魅せられて 必見のヨーロッパ

遺書、恋文、隠し子も? ベートーベン生誕250年を前にウィーンゆかりの地をめぐる(3) 

ツアーの行き先としてはあまりメジャーではないけれど、足を運べばとりこになってしまう。そんなヨーロッパの街を、ヨーロッパを知り尽くした作家・写真家の相原恭子さんが訪ねる連載「魅せられて 必見のヨーロッパ」。作曲家ベートーヴェンが2020年に生誕250年を迎えるのに先立ち、彼が活躍したウィーンで足跡をたどるシリーズの3回目。有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」に加え、何と隠し子がいたのでは?という話まで。

<葬儀に2万人が参列! ベートーヴェン生誕250年を前にウィーンゆかりの地をめぐる(2)>から続く

「ハイリゲンシュタットの遺書」の家はミュージアム

今回は、ベートーヴェンゆかりのハイリゲンシュタットを巡り、遺書と「不滅の恋人」に宛てたラブレターにも触れる旅です。ベートーヴェンと不滅の恋人との間には、何と「隠し子」がいたという説がかなり有力視されているそうです。

まずは、「ベートーヴェン・ミュージアム」となっている、プロブス通りにあるベートーヴェンが暮らした家を訪ねました。

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ベートーヴェン・ミュージアムの外観

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ベートーヴェン・ミュージアムの中庭

ここは、ベートーヴェンが31歳の時(1802年)に、難聴やすぐれない体調などを苦に遺書を書いた家です。以前は「ハイリゲンシュタットの遺書の家」と呼ばれ、公開されていました。案内のクリストフさんは「ウィーンにはベートーヴェンが暮らした家が50軒以上もあります。夜中にピアノを弾くなど近所との折り合いが悪かった事もありますが、作曲中のメロディを盗作されないようにと住まいを替えたとも言われています」と話します。

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ミュージアムは、ベートーヴェンのピアノや補聴器、髪の毛、当時の生活など多面的な展示があります

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彼の髪の毛からかなりの量の鉛が検出され、安価なワインや傷をふさいだ絆創膏(ばんそうこう)などから鉛が体内に入り健康を害したとみられています。

点在する「暮らした家」を巡る

「ベートーヴェン・ミュージアム」の近くには、ベートーヴェンの暮らした家がいくつもあります。「グリルプファルツァーハウス」に足を運んでみました。

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ベートーヴェンが暮らした「グリルプファルツァーハウス」

カーレンベルガー通りにある「ヌスドルフの家」にも行ってみました、この家の貸主は後に「ベートーヴェンがピアノを弾く晩にはたくさんの人が集まり、庭へ出ると我々にも彼の演奏が聞こえてきました。夜じゅう庭で聴いていたい、と思ったものです」と書き残しています。

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「ヌスドルフの家」

現在はワインの居酒屋「ホイリゲ・マイアー」になっている家は「ホイリゲ・マイアー ベートーヴェンハウス」と呼ばれています。ベートーヴェンはここで、ブドウ畑を眺望できる部屋に暮らしました。

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現在はホイリゲになっている、ベートーヴェンが暮らした家(左)

ベートーヴェンの散歩道

「ベートーヴェンガング」と呼ばれる散歩道には、シュライバーバッハという小川が流れ、木々のささやきや小鳥の声が聞こえてきます。たとえば、交響曲第6番「田園」第2楽章「小川のほとりの情景」、木管楽器で表現する鳥のさえずりなどは、このあたりの自然を表現しているといわれます。確かに、音楽を聴いていると牧歌的な田園風景や鳥の声、風の音まで聞こえてくるような絵画的な癒やしの世界を感じます。

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「ベートーヴェン・ガング」と呼ばれる散歩道

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ベートーヴェンの像も立っています

ベートーヴェンがこのあたりで構想を練ったのだと思うと、緑の輝きが一層美しく見えます。

隠し子がいた? 不滅の恋人とは

ハイリゲンシュタットで書かれた遺書とともに、ベートーヴェンが書いた手紙で有名なのは、1812年に書かれた「不滅の恋人」へのラブレターです。誰に宛てたものか書かれていないために、恋人とは一体誰なのかと議論が続いています。ウィーン市のミュージアムを管理する団体「ウィーン・ミュージアム」の音楽史に詳しいリザ・ノッグラー氏によれば「今日の研究ではヨゼフィーネ・ブルンスヴィックという説が最も有力」だそうです。ブダペスト近郊のマルトンバーシャールの伯爵家の令嬢で、1799年に母親に連れられて姉のテレーゼとともにウィーンに暮らすベートーヴェンを訪ねました。

当時ピアニストとしても実力が抜きん出ており貴族の支持者が多かったベートーヴェンに、2人の娘は師事することになりました。ヨゼフィーネは多くの男性が一目で魅了されるほど美しかったと言われています。ベートーヴェンも、彼女にウィーンで出会ってすぐに魅了されたのかもしれません。

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マルトンバーシャールにあるブルンスヴィック城と公園。2011年ブダペストで講演した時に立ち寄り、撮影した写真です

1799年、ベートーヴェンと出会ってから2か月余りの後、母親が貴族同士の結婚を勧めヨゼフィーネは27歳も年上のヨーゼフ・フォン・デイム伯爵と結婚し子供も生まれましたが、1804年に夫は亡くなり、ベートーヴェンと彼女との交際が深まったとされます。けれども、今度は彼女がやはり貴族のシュタッケルベルク男爵と再婚。子供ももうけましたが、結婚はうまくはいきませんでした。

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ハイリゲンシュタット公園のベートーヴェン像

リザ・ノッグラー氏は「1812年、ヨゼフィーネはベートーヴェンとプラハで再会しました」と話します。不滅の恋人への手紙が書かれたのはそのすぐ後で、1813年4月8日にヨゼフィーネはミノナ(1897年没)という娘を産みました。この娘の父親はベートーヴェンであったという説が有力になっているそうです。

ベートーヴェンとピアノの名手といわれたヨゼフィーネの娘だったとすれば、楽才があったのかもしれません。ミノナ(Minona)は逆から読むとAnonim(anonym=匿名)となり、意味深な名前だという見方もあります。

長年にわたり学者たちの研究が続いていますが、当人たちはあの世でどう思っているのかなど、あれこれ想像してみるのは、どこかロマンチックでベートーヴェンの音楽を聴く楽しみが増えるような気がします。

ウィーン市観光局 https://www.wien.info/
オーストリア航空 https://www.austrian.com/

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PROFILE

相原恭子(文・写真)

慶應大学卒業。ドイツ政府観光局勤務を経て、作家&写真家。「ドイツ地ビール夢の旅」(東京書籍)、「ドイツビールの愉しみ」(岩波書店)、「ベルギー美味しい旅」(小学館)、「京都 舞妓と芸妓の奥座敷」(文春新書)、「京都 花街ファッションの美と心」(淡交社)、英語の著書「Geisha – A living tradition」(フランス語、ハンガリー語、ポーランド語版も各国で刊行)など著書多数。国内はもちろん、国際交流基金・日本大使館の主催でスペイン、ハンガリー、エストニアで講演会や写真展多数。NHK「知る楽」「美の壺」、ラジオ深夜便「明日へのことば」「ないとエッセー」、ハンガリーTV2、エストニア国営放送など出演多数。
https://blog.goo.ne.jp/goethekyoko

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ワイン都市ウィーンで居酒屋文化「ホイリゲ」を楽しむ

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