掘調査を行うなど具体的な準備を進めていた。調査により三の丸石垣の基盤となる帯曲輪で地割れが確認されたため、三の丸だけでなく帯曲輪にも修復範囲が広がり、準備をしていた。修復の必要性を認識し、工事を目前に控えていただけに崩落は悔やまれる。

今回の崩落で、解体が必要な石材は合計で約6000個(三の丸3300個、帯曲輪2700個)という。帯曲輪の石垣は昭和50年代に1度修理しており、修理した石材にはその際に位置を示す石材番号をつけてある。資料も残っているため場所を特定でき、ほぼ元通りに積み直せる見込みだ。三の丸石垣の石材に番号はついていないが、滑り落ちるように崩落したため、位置は特定しやすいと見込まれている。

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三の丸石垣の崩落部分。ある程度、石材の位置が特定できる見込み(2019年7月29日撮影)

盛り土の弱い地盤、江戸時代から修復繰り返す

気になるのは、「なぜ、この場所のこの石垣だけが大きく崩れたのか」だ。少なからず、地形に大きな関係がありそうだ。丸亀城が築かれている山の地盤は、北側の3分の2が安山岩だ。城内を散策していても、本丸をはじめ城内の至るところには岩盤が露頭していて、安山岩を削って曲輪がつくられていることがよくわかる。しかし、この岩盤層は南西方向へ傾斜しており、三の丸や帯曲輪のある城の南側3分の1は、風化花崗岩(かこうがん)の上にかなり盛り土をして曲輪が構築されている。よって、雨水も南西方向に流れやすく、盛り土の上に積まれた南側の石垣は北側よりも崩れやすくなる。細かな崩落のメカニズムはこれから検証されるが、排水機能を含め、こうした地形条件の解明も、今後の修復工事計画において重要なポイントになりそうだ。

<崩落しても名城!城ファンが唸る「石の要塞」 丸亀城(1)>で述べたように、丸亀城の石垣はほとんどが1643(寛永20)年から山崎家治によって築かれたものだ。しかし、1645(正保2)年、再築を願い出る際に幕府へ提出した「正保城絵図」(国立公文所館蔵)を見ると、今回崩落した帯曲輪の隅角部は描かれているが、その上に建つ坤櫓の石垣は描かれていない。どうやら坤櫓は、その後に築かれたようだ。

山崎氏が改易された1657(明暦3)年頃の様子が描かれたとみられる「讃岐国丸亀城(大洲の図)」(丸亀市立資料館蔵)では、坤櫓や石垣は完成している。帯曲輪の石垣は南側が一部未完成だったようで、1736(元文元)年の「元文年間讃岐丸亀城絵図」(同)には描かれていることから、山崎氏時代ではなく京極氏時代に完成したようだ。今のところ、崩落箇所から山崎時代らしき石垣は発見されていない。

今回の崩落後の調査により、新発見もあった。斜面を掘削したところ、坤櫓台の内部から埋没した石垣が見つかったのだ。1649(慶安2)年、山崎俊家宛に破損した三の丸坤櫓と櫓台の修復願いが出されており、おそらくこのとき築かれたものとみられる。1667(寛文7)年にも櫓台の普請願いが出されており、この時期にも改修されていたと考えられる。江戸時代から、この場所は改修が繰り返されていたようだ。

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調査により発見された、坤櫓台の内部に埋没していた石垣。算木積みになっている(丸亀市広報提供)

復旧工事約35億円、2023年度末までを目指す

今回崩落した石垣の本格的な復旧工事は、2024年3月31日まで、5年間の工期で計画されている。2020年度末までに、三の丸の石垣、崩落した石垣、帯曲輪の石垣を解体撤去し、2021年度末までに帯曲輪の石垣を復旧し、2023年度末までに三の丸の石垣を復旧する計画だ。

文化財としての石垣を望ましい形で後世に残していくためには、石垣の解体や崩落した石材の撤去にも細心の注意が払われ、綿密な調査・測量・設計が求められる。基本的には石垣の積み方や技術を解体時に明らかにし、それを忠実に復元する伝統工法で行われるが、耐久性などの伝統工法では解決できない問題は現代工法で補いながら進めていかなければならない。

美しい石垣を後世へ! 復興へ歩み出した「石の城」 丸亀城(2)

応急処置が終わり、本格的な調査と復旧工事に入る(2019年7月29日撮影)

「文化財の復元工事や史跡の保存整備は、外科手術と同じようなものなのだ」と、取材を通じて感じた。根治できない表面的・一時的な処置であってはならず、着手してから見当違いだった、も許されない。あらゆる可能性と対処法を検討し、最善の方法を選択する必要がある。崩落の原因究明、石垣背面の排水処理、安定性の検討、工法の選択、補填(ほてん)素材の調達などが主な課題となろう。

総事業費は31.5億円〜35.5億円、7割が国の補助金で賄われる見込みだが、残りの3割は丸亀市の負担だ。市は石垣復旧シンボルマークの作成や募金箱の設置、募金付きグッズの販売などを行っている。また、ふるさと納税制度「ふるさと丸亀応援寄附金」でも寄付が可能で、使い道も「日本一の高さを誇る丸亀城石垣を修復する事業」を選択できる。

撤去された約650個の石材が並べられたグラウンドを訪れると、フェンスには地元の子供達が描いたイラスト付きのメッセージ、市民や全国の城ファンのメッセージが貼られていた。やはり、城とは地域のアイデンティティーなのだと感じた。丸亀城という日本の宝に寄り添い、未来へ残すための時間を見守りたい。

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伝統的工芸品の丸亀うちわには、地元の子供達からの応援メッセージが(2019年7月29日撮影)

(この項おわり。次回は11月25日に掲載予定です)

#問い合わせ・参考サイト

■丸亀城
https://www.marugame-castle.jp/

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PROFILE

萩原さちこ

小学2年生のとき城に魅了される。執筆業を中心に、メディア・イベント出演、講演、講座などをこなす。著書に『わくわく城めぐり』(山と渓谷社)、『戦国大名の城を読む』(SB新書)、『日本100名城めぐりの旅』(学研プラス)、『お城へ行こう!』(岩波ジュニア新書)、『図説・戦う城の科学』(サイエンス・アイ新書)など。webや雑誌の連載多数。

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